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蛇足ですが!
しおりを挟む蛇足。
いや、もう、書き足さんでええやん。
書き足さん方が、あっ。あっ。あー、あーあ。
最初の方がえかったのに。
そう思いながら、書き足したり、言わなきゃいいのに言っちゃったり(余計な一言)。
イメージ崩れるやん?
え?そんな人やったん?
とか思われる決定打に繋がる「蛇足」。
日常の様々な場面で感じる、そうした個人観測的な「ちょっとした余計なこと」をつらつら書き連ねていくエッセイとなります。
*****************
何故このタイトルにしたかというと、色々な思いはあるのですが、小説を一本最初から最後まで何とか書き終えて思ったのが、この「蛇足的なもの」結構ジレンマ抱えることになるよね、という気づきからでした。
というのも、「ここはこう進行して、ここに繋げたいから、こういう説明を・・・・ウホ、なんかこう、まどろっこしくなるなぁ。じゃあ、こっちの方を、こうして。これは後に持ってきて。ウホ。これもなんかくどくない?」
そういう、豚骨スープの中に牛乳をぶっ込んでいるかのような、何ともこってりしすぎた「蛇足」感がひょっこり現れては消え、消えてはまた現れるというようなことを体験しました。
説明が多くなる場面だと、全体を見渡した時。
「これって、誰得?(むしろ俺得?)」
的な何とも言えない雑味感を感じたり。これは私がひとえに未熟者だから、なのは言うまでもないのですが、全部細かく書こうとすると、「誰得」を強く感じてしまうジレンマに陥ってしまうということなんです。
この、「ん?」ちょっと回りくどいよね、という蛇足感を何故気にしているか、というとですね。
もう古墳時代くらいの話になってしまうかと思うのですが、昔々、まだインターネットというものが普及し切っておらず、スマホもなければYouTubeもない、そんな時代のことです。
「小説家になろう」的な本を読んだ時のことなんですがね、
「中学生にもわかるような言葉で書き、中学生にもわかるようなストーリー展開が全ての基本」とあったわけなんです。ちょっと詳細を忘れてしまったんですが、当時確か、富士見書房さんから出ていたうろ覚えな記憶があります。
私は地方ド田舎在住なので、東京とかは「怖くて行けない民」というチキンなのですが、私が高校くらいの頃、小説家養成講座的なものが東京の方であったらしいです。その時の講演文書からその本が出版された、というような経緯だったと思うのですが。
ともあれ、その「小説家になりたい人が読む本」的な本の一番最初の方のページ。物語を作るうえで何が重要なのか、という点について上記が挙げられていたのを、いみじくもずっと覚えているということが「蛇足」に繋がるわけなんです。
私は大学の頃、塾の講師と小論文の添削と家庭教師をしていたのですが、その時、学習指導計画を一緒に考えてくれる社員の先生が「難しい言葉で伝えるのは自己満足。伝えるのなら、わかりやすく、相手に届く言語で教えないとだめだよ」とご教授くださいました。
難しい言葉や表現を知ると、中二病を拗らせている私はそうした言葉を使い違って、「今日も平和を守ったぜ(嘘)」なんて思ってしまうのでありますが、確かにそうだなぁと思いました。
言語レベルが同じくらいの人には同じような言語や意図が伝わるけれど、自分しか知らない単語だけで伝えようとするのは、確かに「伝える」ということを踏まえると難しいのかもしれないなぁ、と思い至ったわけなのです。
表現や語彙のレベル、文章の組み立て方の癖やリズム、習熟度は人それぞれだと思うのですが、読み解くのが難解な物語を小難しい表現だけで(だけで!)展開していると、「自分だけマラソン」をぼっちで走って、仲間は別のマラソンをやっているなんてこともあるかと思うのです。
けれど、単純に組み立てるばかりでは面白みがないので、自分の癖をうまく使いながら、「伝える」ということをしていく方が結果的に「伝わりやすさ」という側面から見た時、わかりやすい物語が組み立てられるのかしら?と思ったりします。
まさに蛇足なお話でした。
**************
気が付けば今年もあと8日。
今年は本当に色々なことがありました。
昨年末、テレビが急に壊れたことを皮切りに。
1月にはキッチンの水回りが漏水しててんやわんや、同時に洗濯機が爆発して壊れ(爆発!)、年末に買い替えたばかりのテレビが壊れ、電子レンジは調子が悪くなり(まだ使える)、掃除機はうっかり旦那が壊しました(でもまだ使える)。
気が付いたら5月を抜け、ようやく6月というところで持病の喘息で倒れ、ようやく回復した8月はうだる暑さに、もう何もしたくない症候群でした。
比較的穏やかに過ごした秋?は暑く、冬来ないね、アハハなんて油断していたら、もう一台のテレビが壊れた10月下旬。同時にインフル、コロ○に順繰りに感染し、そして消え去ったはずの喘息が再び再発して、今、心静かに年末に向かって大掃除をはじめています。
ああ。今年も色々あったな。
来年はどうか、どうか。
健康で安心して暮らせますように。
いや、もう、書き足さんでええやん。
書き足さん方が、あっ。あっ。あー、あーあ。
最初の方がえかったのに。
そう思いながら、書き足したり、言わなきゃいいのに言っちゃったり(余計な一言)。
イメージ崩れるやん?
え?そんな人やったん?
とか思われる決定打に繋がる「蛇足」。
日常の様々な場面で感じる、そうした個人観測的な「ちょっとした余計なこと」をつらつら書き連ねていくエッセイとなります。
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何故このタイトルにしたかというと、色々な思いはあるのですが、小説を一本最初から最後まで何とか書き終えて思ったのが、この「蛇足的なもの」結構ジレンマ抱えることになるよね、という気づきからでした。
というのも、「ここはこう進行して、ここに繋げたいから、こういう説明を・・・・ウホ、なんかこう、まどろっこしくなるなぁ。じゃあ、こっちの方を、こうして。これは後に持ってきて。ウホ。これもなんかくどくない?」
そういう、豚骨スープの中に牛乳をぶっ込んでいるかのような、何ともこってりしすぎた「蛇足」感がひょっこり現れては消え、消えてはまた現れるというようなことを体験しました。
説明が多くなる場面だと、全体を見渡した時。
「これって、誰得?(むしろ俺得?)」
的な何とも言えない雑味感を感じたり。これは私がひとえに未熟者だから、なのは言うまでもないのですが、全部細かく書こうとすると、「誰得」を強く感じてしまうジレンマに陥ってしまうということなんです。
この、「ん?」ちょっと回りくどいよね、という蛇足感を何故気にしているか、というとですね。
もう古墳時代くらいの話になってしまうかと思うのですが、昔々、まだインターネットというものが普及し切っておらず、スマホもなければYouTubeもない、そんな時代のことです。
「小説家になろう」的な本を読んだ時のことなんですがね、
「中学生にもわかるような言葉で書き、中学生にもわかるようなストーリー展開が全ての基本」とあったわけなんです。ちょっと詳細を忘れてしまったんですが、当時確か、富士見書房さんから出ていたうろ覚えな記憶があります。
私は地方ド田舎在住なので、東京とかは「怖くて行けない民」というチキンなのですが、私が高校くらいの頃、小説家養成講座的なものが東京の方であったらしいです。その時の講演文書からその本が出版された、というような経緯だったと思うのですが。
ともあれ、その「小説家になりたい人が読む本」的な本の一番最初の方のページ。物語を作るうえで何が重要なのか、という点について上記が挙げられていたのを、いみじくもずっと覚えているということが「蛇足」に繋がるわけなんです。
私は大学の頃、塾の講師と小論文の添削と家庭教師をしていたのですが、その時、学習指導計画を一緒に考えてくれる社員の先生が「難しい言葉で伝えるのは自己満足。伝えるのなら、わかりやすく、相手に届く言語で教えないとだめだよ」とご教授くださいました。
難しい言葉や表現を知ると、中二病を拗らせている私はそうした言葉を使い違って、「今日も平和を守ったぜ(嘘)」なんて思ってしまうのでありますが、確かにそうだなぁと思いました。
言語レベルが同じくらいの人には同じような言語や意図が伝わるけれど、自分しか知らない単語だけで伝えようとするのは、確かに「伝える」ということを踏まえると難しいのかもしれないなぁ、と思い至ったわけなのです。
表現や語彙のレベル、文章の組み立て方の癖やリズム、習熟度は人それぞれだと思うのですが、読み解くのが難解な物語を小難しい表現だけで(だけで!)展開していると、「自分だけマラソン」をぼっちで走って、仲間は別のマラソンをやっているなんてこともあるかと思うのです。
けれど、単純に組み立てるばかりでは面白みがないので、自分の癖をうまく使いながら、「伝える」ということをしていく方が結果的に「伝わりやすさ」という側面から見た時、わかりやすい物語が組み立てられるのかしら?と思ったりします。
まさに蛇足なお話でした。
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気が付けば今年もあと8日。
今年は本当に色々なことがありました。
昨年末、テレビが急に壊れたことを皮切りに。
1月にはキッチンの水回りが漏水しててんやわんや、同時に洗濯機が爆発して壊れ(爆発!)、年末に買い替えたばかりのテレビが壊れ、電子レンジは調子が悪くなり(まだ使える)、掃除機はうっかり旦那が壊しました(でもまだ使える)。
気が付いたら5月を抜け、ようやく6月というところで持病の喘息で倒れ、ようやく回復した8月はうだる暑さに、もう何もしたくない症候群でした。
比較的穏やかに過ごした秋?は暑く、冬来ないね、アハハなんて油断していたら、もう一台のテレビが壊れた10月下旬。同時にインフル、コロ○に順繰りに感染し、そして消え去ったはずの喘息が再び再発して、今、心静かに年末に向かって大掃除をはじめています。
ああ。今年も色々あったな。
来年はどうか、どうか。
健康で安心して暮らせますように。
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