27 / 39
第3章
第27話.切り裂かれた運命
しおりを挟む「兄さん、あの――」
言いかけた瞬間、ジェイドがペンを置き、椅子の背もたれに体を預けながら何でもないことのように口を開いた。
「オークションなら、中止になった」
「へ?」
不意を突かれたハリエットは、言葉の意味を飲み込めずに瞬きをする。
ジェイドは書類を片手に、書きかけの伝票へ再びペンを走らせた。だが、その横顔はどこか硬い。いつもなら軽妙で、余裕すら感じさせる兄の表情に、何かを隠しているような緊張が滲んでいる。
「私が、寝ていたから、参加できなかった?」
だがそれよりも――。
あの南洋の海のような軽薄な瞳を持つ男はどこへ行ったのだろう。
起きてから一度も姿を見ていないことに、胸の奥がざわめく。赤の他人のはずだった。出会ったばかりの頃は、なし崩しの偶然で自宅に泊めただけの関係に過ぎなかった。だというのに、数日間を共にした時間が濃厚すぎて、いつの間にか、すぐそばにいるのが当然のような感覚に陥っていた。
いない、という事実が、思いのほか心の隙間を刺激する。
彼は――どこに行ったのだろう。
「違う」
ハリエットの危惧を掬い取ったかのように、兄は感情のこもらない平坦な声音でこちらが懸案事項を尋ねる前に応えた。
「……私、どのくらい寝ていたの?」
言葉を絞り出すように問いかけた瞬間、鋭い痛みが頭の奥を突き刺した。まるで鍵のかかった引き出しの奥底から、記憶の断片が無理やりこぼれ出そうとするかのように。ハリエットは思わずこめかみに手を当て、眉間にしわを寄せながら、必死に思い出そうとする。
カウンター越しに立つジェイドは、そんな妹の様子をちらりと見たが、何も言わずに手元のペンを指でくるくると回し始めた。カチカチと小さく乾いた音が、店内の静寂に微かに溶ける。言うべきか、黙っておくべきか――そんな葛藤が、兄の表情に滲んでいるのがわかった。
「兄さん」
「……三日だ」
ジェイドがふっと溜め息をつき、鋭い金蜜色の瞳をまっすぐにハリエットへ向ける。その視線は、どこか苛立ちと焦りを帯びていた。
「三日?」
自分の声がひどく遠くに聞こえる。まるで時間の感覚がずれてしまったようだった。三日も眠り続けていたなんて――。ゆっくりと呼吸を整えながら、カウンターの上にそっと書類を置く。艶やかに磨かれた木製の縁に指先を這わせると、ひんやりとした感触が肌を伝い、少しだけ現実に引き戻された気がした。
「じゃあ、やっぱり……私が寝ている間に、オークションが……」
「それとこれとは関係ない」
ジェイドはそう言いながら、視線をペンの先へと戻す。
「――ティアーズのオークションは中止になった。それはお前が気にするようなことじゃない」
「どういうこと?」
理解が追いつかず、思わず一歩踏み出す。するとジェイドは手の中のペンを軽く放り投げ、長く細いため息を吐いた。その後、静かに椅子に寄りかかりながら、やや気難しげな顔でハリエットを見上げた。
「爆破予告が出た」
「――っ!」
「犯人が見つかるまで、あるいは安全が確保されるまで再開の見込みは立っていない」
衝撃的な言葉に、ハリエットは思わず息を飲んだ。
オークションが、中止。
それだけでなく、爆破予告まで――?
「そんな……」
驚きと戸惑いに満ちた声が、無意識に口をついて出る。
ジェイドは「だから言いたくなかったんだ」とでも言うような表情で、肩をすくめた。
考えがまとまらないまま、ふと店内を見渡す。
変わらない光景だった。アンティークの家具たちは、相変わらず静かにそこに佇み、正午過ぎの日差しがショーウィンドウ越しに差し込んでいる。通りを行き交う人々の姿も、いつもと同じように穏やかで、何事もないかのようだった。
しかし――この数日、身辺を賑やかせていたはずの彼の姿が、どこにも見当たらない。
「兄さん……彼は……」
ハリエットがようやくその問いを口にしかけた瞬間――。
カラン、コロン。
乾いた音を立てて、店の扉が開いた。
「アルフレッ――」
とっさに顔を上げ、扉の方へと目を向ける。だが、そこに立っていたのは予想していた人物ではなかった。
背後に黒服の男たち二人を従え、珍しく焦りを浮かべた様子で大股にこちらへ歩み寄ってくる紳士――ヘンリーだった。
「ヘンリー」
ジェイドが片手を軽く上げ、気安げに挨拶を送る。しかし、ヘンリーはそれにほとんど応じることなく、まっすぐハリエットへと視線を向けた。
「落ち着いて聞いてほしい」
その声には、はっきりとした緊張が滲んでいた。
「――指輪が盗まれた」
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる