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第一章
16.アルヴィスの決断
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正直欲しい。
一にも二にもなく欲しい。
すぐにエヴァンスから受け取って、領地に飛んで帰り、じっくり観察して一つは標本に。一つは保管用に。一つは研究用に育てたい。
育てる前に、もう一度図鑑を取り出して調べ上げて、他の薬草学の研究者の本も片っ端から読んで万全の状態で取り掛かりたい。
ああ。こんなところで出会えるなんて思いもしなかった。
脳内でぐるぐると計画を妄想していると、ふと視線を感じてアルヴィスは顔を上げた。
艶やかな黒髪からのぞく涼やかな水色の瞳が、にこやかに細められてこちらを見下ろしていた。
「っ」
しまった。種のことで頭がいっぱいで、彼のことを忘れていた。
あるまじき失態にとても恥ずかしくて、さっと横を向いてしまう。
こんな美しい、とは男性には失礼かもしれないが、女性であるアルヴィスより数倍整った面立ちをしている男性を目の前に、どうしても気後れしてしまう。
エヴァンスも同じくらい整った容貌をしているが、長い付き合いなのでもう慣れてしまっている。
彼のような見目麗しい男性に夜会のパートナーとして一緒に来て欲しいと頼まれて、嫌だという女性はいないのではないだろうか。それこそ、アルヴィスにとっての薬草の種のように、一にも二にもなく飛びつきたいと思う女性は多いのではないだろうか。
そう思えば、ストンと何かの真実のように胸に広がった。
そうだ。
「泥かぶり」と社交界で揶揄されているような辺境の低い爵位の娘を、いくらなんでも親密な会合である限られた夜会のパートナーとして誘うのは、違和感がある。
エヴァンスは古くからの仲だが、セリウスと出会ったのは昨日が初めてだ。
アルヴィスはす、と冷静になった頭の中を整理するように、種のことを一度頭の外に追い出して確認するように口を開いた。
「種のことはとても魅力的だけど。でも、私なんかじゃなくてもっとふさわしい人がいるんじゃないかしら?」
パートナーは何も自分でなくてもいいはずだし、公爵家のエヴァンスなら他の知り合いを彼に紹介できるはずだ。身分と外聞に相応しい、釣り合いの取れた女性を紹介することは造作もない事だろう。
それなのに、なぜ自分に声をかけたのか。
アルヴィスが警戒するようにエヴァンスの藍色の瞳を見つめた時だった。
乱暴なノックと共にリタの声が部屋に響き渡った。
許可を得る間もなく、バタンと音を立てて開かれた扉から白いエプロンを戦闘服のように装着した侍女の姿が現れる。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
そう言ってワゴンを押すリタの表情はにこやかだったが、宿の厨房で何を耳にしたのか。アルヴィスの目には、彼女が烈火の如く怒っているような気配を察してたじろいだ。
「お茶を入れて差し上げますから。お飲みになったらさっさとお帰りになってくださいませ」
しまった、根回しを忘れた、と零れ落ちたひと言をアルヴィスは聞き漏らさなかった。
パッと椅子から腰を上げて立ち上がった青年に、鋭い瞳を向ける。
「根回し?」
「お嬢様。どうぞご安心ください。この私が絶対にお嬢様をお守り申し上げますから」
薄暗い笑みでリタは完璧な作法で紅茶をサーブしていく。
そうしながら来客を睨みつけ、お花、後でお持ち帰りいただけるよう申し付けておきますね、と一言。
女性に寒々と侮蔑の瞳を向けられるのが初めてでセリウスがあぐあぐと口を開閉させると、エヴァンスは苦虫を嚙み潰したような表情で、胃のあたりをさする。
最初から単刀直入に素直に全てをぶちまけて置けば、リタの逆鱗に触れることはなかったかもしれないがもう遅い。
「どういうこと?」
聡いお嬢様のことだ。何か引っ掛かりを覚えて即答は避けたのだろう。
そのおかげで時間が稼げたのはまさに神の采配。
