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第一章
01.甘酸っぱい液体 (改)
しおりを挟むアルヴィスはセリウスに背を向けると備品室へと足早に向かった。
「あの調子だと飲みやすい方がいいわよね」
飲み過ぎたと言っていた彼の顔色は控えめに言ってもあまりよくはない。苦い薬より、すっと飲みやすいシロップを薄めたものの方がよいかもしれない、と検討を付ける。
そうと決まれば、部屋の正面にあるシンクで蛇口をひねり、冷たい水で手を洗う。さっとタオルで拭いた後、隣の食器棚から小さなコップを取り出して同じように洗い、水を人差し指の半分ほど注いで作業用ワゴンに載せた。
「さてと、これと――」
薬品棚の前に立ち止まり、目線の高さの茶色い瓶を取り出す。続けて隣に並んだオレンジ色の瓶も取り出し、ラベルを確認してから作業台へと戻る。
作業台の上にはピカピカに磨かれたスプーンが銀色の金属の箱の中に用意されている。アルヴィスは手早く茶色い瓶の液体を三滴、コップに落とした。
そのあとオレンジ色の瓶を開け、スプーンに一杯分取ると、水にそっと沈める。
「はい、これでいいわ」
スプーンでくるくるとかき混ぜると、水はほんのり金色に変わり、ふわりと甘酸っぱいような、すっきりとした香りが立ち上る。アルヴィスは満足げに頷くと、完成した飲み物を銀色のトレーに載せ、軽い足取りで部屋を後にした。
診察室では、エヴァンスの診察椅子に座った青年が頭を抱えたまま動かない。アルヴィスはトレーをそっとテーブルに置き、青年の前にコップを差し出した。
「どうぞ。トールトリィシロップの水割りです。すっきりしますよ。少し甘めですが、少しすれば頭痛とむかつきが楽になると思います。ただ――次回は飲みすぎに気を付けてくださいね?」
アルヴィスの柔らかな微笑みとともに差し出されたコップを、セリウスは少し躊躇いながらも受け取った。
その視線が、透明なグラスの中で揺れる優しい橙色の液体に落ちる。
「甘いのは苦手ですか?」
ふわりと控えめに笑うアルヴィスの灰緑の瞳に移り込む間抜けな自分の姿を認めて、セリウスは諦めたようなゆるゆると首を左右に振る。
穏やかな表情でそれを受け取り、一気に薬を飲み干した。
甘いというより少し甘酸っぱい。人工的ではない優しい甘みと喉の奥が少しスッキリと温まるような液体だった。
「ありがとうございます。どうも久々にアルコールを摂取したので、体がついて行かなくて。見苦しいところをお見せしたようです」
恥ずかしそうに笑ってセリウスはふう、と目を閉じた。
ついさっきまであんなに最悪な気分と最悪な体調だったのに、頭痛も吐き気もまだしぶとく残っているが、そんなことまるで存在しなかったかのように心穏やかな気分だ。
二十七にもなってこの体たらく。兄が聞いたら何というだろう。いや、指を差して笑い転げるに違いない。
もういっそのこと、このまま眠ってしまいたい。
そういえば、昨日は仲間たちに引きつられられ「失恋おめでとうパーティー」を開催されて。それで。
「あの。差し出がましいとは思うのですが、隣の診察室でお休みになってはいかがですか?まだ顔色も良くないようですし。私はあちらで仕事の続きをしてから帰りますので、どうぞお気になさらないでくださいね」
では、お大事に。
ペコリ、と頭を下げるとセリウスが唖然とする横を通り過ぎて、伝票を作るために隣の事務室に向かった。
******
納品数と発注数に間違いがないかをしっかり確認し、未処理と刻印された木の箱の中に書類を入れると、事務机の右上の引き出しを開ける。中には「アルヴィス」と印がされた布の平たい包みがあり、中を開けると既に記された領収書とピッタリの金額のお金が入っていた。お釣りがないよう、不在時でも二度手間にならないように事前準備をしてくれるのはいつもながらとてもありがたいことだ。
念のためもう一度金額を確かめてから、銀貨一枚と銅貨三枚を仕事用の財布の中に入れる。仕事用の斜めがけの布鞄の中に財布をしまってから、ふと壁掛けの大きな時計を見やれば、あっという間に一時間が過ぎたようだった。
それにしてもそろそろ10時の開院の時間のはずだが、エヴァンスはまだ戻らないのだろうかと小首をかしげる。事務室を出て左手側にある通路の先の診療所の待合室はがらんとしていて人の気配がない。
(そういえば、あの人は大丈夫だったのかしら)
少し心配になり、帰りがけに見ていくことにした。
窓際の端っこのベッドに黒髪のとても美しい青年が眠っていた。
艶やかで絹のようなさらさらとした黒髪が、光を受けて水面のように反射しているような気さえした。
規則正しく呼吸をしているようで、意外と筋肉質そうな上半身の胸元が緩やかに上下している。
はだけた衣類はそのままだが、来院した時あれだけ顔と体中についていた口紅は衣類にはついているものの、皮膚からはほとんどなくなっていた。
すさまじい程のお酒の匂いを漂わせてふらふらの様相でやってきた割に、見かけに反してとても紳士的だった青年の姿を思い出して、アルヴィスは緩やかに笑った。明日王都を離れる前にエヴァンスのところによる予定があるから、その時今日のことを話してみよう。どのみちしばらくは王都に訪れる予定はないのだから。
窓から入り込んだ明るい太陽の光が少し眩しそうで、お節介かとは思いつつ、薄手のレースのカーテンを引いてあげる。そうすると、僅かに眉間に寄っていた皺がふっとほぐれて、柔和な寝顔で寝返りを打った。
随分と深く眠っているのか、こちらの気配には気づいていないようだ。
アルヴィスは安堵して、彼に背を向ける。
今日はこれから一度宿屋に戻って仕事道具を置いてから、必要なものを買い足して明日領地に帰る予定だ。大切に育てている薬草園の薬草たちは不在の間は屋敷の家令たちが管理をしてくれているので安心だ。
「まずは書店、それから薬草屋に行って。マリーへのお土産も忘れないようにしなくちゃね」
こんな自分に仕えてくれる家族同然の大切な使用人たち一人一人の顔を思い浮かべながら、アルヴィスは軽やかに歩き出した。
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