君が消えてゆく世界

砂時計

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第7話

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 観覧車は意外にも人気が無かった。行列に並ぶこともなく、直ぐに乗ることができた。

 僕と悠は隣同士で座っている。観覧車は、徐々に登っていく。思っていたよりも、そのスピードは遅い。頂点に達するのにも、それなりの時間が掛かるだろう。

 ぼんやりと景色を眺めていると、不意に悠が話しかけてきた。
「観覧車に乗ったの、実は初めてなんだ」

 少し意外だった。大抵の人は、乗ったことがあると思っていたのだ。
「僕は子供の頃に乗ったことがあるよ。五歳くらいの時だったかな。家族と遊園地に行った時に、乗ったんだ」

 僕は当時のことを少しだけ思い出す。徐々に高くなっていく景色に、不思議な高揚感を覚えたものだ。絶叫マシーンは苦手だが、高い所は平気なのである。

 観覧車は徐々に登り、アトラクションを見渡せる程の高さになった。その時に、悠は少し意外なことを言った。

「私、高い所駄目だわ」
「え?」
「今気づいたけど、高所恐怖症みたい」
「絶叫マシーンは乗れるのに、高い所は駄目なのか」
僕と真逆だ。

 観覧車は尚も上昇を続ける。その内に、悠のことが心配になってくる。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。そこまで怖い訳じゃないから」
 確かに、悠の表情は平静そのものだ。あまり心配は必要なさそうである。

 観覧車は頂上に差し掛かっていた。その段階になると、僕はある噂を思い出す。その噂は、観覧車の頂上でカップルがキスすると、末永く結ばれるというものだ。

    キスするか、しまいか。その重要な二択に、頭を悩ませていた。一方で、悠は景色を切なげに眺めている。

 僕は敢えて頭を空っぽにしてから、悠に言った。
「ちょっと、こっちを向いて」
 悠は「何?」と言ってこちらを見遣る。僕はその唇にキスをした。こんな大胆なことをするのは、初めてだ。

 唇を離すと、悠は「もっとして」とせがむ。もう一度しかけると、悠は覆い被さってくる。そして、長いキスをしてきた。僕のそれよりも、情熱的なキスだった。胸の鼓動は高まり続ける。

 長いキスを終えると、二人して一斉に笑った。そして、抱擁した。その状態のまま、悠はこう言う。

「ずっと、この時を待ってたんだ」
 僕にはその言葉の意味が分からない。
「どういうこと?」
「ずっと、キス待ちだったってことだよ」

 そうか、僕が奥手なせいで随分と待たせていたようだ。
「ごめんよ」
「ううん、いいよ」

 頂上に達した観覧車は、徐々に下がっていく。悠は僕の瞳をじっと見つめながら、こう言った。
「私、幸せだよ」

 僕はこういう時に、何と返せばいいか分からない。
「そっか」
 出てきた言葉は、ただそれだけだった。自分の不器用さが嫌になる。

 僕は悠を抱き締めたまま、キスの味を思い出す。その甘美な味わいを感じながら、ふと窓の外を見た。そこから映るオレンジの空は、過去の思い出を想起させる。



     


 数ヶ月前の夏のある日。夕暮れの海で、悠は僕にキスしようとしたことがある。
    
    悠は僕の額に自分の額をくっつける。その時、悠は少し悩ましげな表情を見せた。けれど、高笑いをして顔を離したのである。






 今なら、悠の気持ちが分かる。当時、悠は僕とのキスを望んでいたのだ。夕暮れ時の海が発する独特の雰囲気が、そうさせたのかもしれない。けれど、当時の僕にはとてもできなかった。きっと、悠を落胆させただろう。

