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一話 下
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「それはちょっと困るよ」
盗みに入ったあっしに、あの人は静かにそう声をかけましてきやしてね。
いや、老いたりとはいえあっしも子鼠のネロと呼ばれた盗人でさあ。
盗人風情が何を調子にのってやがる、と思われるでしょうが犯さず、殺さず、貧しきからは盗らずを守ってきたんで。
……あっしが大した奴だって? へへ、ありがとうございやす。 こいつはちょっと照れやすね。
おとと、もったいねえ。
男としてはかみさんやら色々こぼしてきやしたが、酒だけはこぼすわけにゃいきませんや。
おっと、勇者様の話でやしたね。
犯さず、殺さず、貧しきからは盗らずの盗人の三禁ですが、最近はめっきりこいつを守る昔ながらの連中も少なくなりやした。
馬鹿みたいに刃物振り回して、殺しちまえば後腐れはないですからね。
ついでに役得もあるとくりゃあ、若いモンはそっちを選びますわな。
でもね、お天道様にゃ顔向け出来ないあっしらみたいな裏家業のもんが、真面目にお勤めしてる方々に泥つけるのは、許される事じゃないでしょうよ。
……なんでまた勇者様の家に入ったのかですって?
勇者様といえば大層なお方じゃないですか。
三年前、魔王を討って世の中に平和をもたらした上、その後も王都の畜生働きをする糞どもを次々と火炙りにする働きっぷりは頭が下がるってもんです。
あっしのように生まれてこの方、裏街道しか歩けないような日陰者にはまぶし過ぎるんでさあ。
だから、ちょいとばかり悪戯をしてみたくなりましてね。
ここから聞くも涙、語るも涙の仕込みの日々があったんですが……え、聞きたいんですかい?
いやいや、あっしもこれでおまんま食ってますから。
おとと、あぶねえあぶねえ、こぼす所だった。
……そんなに聞きたいんですかい?
あっしはそんな大した事は出来やしませんぜ。
屋敷の使用人連中と仲良くなってですね、まぁ屋敷の間取りやら警備やら聞き出しますわな。
勇者様はリヴィングストンの家に婿入りしたそうですが、まぁどんなにでかい家でも口の軽い奴はいるもんです。
……金でも渡すのかって? そいつはちょいと悪い手でさあ。
金を渡して警備の話を聞こうとする奴なんぞ、怪しすぎじゃねえですか。
時間をかけてゆっくりと、自然に話を聞くのが大事なんですわ。
一年ばかりかけて、じっくりと調べる根気ってのが必要なんですな。
あとはまあ塀を乗り越えて、忍び込む度胸がありゃあ盗人は勤まりますわ。
それが出来る若いモンがおらんのですが、どうですかい? 盗人になってみるのは。
……うーん、もったいねえなあ。 絶対、いい盗人になれると思うんですがねえ。
おっと。 とにかくあっしがね、子鼠なんて呼ばれてるのは、それだけ調べるのを大事にしてるからなんですよ。
あらかじめ調べるだけ調べて、鼠みてえにどこにでもするすると入っちまうわけです。
実はね、大きな声じゃ言えませんが若い頃にはお城にも入った事がありやしてね。
王様の寝顔見てきやしたが、よく考えればいい年したジジイの顔見た所で何が楽しいって話でしたわ。
しょうがねえから、王様の便所でションベンして帰ってきましたわ。
それだけにあっし、自分の腕にはちょいとばかり自信を持ってたんで。
だからね、屋敷に入ってどのくらいかなあ。
まぁ半刻もしてやしませんでしたね。
何か盗んだらすぐに気付いてもらえるもんを探してた時で……勇者様の所に盗みに入ったのは、金のためじゃないですからね。
なんぞ大事にしてるモンを盗って、何日かしたら返しに行こうと思ってやした。
ここだけの話ね、あん時は生きるのに疲れてたんでさあ。
あっしの弟子、まぁ盗人にも師匠がいりゃ弟子もいるんですわ。
その弟子が馬鹿な喧嘩をして馬鹿な死に方をしまして、ほとほと生きるのに疲れたんで。
ああ、このあっしの技もこれでおしまいか。
こうなったら勇者様のお手を煩わす事になりますが、魔王を斬ったその剣の冴えをあっしの身体に教えてくれないもんかと思いましてね。
魔王なんて大層なモンと、ケチな盗人のあっしが同じ所に立てるんだから、そん時は面白く思ったんで。
おとと、ありがとうございやす。
しかし、酒の注ぎ方が下手ですな。
これじゃあ嫁の貰い手が……いざという時は盗人にでもなるかって?