自分にとって都合のいい神に心の中で感謝を述べ、お嬢様を安心させるようにリタはにこりと笑う。
それから、用意された茶器に手を伸ばすこともできず固まっているセリウスを一瞥すると、改めてお嬢様に紹介し直すように片手で示し口を開く。
「この方は一昨日、酒場などで大変な醜態をさらしてしまったようで、あちこちで噂になっているようです。夜会のパートナーをお探しなのも一緒に行ってくださる令嬢が見つからなかったからですわ。―――そうでしょうとも。醜聞に巻き込まれたくはありませんからねッ」
うちのお嬢様を醜聞隠しの盾に使おうとした貴族どもをリタは冷酷に睨みつけた。
こうなってはアルヴィスは手が付けられない。
リタはメイド服の白いエプロンに寄った皺を綺麗に直しながら、ゾッとするような笑顔でエヴァンス達を交互に見下ろした。自分の分を弁えた完璧な仕事人間であるリタがこんな無礼を働くのは初めてでアルヴィスは、落ち着いてというべきか、どういうことなのか説明してというべきなのか迷う。
その様子に、セリウスは一瞬悩むように唇を引き結んだが、やがて覚悟を決めたようにうなずいた。そして、慎重に言葉を選びながらアルヴィスに向き直った。
「クロフト嬢、恥を忍んでお願いがあります。どうか一夜だけ。私のパートナーとして出席していただけませんか?」
「お嬢様に失礼だとは思わないのですか?」
片眉を跳ね上げるリタに、セリウスは申し訳なさそうに顔を向けたが、それでも決意は固いとばかりにアルヴィスの目の前まで歩み寄る。
「一晩限り。どうか」
「ダメです。お嬢様は行きません。お断りさせていただきます」
「明日の一夜だけですね。わかりました」
「お嬢様!」
お人好しにもほどがあります!こいつらはお嬢様の人の好さに付け込んで、利用しようとしているんですよ!とリタは悲鳴を上げたが、アルヴィスは彼女の主人らしく首を左右に振って答える。
灰緑の瞳に強い意思を示すように光が走る。
「リヴェットフェルベの種をいただけるんですもの。受ける理由はそれで十分よ、リタ。―――ヘイウッド様。明日はよろしくお願い致します」
リタは膝から崩れ落ちた。
一にも二にもなく欲しい。
すぐにエヴァンスから受け取って、領地に飛んで帰り、じっくり観察して一つは標本に。一つは保管用に。一つは研究用に育てたい。
育てる前に、もう一度図鑑を取り出して調べ上げて、他の薬草学の研究者の本も片っ端から読んで万全の状態で取り掛かりたい。
ああ。こんなところで出会えるなんて思いもしなかった。
脳内でぐるぐると計画を妄想していると、ふと視線を感じてアルヴィスは顔を上げた。
艶やかな黒髪からのぞく涼やかな水色の瞳が、にこやかに細められてこちらを見下ろしていた。
「っ」
しまった。種のことで頭がいっぱいで、彼のことを忘れていた。
あるまじき失態にとても恥ずかしくて、さっと横を向いてしまう。
こんな美しい、とは男性には失礼かもしれないが、女性であるアルヴィスより数倍整った面立ちをしている男性を目の前に、どうしても気後れしてしまう。
エヴァンスも同じくらい整った容貌をしているが、長い付き合いなのでもう慣れてしまっている。
彼のような見目麗しい男性に夜会のパートナーとして一緒に来て欲しいと頼まれて、嫌だという女性はいないのではないだろうか。それこそ、アルヴィスにとっての薬草の種のように、一にも二にもなく飛びつきたいと思う女性は多いのではないだろうか。
そう思えば、ストンと何かの真実のように胸に広がった。
そうだ。
「泥かぶり」と社交界で揶揄されているような辺境の低い爵位の娘を、いくらなんでも親密な会合である限られた夜会のパートナーとして誘うのは、違和感がある。
エヴァンスは古くからの仲だが、セリウスと出会ったのは昨日が初めてだ。
アルヴィスはす、と冷静になった頭の中を整理するように、種のことを一度頭の外に追い出して確認するように口を開いた。
「種のことはとても魅力的だけど。でも、私なんかじゃなくてもっとふさわしい人がいるんじゃないかしら?」
