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第三章
42.急な来客
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エヴァンスが自室で泥のように眠っていると、急に揺り動かされた。
耳に届いたのは、執事アリエンスの冷静な声だ。
いつも平坦で感情の起伏がまるきり感じられないしゃがれた声が、今はやけに強ばっている。
エヴァンスは目を薄く開けながら不機嫌そうに呻いた。
「なんだ」
せっかく夢も見ないでぐっすり眠っていたのに。
口うるさい執事の年季の入った皺だらけの面白みの欠片もない顔を見て起きるのは嫌だと、エヴァンスは追い払うように片手を振る。
「もう少し寝かしてくれ」
アリエンスが立つ反対方向へ、ごろりと体を移動させる。
「お客様です」
小ぶりな丸眼鏡のレンズが室内の微かな光を反射し、彼の鋭いくすんだ金色の瞳を際立たせていた。
七十をとうに超えているとは思えないまっすぐな背筋は、ぐだぐだと寝台の上で芋虫のように丸まる彼の主人とは対照的で、厳格さを言外に示しているかのようだった。
一向に起き出す気配のない主を見下ろして、アリエンスはきちんと整えられた白髭に染み一つない手袋を嵌めた指先で触れた。
主人の顔の方向に回り込むように向かえば、肩幅の広い細身の体にぴったりと合った漆黒の執事服に滑らかなしわが寄る。上着には滑らかなシルク素材が使われ、襟元には純白のネクタイが丁寧に結ばれていた。
足元には磨き上げられた黒い革靴が光り、彼がただそこに立つだけで部屋全体に張り詰めた空気が漂うほどの存在感を放っていた。
「エヴァンス様」
決して引こうとしない姿勢の執事にエヴァンスは枕に顔をうずめたまま、指先だけで指示をする。
「軍の人間なら追い返せって言っただろ。報告書は明日には提出するって伝えといてくれ……」
「お客様です」
「ぶわっ」
再び布団に潜り込むと、今度は容赦なく掛け布を剝がされ、反動で寝台から転がり落ちた。
ドン、という音と共に後頭部を床に打ち付け、思わず顔をしかめる。
「主に対してなんて乱暴な……」
抗議の言葉を口にしたものの、アリエンスの顔には微塵も動揺の色はない。それどころか、毅然とした口調で告げられた。
「ファロンヴェイル子爵家の使用人が、至急お目通りを願っております」
その言葉にエヴァンスの眠気が一気に吹き飛んだ。
「ファロンヴェイル?アルヴィスのところのか」
「侍女のリタとステファンがホールにてお待ちです」
言いながらアリエンスは先ほどの出来事を思い返していた。
夕刻の、それも事前の訪問の知らせもない不躾な来訪者であったが、昨晩の一件について大まかな情報を既に把握していたアリエンスは緊急性を察し、二人を招き入れた。
とはいえ使用人を来客用のサロンに通すべきか一瞬迷ったが、侍女が「ホールの片隅で十分です」と申し出たのを聞き感心する。己の立場をわきまえつつも、主人に対する責務を何より優先するという揺るぎない決意が宿っていた。その態度は、アリエンスの胸に深く響くものがあった。
それはまさに、貴族に仕える者としての理想的な在り方だった。
「実に立派な使用人をお持ちだ。当家もそうありたいものですな」
「準備する、すぐ行くと言ってくれ」
昨晩の一件の後、アルヴィスに何かあったのかと不安が胸をよぎる。彼は痛む後頭部をさすりながら素早く立ち上がり、乱れた衣服を整えた。
耳に届いたのは、執事アリエンスの冷静な声だ。
いつも平坦で感情の起伏がまるきり感じられないしゃがれた声が、今はやけに強ばっている。
エヴァンスは目を薄く開けながら不機嫌そうに呻いた。
「なんだ」
せっかく夢も見ないでぐっすり眠っていたのに。
口うるさい執事の年季の入った皺だらけの面白みの欠片もない顔を見て起きるのは嫌だと、エヴァンスは追い払うように片手を振る。
「もう少し寝かしてくれ」
アリエンスが立つ反対方向へ、ごろりと体を移動させる。
「お客様です」
小ぶりな丸眼鏡のレンズが室内の微かな光を反射し、彼の鋭いくすんだ金色の瞳を際立たせていた。
七十をとうに超えているとは思えないまっすぐな背筋は、ぐだぐだと寝台の上で芋虫のように丸まる彼の主人とは対照的で、厳格さを言外に示しているかのようだった。
一向に起き出す気配のない主を見下ろして、アリエンスはきちんと整えられた白髭に染み一つない手袋を嵌めた指先で触れた。
主人の顔の方向に回り込むように向かえば、肩幅の広い細身の体にぴったりと合った漆黒の執事服に滑らかなしわが寄る。上着には滑らかなシルク素材が使われ、襟元には純白のネクタイが丁寧に結ばれていた。
足元には磨き上げられた黒い革靴が光り、彼がただそこに立つだけで部屋全体に張り詰めた空気が漂うほどの存在感を放っていた。
「エヴァンス様」
決して引こうとしない姿勢の執事にエヴァンスは枕に顔をうずめたまま、指先だけで指示をする。
「軍の人間なら追い返せって言っただろ。報告書は明日には提出するって伝えといてくれ……」
「お客様です」
「ぶわっ」
再び布団に潜り込むと、今度は容赦なく掛け布を剝がされ、反動で寝台から転がり落ちた。
ドン、という音と共に後頭部を床に打ち付け、思わず顔をしかめる。
「主に対してなんて乱暴な……」
抗議の言葉を口にしたものの、アリエンスの顔には微塵も動揺の色はない。それどころか、毅然とした口調で告げられた。
「ファロンヴェイル子爵家の使用人が、至急お目通りを願っております」
その言葉にエヴァンスの眠気が一気に吹き飛んだ。
「ファロンヴェイル?アルヴィスのところのか」
「侍女のリタとステファンがホールにてお待ちです」
言いながらアリエンスは先ほどの出来事を思い返していた。
夕刻の、それも事前の訪問の知らせもない不躾な来訪者であったが、昨晩の一件について大まかな情報を既に把握していたアリエンスは緊急性を察し、二人を招き入れた。
とはいえ使用人を来客用のサロンに通すべきか一瞬迷ったが、侍女が「ホールの片隅で十分です」と申し出たのを聞き感心する。己の立場をわきまえつつも、主人に対する責務を何より優先するという揺るぎない決意が宿っていた。その態度は、アリエンスの胸に深く響くものがあった。
それはまさに、貴族に仕える者としての理想的な在り方だった。
「実に立派な使用人をお持ちだ。当家もそうありたいものですな」
「準備する、すぐ行くと言ってくれ」
昨晩の一件の後、アルヴィスに何かあったのかと不安が胸をよぎる。彼は痛む後頭部をさすりながら素早く立ち上がり、乱れた衣服を整えた。
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