ジジイの冗談を真に受けてどうするんですかい、あんたいい所の……こりゃたまげた。
そりゃあっしの財布じゃないですかい。
この家業長い事やってますが、財布盗られたのは初めてですな。
こりゃ参った。 降参ですわな。
あっしも財布返しますから、そいつを返してやもらえませんかね?
……へへへ、あっしもなかなか捨てたもんじゃないでしょう?
昔、剣聖とか呼ばれる前のアラストール様からも擦った事がありましてね。
いや、しかし、すげえのは勇者様ですわ。
適当にを見繕ってよし、こいつにしようか、と銀細工の綺麗なブローチを頂こうと決めた時、
「それはちょっと困るよ」
と、声かけられたんでさあ。
いやもう、あっし口から肝が出そうなくらいにたまげましたわ!
どうして気付いたんだ!なんて、逃げるよりもそればかりが気になりまして、つい口に出したんですけどね。
「なんとなく、かな。 それは妻の母親の形見だから、勘弁して欲しい」
いやもう逃げようなんて気はまったく思いませんでした。
魔王を倒しただけの事はありますわな。
ただ立ってるだけで、もう逃げられないのがよくわかりました。
なんというか、あっしがどう動こうが先を取られるのがわかっちまいましてね。
これは参った、降参だ。
気分はまな板の上の魚人ですわ。
そこからがまた勇者様の勇者様たる所以なんでしょうね。
泥棒と話した事はないから、ちょっと話さないか?というわけですよ。
酒を一本持ってきて、あっしに酌までしてくれて……魔王にも勇者様は酌をした?
ははは、こりゃ愉快だ!
あっしも偉くなったもんですな!
どうにもこうにもあっしは、勇者様に参っちまったんでさあ。
腕前だけじゃなくて、人としての器ってやつですわな。
そういや、これが勇者様から盗んだ財布でしてね。
……え、いやですねえ。
盗人は惚れたからこそ、盗むんですわ。
昨晩の事を、私は思い出していた。
「何とも面白いジジイだったな」
品はないが、下品ではなかった。
盗人の道も極めれば、人間に味が出るのか。
私のように道至らぬ人間とは、出来が違うものだなあ。
「どうしてあんな泥棒を放っておくんですか! 衛兵に突き出しましょうよ、お嬢様!」
未だ幼さの残る頬を赤く染め、爺がぷりぷりと怒り狂っている。
なんとも未熟な私の従者に相応しい有り様ではないか。
「あれを捕まえた所で、すぐに脱け出してしまうさ」
私から気付かれずに財布を抜き取るとは、どれだけの腕前やら。
飲み屋で飲んでいる時とはいえ、一度抜かれたのだからと気を張っていたはずなのに、再び抜かれてしまった。
まぁ抜き返したのだから、おあいこだがな。
中身は私の方が少なく、多少申し訳のない事をした気がするが。
「ところでお嬢様、これからどちらへ向かうんですか?」
「そうだな」
青い空に白い雲、地は広がり、私の前には遥か遠くへと続く道が伸びている。
左右を見回してみれば、街の外に広がる小麦畑は金色に輝き、良民達が笑顔を浮かべ嬉しそうに働いている。
「話に出たのと何かの縁だ。 リョウジの所へ行こうか」
「ならマゾーガとも久しぶりに会えますね」
兄と一緒にマゾーガは、リョウジの下で働いているらしいし、彼らと会うのは三年ぶりになるのか。
「ああ、楽しみだな」
収穫の時を迎える良民達が今の私と同じ気持ちならば、これは何ともたまらない気分だろう。
恋をしているかのように胸が高鳴り、宵闇の中で逢瀬を待つかのように甘い疼きが走る。
話を聞いているだけで更に腕を上げたらしいリョウジと、再び出逢うと考えただけで、こんな有り様だ。
「本当に、楽しみだ」
盗みに入ったあっしに、あの人は静かにそう声をかけましてきやしてね。
いや、老いたりとはいえあっしも子鼠のネロと呼ばれた盗人でさあ。
盗人風情が何を調子にのってやがる、と思われるでしょうが犯さず、殺さず、貧しきからは盗らずを守ってきたんで。
……あっしが大した奴だって? へへ、ありがとうございやす。 こいつはちょっと照れやすね。
おとと、もったいねえ。
男としてはかみさんやら色々こぼしてきやしたが、酒だけはこぼすわけにゃいきませんや。
おっと、勇者様の話でやしたね。
犯さず、殺さず、貧しきからは盗らずの盗人の三禁ですが、最近はめっきりこいつを守る昔ながらの連中も少なくなりやした。
馬鹿みたいに刃物振り回して、殺しちまえば後腐れはないですからね。
ついでに役得もあるとくりゃあ、若いモンはそっちを選びますわな。
でもね、お天道様にゃ顔向け出来ないあっしらみたいな裏家業のもんが、真面目にお勤めしてる方々に泥つけるのは、許される事じゃないでしょうよ。
……なんでまた勇者様の家に入ったのかですって?