パートナーは何も自分でなくてもいいはずだし、公爵家のエヴァンスなら他の知り合いを彼に紹介できるはずだ。身分と外聞に相応しい、釣り合いの取れた女性を紹介することは造作もない事だろう。
それなのに、なぜ自分に声をかけたのか。
アルヴィスが警戒するようにエヴァンスの藍色の瞳を見つめた時だった。
乱暴なノックと共にリタの声が部屋に響き渡った。
許可を得る間もなく、バタンと音を立てて開かれた扉から白いエプロンを戦闘服のように装着した侍女の姿が現れる。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
そう言ってワゴンを押すリタの表情はにこやかだったが、宿の厨房で何を耳にしたのか。アルヴィスの目には、彼女が烈火の如く怒っているような気配を察してたじろいだ。
「お茶を入れて差し上げますから。お飲みになったらさっさとお帰りになってくださいませ」
しまった、根回しを忘れた、と零れ落ちたひと言をアルヴィスは聞き漏らさなかった。
パッと椅子から腰を上げて立ち上がった青年に、鋭い瞳を向ける。
「根回し?」
「お嬢様。どうぞご安心ください。この私が絶対にお嬢様をお守り申し上げますから」
薄暗い笑みでリタは完璧な作法で紅茶をサーブしていく。
そうしながら来客を睨みつけ、お花、後でお持ち帰りいただけるよう申し付けておきますね、と一言。
女性に寒々と侮蔑の瞳を向けられるのが初めてでセリウスがあぐあぐと口を開閉させると、エヴァンスは苦虫を嚙み潰したような表情で、胃のあたりをさする。
最初から単刀直入に素直に全てをぶちまけて置けば、リタの逆鱗に触れることはなかったかもしれないがもう遅い。
「どういうこと?」
聡いお嬢様のことだ。何か引っ掛かりを覚えて即答は避けたのだろう。
そのおかげで時間が稼げたのはまさに神の采配。
自分にとって都合のいい神に心の中で感謝を述べ、お嬢様を安心させるようにリタはにこりと笑う。
それから、用意された茶器に手を伸ばすこともできず固まっているセリウスを一瞥すると、改めてお嬢様に紹介し直すように片手で示し口を開く。
「この方は一昨日、酒場などで大変な醜態をさらしてしまったようで、あちこちで噂になっているようです。夜会のパートナーをお探しなのも一緒に行ってくださる令嬢が見つからなかったからですわ。―――そうでしょうとも。醜聞に巻き込まれたくはありませんからねッ」
うちのお嬢様を醜聞隠しの盾に使おうとした貴族どもをリタは冷酷に睨みつけた。
こうなってはアルヴィスは手が付けられない。
リタはメイド服の白いエプロンに寄った皺を綺麗に直しながら、ゾッとするような笑顔でエヴァンス達を交互に見下ろした。自分の分を弁えた完璧な仕事人間であるリタがこんな無礼を働くのは初めてでアルヴィスは、落ち着いてというべきか、どういうことなのか説明してというべきなのか迷う。
その様子に、セリウスは一瞬悩むように唇を引き結んだが、やがて覚悟を決めたようにうなずいた。そして、慎重に言葉を選びながらアルヴィスに向き直った。
「クロフト嬢、恥を忍んでお願いがあります。どうか一夜だけ。私のパートナーとして出席していただけませんか?」
「お嬢様に失礼だとは思わないのですか?」
片眉を跳ね上げるリタに、セリウスは申し訳なさそうに顔を向けたが、それでも決意は固いとばかりにアルヴィスの目の前まで歩み寄る。
「一晩限り。どうか」
「ダメです。お嬢様は行きません。お断りさせていただきます」
「明日の一夜だけですね。わかりました」
「お嬢様!」
お人好しにもほどがあります!こいつらはお嬢様の人の好さに付け込んで、利用しようとしているんですよ!とリタは悲鳴を上げたが、アルヴィスは彼女の主人らしく首を左右に振って答える。
灰緑の瞳に強い意思を示すように光が走る。
「リヴェットフェルベの種をいただけるんですもの。受ける理由はそれで十分よ、リタ。―――ヘイウッド様。明日はよろしくお願い致します」
リタは膝から崩れ落ちた。
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