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十一話 How much is the price of the life? 下上
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「道理でゴブリンが少ないわけだ……!」
さすがのゴブリンマザーも、腹に人が入っていれば新しく産めはしないだろう。
そして、恐ろしいのは平然と、いつ来るかも知れない私をそんな所で待てる精神力だ。
確かにセイル・セイルの気配は、ゴブリンマザーに隠されて読み取れなくなるが、私は奇襲のためにそこまでしたくない。
「ごほっ!」
喉から溢れる血に逆らう事なく吐き出す。
まだ胃に溜まっていく感触がするが、とりあえずは問題ない。
「ソフィアさん、大丈夫ですか!?」
これが大丈夫なら世の中、死ぬ人間はいないだろうに。
足元を真っ赤に染めるだけの血潮をぶちまけた私は、リョウジに答えるのも億劫だ。
そんな頭の悪い言葉を無視し、私は言いたい事だけを言うとしよう。
「この部屋のどこかに、あと一人いる」
目の前の黒装束は私よりも小さいが、見抜かれた動揺の色は欠片も見えない。
少しくらい可愛げを見せればいいものを。
「そいつを止めてくれ」
賭け札は私の最大にして、最弱よりはちょっとはマシ。
頼りないにもほどがあるが、もう切れる札が以上はどうしようもない。
「ど、どこにいるんですか!?」
「知らん。 それに」
黒装束、セイル・セイルはぬるりと、まるで関節の全てが水にでもなっているかのような滑らかで、それ以上に不気味な動きで私に向かってきた。
そのたった一歩でそれまでに積んできたであろう己を苛めきった修練が伺われ、私の背筋にぞわりと鳥肌が立つ。
「探らせてくれる余裕など、ない」
剣の届く間合いは十歩、あっという間に五歩が詰まる。
こちらの足が根でも生えたかのように動かない事を、奴はしっかりとわかっているのだ。
遠慮なく踏み込んでくるのは、いっそ楽しいくらいだろうよ。
後の先を狙うしかないが、それもさせてはもらえない。
黒装束の袖がきらりと輝いたかと思えば一筋の光。
苦内によく似た刃物が私の目に向けて飛んでくる……までは見せ札だ。
きらりと光る苦内の影に、ご丁寧に黒塗りされて光らない苦内も一緒に飛んでくる。
これに気付かず避ければ、影の苦内にまんまとひっかかる悪辣な手だ。
そして、大きく避けてみせれば、次はセイル・セイル本人のお出まし。
左右の手首の周り、膝の周りを合計四本の細身の短刀が、くるりくるりと回っている。
魔術か、奇術かはわからないがセイル・セイルには短刀は触れていない。
「せっかちだな、貴様は」
「待つのには慣れている」
「意外と自分の事はわからないものさ」
苦内の投擲から一拍の間もなくやってきたセイル・セイルは、私の目の前で地に沈む。
まるで地面を走る蛇のような動きに、疲れと出血で鈍った私の身体は付いていかない。
「くっ」
左から右へ、私の目の前で身をくねらせるセイル・セイルの動きは、わざとらしいくらいに鈍く、今の私でも斬れそうなくらいだ。
だが、反射的にチィルダを振るおうとする手を必死に押し止め、背後に一歩。 そして、短刀が前髪を何本か持って行く。
「虚実定かならぬ、とはまさにこの事か」
四本しか無かったはずの短刀が、いつの間にか五本に増えていた。
セイル・セイルの背中から飛び出すようにした短刀は、私が無理に斬りに行っていれば、まんまと額に突き刺さっていただろう。
そして、それすらを見せ札とし、交差するついでに私の左足に短刀を突き刺していった。
その動き全てが虚であり、好機があればこちらに傷を付けていくいやらしさは、武芸者ではない。
こちらが血を流し尽くすのを待つ、あくまで勝つためだけの動きだ。
それが悪いとは言わないがな。
「さあ、どうする、私」
再び胃から込み上ってきた血を吐き出しながら、私の口元は自然と笑みの形を作っていた。
「どうする、僕……!」
ソフィアさんが押されている。
この光景は、正直に言えばショックだった。
白い太ももにぐっさりと刺さった短刀、腹から流れ続ける血で薄緑のアオザイが真っ赤に染まっていた。
「どうする、僕……!」
負けるはずがない、と思っていたソフィアさんが押されている。
加勢する? 無理だ、一秒盾になれればいいくらいで大した意味もない。
マゾーガを呼んでくる?