勇者様といえば大層なお方じゃないですか。
三年前、魔王を討って世の中に平和をもたらした上、その後も王都の畜生働きをする糞どもを次々と火炙りにする働きっぷりは頭が下がるってもんです。
あっしのように生まれてこの方、裏街道しか歩けないような日陰者にはまぶし過ぎるんでさあ。
だから、ちょいとばかり悪戯をしてみたくなりましてね。
ここから聞くも涙、語るも涙の仕込みの日々があったんですが……え、聞きたいんですかい?
いやいや、あっしもこれでおまんま食ってますから。
おとと、あぶねえあぶねえ、こぼす所だった。
……そんなに聞きたいんですかい?
あっしはそんな大した事は出来やしませんぜ。
屋敷の使用人連中と仲良くなってですね、まぁ屋敷の間取りやら警備やら聞き出しますわな。
勇者様はリヴィングストンの家に婿入りしたそうですが、まぁどんなにでかい家でも口の軽い奴はいるもんです。
……金でも渡すのかって? そいつはちょいと悪い手でさあ。
金を渡して警備の話を聞こうとする奴なんぞ、怪しすぎじゃねえですか。
時間をかけてゆっくりと、自然に話を聞くのが大事なんですわ。
一年ばかりかけて、じっくりと調べる根気ってのが必要なんですな。
あとはまあ塀を乗り越えて、忍び込む度胸がありゃあ盗人は勤まりますわ。
それが出来る若いモンがおらんのですが、どうですかい? 盗人になってみるのは。
……うーん、もったいねえなあ。 絶対、いい盗人になれると思うんですがねえ。
おっと。 とにかくあっしがね、子鼠なんて呼ばれてるのは、それだけ調べるのを大事にしてるからなんですよ。
あらかじめ調べるだけ調べて、鼠みてえにどこにでもするすると入っちまうわけです。
実はね、大きな声じゃ言えませんが若い頃にはお城にも入った事がありやしてね。
王様の寝顔見てきやしたが、よく考えればいい年したジジイの顔見た所で何が楽しいって話でしたわ。
しょうがねえから、王様の便所でションベンして帰ってきましたわ。
それだけにあっし、自分の腕にはちょいとばかり自信を持ってたんで。
だからね、屋敷に入ってどのくらいかなあ。
まぁ半刻もしてやしませんでしたね。
何か盗んだらすぐに気付いてもらえるもんを探してた時で……勇者様の所に盗みに入ったのは、金のためじゃないですからね。
なんぞ大事にしてるモンを盗って、何日かしたら返しに行こうと思ってやした。
ここだけの話ね、あん時は生きるのに疲れてたんでさあ。
あっしの弟子、まぁ盗人にも師匠がいりゃ弟子もいるんですわ。
その弟子が馬鹿な喧嘩をして馬鹿な死に方をしまして、ほとほと生きるのに疲れたんで。
ああ、このあっしの技もこれでおしまいか。
こうなったら勇者様のお手を煩わす事になりますが、魔王を斬ったその剣の冴えをあっしの身体に教えてくれないもんかと思いましてね。
魔王なんて大層なモンと、ケチな盗人のあっしが同じ所に立てるんだから、そん時は面白く思ったんで。
おとと、ありがとうございやす。
しかし、酒の注ぎ方が下手ですな。
これじゃあ嫁の貰い手が……いざという時は盗人にでもなるかって?
