58 / 90
第四章
54.灰緑の瞳 (アルバート視点)
しおりを挟む
獰猛な獣を連想させる赤い瞳が何かを探るように、注意深く揺らめいた。
「軍内部では「ナイトシェード」という言葉が独り歩きしているそうだが」
軽く威圧するような不機嫌さを伴って零れた言葉に、下士官がわずかに相貌を驚かせる。
彼の上司にしては珍しい感情の発露に、気づけば口が動いていた。
怒りの矛先が自分に向くのは限りなく避けたいことだと言わんばかりに。
「それもまだ調査中です。毒物の特定は類似成分が多い場合は同定までに時間がかかると申しておりました」
「検査結果はいつになる?」
「分析班からは、第一段階の結果は遅くとも明朝までに報告できるとのことです。詳細な解析にはさらに数日を要すると聞いております」
打てば響くというタイミングで返ってくる部下の答えに、アルバートはそうか、と呟いて手元の書類に視線を落とす。紙を幾枚か捲りながら流動が不安定な支出が多いな、とちいさく呟く。
「わかった。情報を封鎖して出処を辿っておけ、どうせすぐに見つかるだろう。それから調査を急がせろ。少しでも情報が揃えばただちに報告しろ」
「承知しました」
「他には?」
「以上です。新たな情報が入り次第、速やかにお伝えします」
部下は敬礼し、素早く部屋を出ていった。
アルバートは眉間を押さえ、机の上に散らばる資料を一瞥する。目を通すべき書類は山ほどあるが、どれも断片的な情報ばかりで繋がりが見えない。一度整理する必要はあるだろうが、「犯人の死亡の知らせ」を聞くのが先かどうかという感じだ。
その時、ノックの音が二度響いた。
「入れ」
応じると、別の部下が足早に入室してきた。
「副官殿より至急会議室にお越しいただきたいとの伝言です」
「内容は?」
くだらない内容だったら出る気はない、という意思を込めて部下に視線をやれば、下士官が居住まいを正しながら答える。
「先日掘り返した男爵夫人の遺体検案書に関するものだと聞いております」
「遺体検案書……」
掘り返したとは、また、上官である自分の許可なくやりたい放題にやってくれるものだ。
気が付けばクシャリと手元の書類を握りつぶしていたようで、それに気づいた部下が小さく悲鳴を上げた。
自分自身もずいぶん型破りだと自負しているが、それ以上に型破りな変人の副官を思い出し、アルバートはますます不機嫌になって眦を尖らせた。
「―――アストラヴェル侯爵子息の、弟の方の調査報告書も持って行ってやれ。アレが喜ぶだろう」
あの侯爵家は変人しかいないのかと嘆息すると、下士官はふっと安堵した後、小さく苦笑して踵を返す。その背中に思い出すように一言添える。
「厄介者のグレイソンの視界には絶対入れさせるなとよく言い聞かせておけ。将軍に捜査を邪魔されると面倒だ」
面倒どころか息の根を止めたくなる、と心の中で付け加え、アルバートは厄介ごとを片付けるように、再び書類の山に着手し始めた。
*******
バタバタと部屋の外が騒がしい。
入室禁止を厳命して、一人きりになったアルバートは書類に走らせていた手を止めた。
ペンを元の位置に戻すと、眉間に僅かなしわを寄せて考え込むようなそぶりを見せる。
ほどなくしてジャケットの内ポケットから小さな鍵を取り出し、机の引き出しの鍵を開けた。
カチン、と音が鳴る。
几帳面に整理整頓された私物の合間に、ひときわ異彩を放つ輝きが転がっていた。
「さて。どうしたものか」
アルバートは慎重にそれを手に取る。
まるで触れてしまえば壊れてしまいそうな繊細な存在であるかのように。
やわらかな光を宿したペリドットの耳飾り。
どこにでもありそうなありふれた色彩をしている割に、どこか目を惹く強い輝きを放つ。
脳裏にあの「灰緑」がチラついて、彼はしばし角度を変えながらまっすぐ射貫くようにそれを眺める。
「さて、どうしたものか――」
誰にともなく、虚空に向かって呟くその声は静かで低く、けれどどこか憂いを含んでいるようだった。
「軍内部では「ナイトシェード」という言葉が独り歩きしているそうだが」
軽く威圧するような不機嫌さを伴って零れた言葉に、下士官がわずかに相貌を驚かせる。
彼の上司にしては珍しい感情の発露に、気づけば口が動いていた。
怒りの矛先が自分に向くのは限りなく避けたいことだと言わんばかりに。
「それもまだ調査中です。毒物の特定は類似成分が多い場合は同定までに時間がかかると申しておりました」
「検査結果はいつになる?」
「分析班からは、第一段階の結果は遅くとも明朝までに報告できるとのことです。詳細な解析にはさらに数日を要すると聞いております」
打てば響くというタイミングで返ってくる部下の答えに、アルバートはそうか、と呟いて手元の書類に視線を落とす。紙を幾枚か捲りながら流動が不安定な支出が多いな、とちいさく呟く。
「わかった。情報を封鎖して出処を辿っておけ、どうせすぐに見つかるだろう。それから調査を急がせろ。少しでも情報が揃えばただちに報告しろ」
「承知しました」
「他には?」
「以上です。新たな情報が入り次第、速やかにお伝えします」
部下は敬礼し、素早く部屋を出ていった。
アルバートは眉間を押さえ、机の上に散らばる資料を一瞥する。目を通すべき書類は山ほどあるが、どれも断片的な情報ばかりで繋がりが見えない。一度整理する必要はあるだろうが、「犯人の死亡の知らせ」を聞くのが先かどうかという感じだ。
その時、ノックの音が二度響いた。
「入れ」
応じると、別の部下が足早に入室してきた。
「副官殿より至急会議室にお越しいただきたいとの伝言です」
「内容は?」
くだらない内容だったら出る気はない、という意思を込めて部下に視線をやれば、下士官が居住まいを正しながら答える。
「先日掘り返した男爵夫人の遺体検案書に関するものだと聞いております」
「遺体検案書……」
掘り返したとは、また、上官である自分の許可なくやりたい放題にやってくれるものだ。
気が付けばクシャリと手元の書類を握りつぶしていたようで、それに気づいた部下が小さく悲鳴を上げた。
自分自身もずいぶん型破りだと自負しているが、それ以上に型破りな変人の副官を思い出し、アルバートはますます不機嫌になって眦を尖らせた。
「―――アストラヴェル侯爵子息の、弟の方の調査報告書も持って行ってやれ。アレが喜ぶだろう」
あの侯爵家は変人しかいないのかと嘆息すると、下士官はふっと安堵した後、小さく苦笑して踵を返す。その背中に思い出すように一言添える。
「厄介者のグレイソンの視界には絶対入れさせるなとよく言い聞かせておけ。将軍に捜査を邪魔されると面倒だ」
面倒どころか息の根を止めたくなる、と心の中で付け加え、アルバートは厄介ごとを片付けるように、再び書類の山に着手し始めた。
*******
バタバタと部屋の外が騒がしい。
入室禁止を厳命して、一人きりになったアルバートは書類に走らせていた手を止めた。
ペンを元の位置に戻すと、眉間に僅かなしわを寄せて考え込むようなそぶりを見せる。
ほどなくしてジャケットの内ポケットから小さな鍵を取り出し、机の引き出しの鍵を開けた。
カチン、と音が鳴る。
几帳面に整理整頓された私物の合間に、ひときわ異彩を放つ輝きが転がっていた。
「さて。どうしたものか」
アルバートは慎重にそれを手に取る。
まるで触れてしまえば壊れてしまいそうな繊細な存在であるかのように。
やわらかな光を宿したペリドットの耳飾り。
どこにでもありそうなありふれた色彩をしている割に、どこか目を惹く強い輝きを放つ。
脳裏にあの「灰緑」がチラついて、彼はしばし角度を変えながらまっすぐ射貫くようにそれを眺める。
「さて、どうしたものか――」
誰にともなく、虚空に向かって呟くその声は静かで低く、けれどどこか憂いを含んでいるようだった。
2
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
麗しの眠り姫は義兄の腕で惰眠を貪る
黒木 鳴
BL
妖精のように愛らしく、深窓の姫君のように美しいセレナードのあだ名は「眠り姫」。学園祭で主役を演じたことが由来だが……皮肉にもそのあだ名はぴったりだった。公爵家の出と学年一位の学力、そしてなによりその美貌に周囲はいいように勘違いしているが、セレナードの中身はアホの子……もとい睡眠欲求高めの不思議ちゃん系(自由人なお子さま)。惰眠とおかしを貪りたいセレナードと、そんなセレナードが可愛くて仕方がない義兄のギルバート、なんやかんやで振り回される従兄のエリオットたちのお話し。完結しました!
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】陰陽師は神様のお気に入り
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
キャラ文芸
平安の夜を騒がせる幽霊騒ぎ。陰陽師である真桜は、騒ぎの元凶を見極めようと夜の見回りに出る。式神を連れての夜歩きの果て、彼の目の前に現れたのは―――美人過ぎる神様だった。
非常識で自分勝手な神様と繰り広げる騒動が、次第に都を巻き込んでいく。
※注意:キスシーン(触れる程度)あります。
【同時掲載】アルファポリス、カクヨム、エブリスタ、小説家になろう
※「エブリスタ10/11新作セレクション」掲載作品
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる