<奨励賞>鑑定士ハリエットと失われた記憶の指環

雲井咲穂(くもいさほ)

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第2章

第20話.二枚舌の女

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 骨董店の重い扉を押し開けると、カランコロン、と涼やかな音がした。外よりも随分あたたかな空気がハリエットの頬を撫る。

 店内は薄暗く、歩くと木目の床が靴音を柔らかく吸い込んでいった。

 奥から人の話し声が静かに響き、その方向へと目を向けると、カウンターの位置に兄のジェイドが立っていた。上ずったような声に、何か焦りを感じているのか。内容までは聞こえないが、窮地に立たされたネズミのような情けない声がわずかに聞こえる。

 誰と話しているのだろう、と目を凝らせば、明るいブロンドの髪が視界に映る。天井灯のオレンジの光を受けてその髪が淡く輝き、少し暗みを帯びた店内の中で、鮮やかに浮かび上がっている。

(……彼女だわ)

 ひと目でわかった。

 理解すると同時に、胸の奥に浮かんだかすかな重苦しさに、ハリエットは小さく息を吐く。

(これ以上の厄介事は本当に勘弁してほしい。朝から気を使いすぎて、もうへとへとよ)

 表情には出さないよう努めながら嘆息すると、アルフレッドが声をかけてきた。耳元で彼の耳にすっと入る低い声が聞こえる。

「どうした?」

 心配そうに覗き込んでくる体温に気づき、ハリエットは慌てて笑顔を作った。何か返そうと口を開きかけると同時に、兄のジェイドが声を張り上げた。

「ハリエット! 戻ったのか!」

 その呼びかけには、どこか助けを求めるような響きが混ざっていて、切実な訴えのようにも聞こえる。

「ハリエットって言ったの?」

 女性の滑らかで少し高い声が次いで耳に届く。

 ハリエットが反応するより早く、ブロンドの女性がゆっくりと体を動かす。

 人形のように美しい艶やかなブロンドが滑らかに動き、程よく焼けた健康的な顔色が顕になる。ぱっちりとした二重の双眸にライトグレーの瞳を輝かせ、すっきりとした鼻梁の下の赤い唇を月のように歪めた。

「はぁい、お邪魔してるわよ、久しぶり」

 軽やかな笑みを浮かべ、片手をひらひらと振る女性。

 彼女の名はミレーユ・ブラッシュフォール。

 ――ハリエットの幼馴染だった。

 そして、ハリエットにトラウマを刻み込んだ張本人だった。





 ******




 ようやく助けが来た、とばかりに兄は「自分は配送の手配がある」とハリエットに事後処理を押し付け、止める暇もないまま疾風の如く店を出て行ってしまった。

 取り残されたハリエットたちはしばし呆然と立ち尽くしていたが、カウンターに座るミレーユが大仰に手を振り、こちらに来るように声をかけてきた。その声に従って、ミレーユの隣にアルフレッド、アルフレッドの斜め手前のコンソールテーブルの横の椅子に、二人に向き合う形でハリエットという奇妙な構図で三人が居並んでいる。

 ミレーユとアルフレッドは簡単な挨拶と自己紹介を取り交わし、その流れで雑談が続いていた。

「今日はどうしてハリエットと一緒にいたの?」

 頬杖を突きながら、紅の引かれた唇を美しく開いて、ミレーユが不思議そうに尋ねた。アルフレッドは天気の話でもするように、にこりと微笑みを返し答える。

「オークションの下見にね」
「へぇ、すごい! お金持ちなのね」
「大富豪と比べるほどはないけど、君よりはありそうだね」
「まぁ、ひどい人!」

 アルフレッドの背中を親し気に指先で触れながら、ミレーユが目を細める。

 この様子をずっと眺めているのもばからしくなり、ハリエットはどう話を切り上げようか迷っていたところだった。

「ハリエットとは昔からの友達なの?」

 急に変化球を投げてきたアルフレッドに顔をしかめると、ミレーユが小さく頷いた。

「いつからだったかしら?」
「十年くらいと思うわ。あなたがここに来てからの仲だもの」

 しぶしぶ返事をすると、ミレーユは「そうだったわね」と相槌を打ち、やや間を置いてからハリエットに目を向ける。

「でも、変わらないわね。ハリエット、あなたは、――昔から……特別だったもの」

 ――その言葉にハリエットは、心臓が一瞬止まるような感覚を覚えた。

「特別?」

 アルフレッドが疑問を含んだ声をあげる。

「そう。……何て言えばいいのかしら、不思議なことがよく起きたのよね。ね、そうでしょ?」

 視線が絡む。

 鋭く突き刺さるようなミレーユの瞳に、ハリエットは息を呑んだ。

「一緒に物を探していたら、信じられない場所からすんなり出て来たり。失せ物探しはお手の物だったわよね?」

(――やめて。その話をしないで)

 心の中でそう叫ぶも、ミレーユの口角が悪戯っぽく上がる。まるでハリエットの心の中を見透かしているように、的確にナイフを穿ってくる。

「それに、恋愛の相談もよく受けてたっけ? あなたに相談すると、みんなうまくいくんだから、クラスでは結構人気者だったわよね」

 小さく足が震えだす。

 どうか気づかれませんように、と表面上の笑顔だけ顔に張り付けて、ハリエットは冷や汗が背中を伝っていくのを感じていた。

 どうにか彼女の口を止める「自然な」手段はないかと必死で思考を巡らせる。けれど、ミレーユの言葉が雪崩のように思考を翻弄し、どう切り返し、どう会話を止めたらよいかわからず、ハリエットはますます混乱した。

「本当に、驚きの連続だったわ。中でも一番驚いたのは、あなたの手――」

 うっとりとミレーユはハリエットの手袋を指差しながら、首を少し傾げる。

 まるで秘密を暴いてやるとでも言わんばかりの動きに、ハリエットは声を上げそうになった。

「――ところで、ミレーユ。君はどうしてここへ? 骨董に興味があるの?」

 アルフレッドは、懐中時計を人差し指で無造作に回しながら、静かに言葉を発した。

 その穏やかな声が部屋に響くと、瞬時に空気が変わるのが感じ取れた。張り詰めていた緊張感が、まるで一瞬で霧散するような感覚。

 アルフレッドは懐中時計のフレームをじっと見つめながら、まるで会話に興味がないかのように握り込んだ。



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