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第五章
69.死者の「供述」書(エヴァンス視点)
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―――会議室の中には静寂が漂っていた。
空気は重く、張り詰めた緊張感がその空間を支配している。
天井灯のぼんやりとした明かりが無言で向き合う面々の顔を照らし出し、その影が部屋の隅に不安げに落ちていた。
誰もが声を発しないまま、資料に目を通し、頭の中で事実を整理している。その静寂の中、微かなペンの音や、資料をめくる音だけが、重苦しい沈黙を引き裂く。
「いったいどうなってるんだ」
珍しく真剣な表情そのものでやわらかい金髪をガシガシと乱暴に掻きむしったメイノワールが、浮かしたり下げたりしていた紙の束を机の上に放り投げた。
リチャードはもう知らないとばかりに資料そっちのけで机の上で眠りこけていて、その向かい側に座るエヴァンスは椅子に深く腰掛けて天井を仰ぎ、ため息をついていた。
「失礼します」
バルトレイの声が静かに会議室に響き渡ったが、誰も微動だにしない。
それを見咎めることもなく、バルトレイはメイノワールの方に歩み寄り、何かを耳打ちする。すれば、「はぁ?」と頓狂な声を上げて彼は立ち上がった。
「ちょっと所用ができましたので、僕はこれで失礼します」
おや、と片眉を上げたのはエヴァンスだった。
「取調室の珍獣が意外に手ごわくて、どうしても口を割りそうにないので、アレを使おうと思いまして。―――許可いただけますか?」
要望ではなく、確認。
苛立ちを滲ませた紫水晶の瞳が、アルバートに向けられている。
「許可する。さっさと終わらせろ。時間の無駄だ。ただし、……死なれては後々事後処理が面倒だ。余計な仕事を増やさないためにも、量を間違えないよう言っておけ」
「はっ」
失礼します、と敬礼し、後は任せたとばかりに同僚たちにひらひらと手を振って出ていく。
「うわっ。アレを使うのか」
微かに昔を思い返し、アレに心当たりがあるエヴァンスは顔を盛大に引きつらせる。
しかもこの男、人命を尊重した結果、死なれると困るというより、その後の隠蔽処理に手を煩わせられる方が面倒だという意味を隠しもせずに言い捨てた。
「疑似薬の類なので問題ない」
書類上も人権上も問題ないと言い捨てる鬼畜悪魔にエヴァンスはやや非難するように視線を送るが、自分は既に部外者と思い至り、肩を竦める形で椅子に腰かけ直す。
アレ、というのは自白剤の一種で、戦時中にあらゆる意味で使用を合法化されていたものだった。むろん現在、禁忌薬の一種として使用は禁止されていて、表立って使用されることはない。
が、今回の一件はその「表立って」とは大きく外れた懸案であるため、内々に処理することを念頭に「疑似薬なら問題ない」と許諾をしたのだろう。
(似せて作った本物ではないから大丈夫だというのもどうかと思うが。まぁ、仕方ない、のか?)
これ以上考えても無駄だと、エヴァンスは思考を放棄し、手元の資料に目を落とした。
兄、リチャードが無許可で男爵夫人の遺体を掘り起こし、秘密裏に解剖した際の遺体の検案書だ。
上司が上司なら、部下も部下だとは思うが、この件については自分も被害を被る可能性があるので黙して放逐することとする。
資料には当時の遺体の状態が簡易的な図と共に表記され、特に損傷が目立つ箇所についての明記があった。
外傷はほとんどなく、特に内臓や呼吸器官に関する解剖所見が目につく。
結論として、「毒物の摂取による死亡の可能性」が示されていた。
続いてページを捲って別の用紙に目をやれば、自分が検視に立ち会った生きの悪い方の遺体についての報告書が示され、やはり共通点として「毒物」による死亡の可能性が記述されている。
また、夜会で使用されたと思われる爆発物の残骸から採取された油や今朝死亡した容疑者の衣類の一部や皮膚組織を分析したところ、油や火薬とは異なる物質。―――毒性の高い成分が検出されたということだった。
「確実にこの物質と断定はできないんだけどねぇ。胃とか小腸の状態を見ると、明らかに出血と腫れがあったし。病気等の疾病とは違う、劇症型の何か…。最初は胃液の逆流かなぁと思っていたんだけど、食道も細胞が壊死するレベルで損壊を受けていたし。夫人を掘り返すまでにやや時間は経っていたけど、夏ならいざ知らず、この時期で消化器官系の内臓の大半が融解している現象はなかなかお目にかかれないよね。特に胃を中心としてその状態が顕著だった、ということを加味すると、経口摂取した薬物の毒性の発露による死亡、と考えられる。―――ただ、現場から採取した油に含まれていた成分と夫人から検出された毒物と思われる成分が同一かと問われると、微妙なんだよねぇ」
会議の内容に飽きて眠っているかと思えば、全思考を放り投げて居眠りを決め込んでいたようだった。
いつも自信満々で他人を小馬鹿にしている兄が珍しく弱気である。
リチャードはゆっくりと顔を上げると、疲れ切った表情で長い溜息を吐いた。柔らかく輝く銀髪もお疲れのようで、どことなくどんよりしているように見える。
「毒物を摂取した時に似た外的な特徴と照らし合わせながら、採取したサンプルを使った試薬テストで白色の沈殿物が認められたから、それ系の毒物の可能性があるということまではわかるんだけど、どの種類の、何の毒物が使われたのかは完全にはわからない。似た症状を引き起こす毒物は意外に数があるしねぇ」
まさに、犯人のみぞ知るって感じなんだよねぇ。
「―――容疑者も死んじゃったしねぇ」