ジジイの冗談を真に受けてどうするんですかい、あんたいい所の……こりゃたまげた。
そりゃあっしの財布じゃないですかい。
この家業長い事やってますが、財布盗られたのは初めてですな。
こりゃ参った。 降参ですわな。
あっしも財布返しますから、そいつを返してやもらえませんかね?
……へへへ、あっしもなかなか捨てたもんじゃないでしょう?
昔、剣聖とか呼ばれる前のアラストール様からも擦った事がありましてね。
いや、しかし、すげえのは勇者様ですわ。
適当にを見繕ってよし、こいつにしようか、と銀細工の綺麗なブローチを頂こうと決めた時、
「それはちょっと困るよ」
と、声かけられたんでさあ。
いやもう、あっし口から肝が出そうなくらいにたまげましたわ!
どうして気付いたんだ!なんて、逃げるよりもそればかりが気になりまして、つい口に出したんですけどね。
「なんとなく、かな。 それは妻の母親の形見だから、勘弁して欲しい」
いやもう逃げようなんて気はまったく思いませんでした。
魔王を倒しただけの事はありますわな。
ただ立ってるだけで、もう逃げられないのがよくわかりました。
なんというか、あっしがどう動こうが先を取られるのがわかっちまいましてね。
これは参った、降参だ。
気分はまな板の上の魚人ですわ。
そこからがまた勇者様の勇者様たる所以なんでしょうね。
泥棒と話した事はないから、ちょっと話さないか?というわけですよ。
酒を一本持ってきて、あっしに酌までしてくれて……魔王にも勇者様は酌をした?
ははは、こりゃ愉快だ!
あっしも偉くなったもんですな!
どうにもこうにもあっしは、勇者様に参っちまったんでさあ。
腕前だけじゃなくて、人としての器ってやつですわな。
そういや、これが勇者様から盗んだ財布でしてね。
……え、いやですねえ。
盗人は惚れたからこそ、盗むんですわ。
昨晩の事を、私は思い出していた。
「何とも面白いジジイだったな」
品はないが、下品ではなかった。
盗人の道も極めれば、人間に味が出るのか。
私のように道至らぬ人間とは、出来が違うものだなあ。
「どうしてあんな泥棒を放っておくんですか! 衛兵に突き出しましょうよ、お嬢様!」
未だ幼さの残る頬を赤く染め、爺がぷりぷりと怒り狂っている。
なんとも未熟な私の従者に相応しい有り様ではないか。
「あれを捕まえた所で、すぐに脱け出してしまうさ」
私から気付かれずに財布を抜き取るとは、どれだけの腕前やら。
飲み屋で飲んでいる時とはいえ、一度抜かれたのだからと気を張っていたはずなのに、再び抜かれてしまった。
まぁ抜き返したのだから、おあいこだがな。
中身は私の方が少なく、多少申し訳のない事をした気がするが。
「ところでお嬢様、これからどちらへ向かうんですか?」
「そうだな」
青い空に白い雲、地は広がり、私の前には遥か遠くへと続く道が伸びている。
左右を見回してみれば、街の外に広がる小麦畑は金色に輝き、良民達が笑顔を浮かべ嬉しそうに働いている。
「話に出たのと何かの縁だ。 リョウジの所へ行こうか」
「ならマゾーガとも久しぶりに会えますね」
兄と一緒にマゾーガは、リョウジの下で働いているらしいし、彼らと会うのは三年ぶりになるのか。
「ああ、楽しみだな」
収穫の時を迎える良民達が今の私と同じ気持ちならば、これは何ともたまらない気分だろう。
恋をしているかのように胸が高鳴り、宵闇の中で逢瀬を待つかのように甘い疼きが走る。
話を聞いているだけで更に腕を上げたらしいリョウジと、再び出逢うと考えただけで、こんな有り様だ。
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