 けれど、今日の僕はその期待に沿うことができた。きっと、今日のことは甘い思い出として記憶に残るはずだ。願わくば、悠にとってもそうであって欲しい。

    観覧車は下降を続け、後少しで到着する頃合いになった。
 悠は自分の頭を、僕の肩に乗せている。僕は悠に尋ねた。

「なぁ、観覧車の頂上でカップルがキスすると、末永く結ばれるって知ってるか?」
「知らない。それ、本当かなぁ」
「さぁ。でもさ、本当だったら嬉しいよな」
「うん」

    そんな会話をしたが、それは叶わないのだろう。それは、悠にだって分かっているはずだ。何せ、僕達は高校卒業と共に別れるのだから。

 不意に、数ヶ月前にした会話を思い出す。



  
 夕暮れの街を走る、僕のバイク。その後方にいる悠。僕達は目的地も無いまま、ただバイクデートを楽しんでいた。

 帰る頃合いになって、不意に僕はこう尋ねる。
「なぁ、高校卒業したらどうするんだ?」

 今まで、こんな真面目な話はしたことが無かった。二人でいる時は、楽しい話ばかりしていたいのだ。けれど、当時は何となく将来について話したい気分だった。

 悠はバイクの音に負けぬよう、大声で答える。
「大学に行くつもり」
 大学。卒業後就職するつもりの僕には、無縁であろう場所だ。何せ、勉強は嫌いなので行く気は無いのである。

「大学かぁ……」
 高校卒業が、僕達の別れ時。そんな当然のことを、再認識させられた。

 悠は後方から尋ね返してくる。
「そっちは?」
「就職するつもりだよ」
「どこに?」
「分からない」
「自分のことなのに?」

 何気無く言ったであろうその一言が、胸に突き刺さった。僕が如何に無計画のまま生きてきたか、思い知らされた。

「先のことは考えてないんだよ。どうすればいいか分からないし」
「ふーん」
バイクは、僕達の会話も乗せながら走っていく。

 それから数十分程経ってから、悠の家に着いた。
「ありがとね」
 悠はそう言って、バイクを降りる。僕は家へ帰っていく悠を見て、こんな提案をした。

「なぁ、卒業後一緒に暮らすってどうだ?」
 僕としては、真剣な問いだった。それは、悠も汲んでくれたのだろう。申し訳なさそうに、こう返す。
「ごめんね」

 その四文字が、僕の心に鉛のように覆い被さる。もしや、人に振られるとこんな気持ちになるのかもしれない。

 僕は今まで感じたことがないような虚脱感を味わう。そして、何もできずに悠が家に入っていく様を眺めていた。





 あまりにも情けないエピソードだ。如何に僕が何も考えていないか、白日の下に晒しただけではないか。どうして、こんな僕と付き合ってくれたのだろう。

 もうそろそろ、空が暗くなり始める頃合いだ。僕達は遊園地内を出ることにした。

 館内を歩きながら、僕は不意に尋ねる。
「なぁ、何で僕なんかと付き合ってくれたんだ?」
「急な質問だね」
「僕が告白した時、まだ僕達は何の接点も無かったじゃないか。それなのに、どうして付き合ってくれたんだろうって思って」

 悠は少し間を置いてから答える。
「洋介君に告白された時、『この人、いい人そうだな』って思ったの。それで、付き合った訳」
言わば、直感が働きそれに従った訳か。確かに、悠ならば有り得そうな話だ。

    悠は僕の顔を見遣ると、言葉を付け足す。
「それに、恋をするってどういうことなのか知りたかったし」

僕はその言葉に驚く。まさか、これ程美人なのに誰とも付き合ったことが無いとは。
「それ、本当か?」
「本当だよ。洋介が初恋の相手だよ。だって、私の周りはあんま男が寄ってこないし」
 
    そうか、美人だからこそそうなるケースもあるのか。思えば、良くそんな相手に僕が告白できたものだ。

    オレンジに染まった空の下、悠は不意に腕を絡めてくる。
「私、洋介君以外とは付き合わないよ。だって、洋介君以上に好きな人いないし」

    その言葉は、僕にとっては気恥ずかしいものだった。僕より彼氏に似つかわしい男は、幾らでもいるだろう。けれど、悠は自分の発言を疑っていなさそうだ。

    僕はこう返す。
「僕だって、他の誰とも付き合わないよ」
「本当?」
「勿論」

    悠は普段以上ににこやかで、それが僕にとっても嬉しい。僕は悠の体温を感じながら、こう思う。こんな幸せが永遠に続けばいいのに、と。


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