戻る道のりには、まだゴブリンがいるはずだ。
僕一人じゃ抜けられないし、抜けられたとしてもマゾーガを連れて戻ってくるまでの間に、ソフィアさんが二対一になって負ける。
「なら……」
ソフィアさんの言った通り、この部屋のどこかにいる一人を止めるしかない。
それならまだ可能性は残されているはずだ。
深手を負おうと、何とかしてくれる……はず。
とにかくそこを疑うのは後にするしかない。
「じゃあ、どこに……!?」
壁や天井に隠れられるような場所はない。
ゴブリンマザーの中に、もう一人入るのは難しい。
ここに来るまでは確かにゴブリンマザーは生きていたはずだ。
だけど、二人も入っていれば内臓全てを取り出すしかないだろう。
なら残る選択肢は三つしかない。
ホブゴブリンの死体から、だ。
これまで暗部は同じ手を、あえて連続して使ってきた。
一度、同じ手を見せられれば、次はないだろうと思わせられて、油断を誘う。
そして何よりも汚いのは、その事がバレていても構わないという事だ。
同じ手、同じ手と来たから次も同じ手で来ると、こちらは警戒しなければならないが、向こうはそれを裏切るのも乗るのも自由。
違う、今はこんな事が問題なんじゃない。
「考えろ、僕……!」
どこから来る、何が来る、どうやって、今から全てのホブゴブリンの腹を裂いて探す?
「冗談じゃない……!」
ソフィアさんに次の瞬間、もう一人が襲いかかるかもしれないのに、そんな暇があるはずない。
今だって必死に相手の猛攻を捌いていて、これ以上の負担はかけたら……ソフィアさんは負ける。
「くそっ!」
最善手は、どこだ……!
さすがのゴブリンマザーも、腹に人が入っていれば新しく産めはしないだろう。
そして、恐ろしいのは平然と、いつ来るかも知れない私をそんな所で待てる精神力だ。
確かにセイル・セイルの気配は、ゴブリンマザーに隠されて読み取れなくなるが、私は奇襲のためにそこまでしたくない。
「ごほっ!」
喉から溢れる血に逆らう事なく吐き出す。
まだ胃に溜まっていく感触がするが、とりあえずは問題ない。
「ソフィアさん、大丈夫ですか!?」
これが大丈夫なら世の中、死ぬ人間はいないだろうに。
足元を真っ赤に染めるだけの血潮をぶちまけた私は、リョウジに答えるのも億劫だ。
そんな頭の悪い言葉を無視し、私は言いたい事だけを言うとしよう。
「この部屋のどこかに、あと一人いる」
目の前の黒装束は私よりも小さいが、見抜かれた動揺の色は欠片も見えない。
少しくらい可愛げを見せればいいものを。
「そいつを止めてくれ」
賭け札は私の最大にして、最弱よりはちょっとはマシ。
頼りないにもほどがあるが、もう切れる札が以上はどうしようもない。
「ど、どこにいるんですか!?」
「知らん。 それに」
黒装束、セイル・セイルはぬるりと、まるで関節の全てが水にでもなっているかのような滑らかで、それ以上に不気味な動きで私に向かってきた。
そのたった一歩でそれまでに積んできたであろう己を苛めきった修練が伺われ、私の背筋にぞわりと鳥肌が立つ。
「探らせてくれる余裕など、ない」
剣の届く間合いは十歩、あっという間に五歩が詰まる。
こちらの足が根でも生えたかのように動かない事を、奴はしっかりとわかっているのだ。
遠慮なく踏み込んでくるのは、いっそ楽しいくらいだろうよ。
後の先を狙うしかないが、それもさせてはもらえない。
黒装束の袖がきらりと輝いたかと思えば一筋の光。
苦内によく似た刃物が私の目に向けて飛んでくる……までは見せ札だ。
きらりと光る苦内の影に、ご丁寧に黒塗りされて光らない苦内も一緒に飛んでくる。
これに気付かず避ければ、影の苦内にまんまとひっかかる悪辣な手だ。