「死んだ?」
初耳である。
驚いて目線を上げれば、視界の隅でアルバートが静かに頷いていた。
空気は重く、張り詰めた緊張感がその空間を支配している。
天井灯のぼんやりとした明かりが無言で向き合う面々の顔を照らし出し、その影が部屋の隅に不安げに落ちていた。
誰もが声を発しないまま、資料に目を通し、頭の中で事実を整理している。その静寂の中、微かなペンの音や、資料をめくる音だけが、重苦しい沈黙を引き裂く。
「いったいどうなってるんだ」
珍しく真剣な表情そのものでやわらかい金髪をガシガシと乱暴に掻きむしったメイノワールが、浮かしたり下げたりしていた紙の束を机の上に放り投げた。
リチャードはもう知らないとばかりに資料そっちのけで机の上で眠りこけていて、その向かい側に座るエヴァンスは椅子に深く腰掛けて天井を仰ぎ、ため息をついていた。
「失礼します」
バルトレイの声が静かに会議室に響き渡ったが、誰も微動だにしない。
それを見咎めることもなく、バルトレイはメイノワールの方に歩み寄り、何かを耳打ちする。すれば、「はぁ?」と頓狂な声を上げて彼は立ち上がった。
「ちょっと所用ができましたので、僕はこれで失礼します」
おや、と片眉を上げたのはエヴァンスだった。
「取調室の珍獣が意外に手ごわくて、どうしても口を割りそうにないので、アレを使おうと思いまして。―――許可いただけますか?」
要望ではなく、確認。
苛立ちを滲ませた紫水晶の瞳が、アルバートに向けられている。
「許可する。さっさと終わらせろ。時間の無駄だ。ただし、……死なれては後々事後処理が面倒だ。余計な仕事を増やさないためにも、量を間違えないよう言っておけ」
「はっ」
失礼します、と敬礼し、後は任せたとばかりに同僚たちにひらひらと手を振って出ていく。
「うわっ。アレを使うのか」
微かに昔を思い返し、アレに心当たりがあるエヴァンスは顔を盛大に引きつらせる。
しかもこの男、人命を尊重した結果、死なれると困るというより、その後の隠蔽処理に手を煩わせられる方が面倒だという意味を隠しもせずに言い捨てた。
「疑似薬の類なので問題ない」
書類上も人権上も問題ないと言い捨てる鬼畜悪魔にエヴァンスはやや非難するように視線を送るが、自分は既に部外者と思い至り、肩を竦める形で椅子に腰かけ直す。
アレ、というのは自白剤の一種で、戦時中にあらゆる意味で使用を合法化されていたものだった。むろん現在、禁忌薬の一種として使用は禁止されていて、表立って使用されることはない。
が、今回の一件はその「表立って」とは大きく外れた懸案であるため、内々に処理することを念頭に「疑似薬なら問題ない」と許諾をしたのだろう。
(似せて作った本物ではないから大丈夫だというのもどうかと思うが。まぁ、仕方ない、のか?)
これ以上考えても無駄だと、エヴァンスは思考を放棄し、手元の資料に目を落とした。
兄、リチャードが無許可で男爵夫人の遺体を掘り起こし、秘密裏に解剖した際の遺体の検案書だ。
上司が上司なら、部下も部下だとは思うが、この件については自分も被害を被る可能性があるので黙して放逐することとする。
資料には当時の遺体の状態が簡易的な図と共に表記され、特に損傷が目立つ箇所についての明記があった。
外傷はほとんどなく、特に内臓や呼吸器官に関する解剖所見が目につく。
結論として、「毒物の摂取による死亡の可能性」が示されていた。
続いてページを捲って別の用紙に目をやれば、自分が検視に立ち会った生きの悪い方の遺体についての報告書が示され、やはり共通点として「毒物」による死亡の可能性が記述されている。
また、夜会で使用されたと思われる爆発物の残骸から採取された油や今朝死亡した容疑者の衣類の一部や皮膚組織を分析したところ、油や火薬とは異なる物質。―――毒性の高い成分が検出されたということだった。
「確実にこの物質と断定はできないんだけどねぇ。胃とか小腸の状態を見ると、明らかに出血と腫れがあったし。病気等の疾病とは違う、劇症型の何か…。最初は胃液の逆流かなぁと思っていたんだけど、食道も細胞が壊死するレベルで損壊を受けていたし。夫人を掘り返すまでにやや時間は経っていたけど、夏ならいざ知らず、この時期で消化器官系の内臓の大半が融解している現象はなかなかお目にかかれないよね。特に胃を中心としてその状態が顕著だった、ということを加味すると、経口摂取した薬物の毒性の発露による死亡、と考えられる。―――ただ、現場から採取した油に含まれていた成分と夫人から検出された毒物と思われる成分が同一かと問われると、微妙なんだよねぇ」
会議の内容に飽きて眠っているかと思えば、全思考を放り投げて居眠りを決め込んでいたようだった。
いつも自信満々で他人を小馬鹿にしている兄が珍しく弱気である。
リチャードはゆっくりと顔を上げると、疲れ切った表情で長い溜息を吐いた。柔らかく輝く銀髪もお疲れのようで、どことなくどんよりしているように見える。
「毒物を摂取した時に似た外的な特徴と照らし合わせながら、採取したサンプルを使った試薬テストで白色の沈殿物が認められたから、それ系の毒物の可能性があるということまではわかるんだけど、どの種類の、何の毒物が使われたのかは完全にはわからない。似た症状を引き起こす毒物は意外に数があるしねぇ」
まさに、犯人のみぞ知るって感じなんだよねぇ。
「―――容疑者も死んじゃったしねぇ」
「死んだ?」
初耳である。
驚いて目線を上げれば、視界の隅でアルバートが静かに頷いていた。
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