そして、大きく避けてみせれば、次はセイル・セイル本人のお出まし。
左右の手首の周り、膝の周りを合計四本の細身の短刀が、くるりくるりと回っている。
魔術か、奇術かはわからないがセイル・セイルには短刀は触れていない。
「せっかちだな、貴様は」
「待つのには慣れている」
「意外と自分の事はわからないものさ」
苦内の投擲から一拍の間もなくやってきたセイル・セイルは、私の目の前で地に沈む。
まるで地面を走る蛇のような動きに、疲れと出血で鈍った私の身体は付いていかない。
「くっ」
左から右へ、私の目の前で身をくねらせるセイル・セイルの動きは、わざとらしいくらいに鈍く、今の私でも斬れそうなくらいだ。
だが、反射的にチィルダを振るおうとする手を必死に押し止め、背後に一歩。 そして、短刀が前髪を何本か持って行く。
「虚実定かならぬ、とはまさにこの事か」
四本しか無かったはずの短刀が、いつの間にか五本に増えていた。
セイル・セイルの背中から飛び出すようにした短刀は、私が無理に斬りに行っていれば、まんまと額に突き刺さっていただろう。
そして、それすらを見せ札とし、交差するついでに私の左足に短刀を突き刺していった。
その動き全てが虚であり、好機があればこちらに傷を付けていくいやらしさは、武芸者ではない。
こちらが血を流し尽くすのを待つ、あくまで勝つためだけの動きだ。
それが悪いとは言わないがな。
「さあ、どうする、私」
再び胃から込み上ってきた血を吐き出しながら、私の口元は自然と笑みの形を作っていた。
「どうする、僕……!」
ソフィアさんが押されている。
この光景は、正直に言えばショックだった。
白い太ももにぐっさりと刺さった短刀、腹から流れ続ける血で薄緑のアオザイが真っ赤に染まっていた。
「どうする、僕……!」
負けるはずがない、と思っていたソフィアさんが押されている。
加勢する? 無理だ、一秒盾になれればいいくらいで大した意味もない。
マゾーガを呼んでくる?
戻る道のりには、まだゴブリンがいるはずだ。
僕一人じゃ抜けられないし、抜けられたとしてもマゾーガを連れて戻ってくるまでの間に、ソフィアさんが二対一になって負ける。
「なら……」
ソフィアさんの言った通り、この部屋のどこかにいる一人を止めるしかない。
それならまだ可能性は残されているはずだ。
深手を負おうと、何とかしてくれる……はず。
とにかくそこを疑うのは後にするしかない。
「じゃあ、どこに……!?」
壁や天井に隠れられるような場所はない。
ゴブリンマザーの中に、もう一人入るのは難しい。
ここに来るまでは確かにゴブリンマザーは生きていたはずだ。
だけど、二人も入っていれば内臓全てを取り出すしかないだろう。
なら残る選択肢は三つしかない。
ホブゴブリンの死体から、だ。
これまで暗部は同じ手を、あえて連続して使ってきた。
一度、同じ手を見せられれば、次はないだろうと思わせられて、油断を誘う。
そして何よりも汚いのは、その事がバレていても構わないという事だ。
同じ手、同じ手と来たから次も同じ手で来ると、こちらは警戒しなければならないが、向こうはそれを裏切るのも乗るのも自由。
違う、今はこんな事が問題なんじゃない。
「考えろ、僕……!」
どこから来る、何が来る、どうやって、今から全てのホブゴブリンの腹を裂いて探す?
「冗談じゃない……!」
ソフィアさんに次の瞬間、もう一人が襲いかかるかもしれないのに、そんな暇があるはずない。
今だって必死に相手の猛攻を捌いていて、これ以上の負担はかけたら……ソフィアさんは負ける。
「くそっ!」
最善手は、どこだ……!
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