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2章 10歳のエルザ

3 リラとファニー

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「ちょっとこっち来て」

 目の前の子の腕を掴んで、廊下の隅に連れていく。
 何人かの子供がこちらを見ていたが、そのまま無表情に目をそらされる。誰もこちらを注視していないことにほっとして、その子供にあらためて向かい合った。
 
「貴方の名前は?」

「え?」

「私がエルザじゃないってわかっているんでしょ。だから私は、貴方のことも知らないのよ」
 
 レティーシアがじれったそうにそう言えば、ああ、なるほどー、と彼女は自分のふわふわの髪を撫でて、えへへ、と笑っている。

「私はリラだよ。よろしくね」

「そう、リラ……いい名前ね。私の名前はレティーシア・レンブラント。レンブラント侯爵令嬢の長女で、称号は『聖女』よ」

 あえてフルネームを伝えたのは理由がある。

 なぜなら、これはこの国で一番有名でもあるだろう令嬢の名前であり、称号であるはずだからだ。

 知っている有名人を名乗る人物が目の前にいたら、普通ならどう思うだろう。

 からかわれていると思うはずだ。ふざけているの!? と怒り出すかもしれない。

 レティーシアはそうしてリラの反応を見て「嘘だったの。からかってごめんね」とごまかそうと思っていた。

 しかし、リラはそれらのどちらの反応でもなかった。

「え、聖女様なの? お名前はレティーシア? 侯爵令嬢なんて、わー、すごいねえ」

 目をキラキラさせて、口元を押さえている。その純朴な反応に、こちらの方が呆れてしまった。

「……信じるの?」

 こんな話、無茶苦茶だと思うのだけど。

「エルザがそう言うのなら、信じるよ……って中身は聖女レティーシア様だっけ。えっと、年上のおねーさんなの?」

 この子が気になるのは聖女という肩書きより年齢の方らしい。もしかしたら聖女という存在にあまり馴染みがないのかもしれないが。

「うん、17だから年上よね、きっと。でも、ここではとりあえず、エルザって呼んで」

「わかったー」

 にこにこしているリラは、じゃあ、よろしくね、と話は済んだとばかりに部屋に戻ろうとしてしまう。リラにとっては、エルザの中の人が、レティーシアという名前の女性だったというのが分かればそれでよかったようである。

 ちょっと待って、と帰りそうになるのを慌てて引き留めた。

「ねえ、ちょっと色々教えてくれほしいのだけど。このエルザって子について。どういう子だったとか……」

「エルザ? うーん、大人しい感じかなー」

「他には?」

 廊下の隅にリラを押しとどめて、知りたい情報を聞き取っていく。今はレティーシアである自分がエルザなのだ。エルザになりすますためにも、周囲に怪しまれないように、この体の持ち主だったエルザの情報が少しでも欲しい。何度も質問を繰り返そうとしたら後ろから声がした。

「エルザは大人しくて引っ込み思案な子だったわよ。あまり話さず、うつむく癖があって猫背がひどかった」

「あ、ファニー!」

 唐突なエルザに対する情報に驚いて振り返ると、先ほど、自分に私物の場所を教えてくれたそばかすの子がそこにいた。
 ファニーと呼ばれた少女はじろじろとこちらを見ている。

「やっぱり、そうだったのね……エルザがエルザじゃなかったのね」

 静かな視線で探るように見つめてくる目。
 感覚で見抜いたリラと違い、この子も何か違う要素でエルザが違っていることを見抜いていたようだ。

 しかし、それより気になるのは別のことだ。

「……どうやって話を聞いてたの?」

 やっぱり、と言った彼女の言葉からすると、リラとレティーシアの話を聞いていたとしか思えない。彼女は周囲にいなかったのに、どうやって自分たちの話を聞いていたのだろうか。

「そこの雨どい、穴が開いているのよ。それが伝声管の代わりとなって上の階でも、この辺りで話した声が聞こえるの」

 指さされた方向を見れば、窓の外に見える雨どいに穴が開いている。

 この建物は基本、窓には貴族の家や王宮のようにガラスのようなものがはまっていなくて、日中は窓を開け放して明かりを取り、夜間は雨戸を閉めているようだ。
 小声で話していても話し声は外に漏れ、知らないうちに違う部屋でも聞こえてるとは。
 ということは、もしかしたら、他の部屋にも同じような仕組みのものがあるかもしれない。うかつに秘密の会話もできなさそうだ。

「リラが自分から誰かに話しかけることはめったにないの。そんなリラが貴方に話しかけていたから、心配で盗み聞きさせてもらってた。申し訳なかったわね」

「そうなのね……」

 リラは人懐っこくて好奇心旺盛なタイプなのかと思っていた。しかし、特殊な能力がある彼女が周囲からどう思われているかはなんとなくわかる。特に子供が多い場所では、もっと露骨ないじめにでも発展していたのだろうから。

「私の名前はファニー。悪いけど、私はエルザの中に別の人……レティーシアさん?がいるとかまだ信じられてない。だけどリラの感覚は信じてる。だから、貴方を信じようと思うよ」

 ファニーはどこか申し訳なさそうではあるが、その感覚の方が当たり前だろうとレティーシアは思ってしまった。

 ファニーはリラの友達で、エルザがリラを傷つけることを警戒して盗み聞きをしていたのだろう。いい友達関係なのだなぁ、と思えば、どこか微笑ましくて羨ましくなった。

「じゃあ、あらためて話をきかせてもらえない? 貴方が聖女だというのが前提で本当だとしたら、なんで聖女様がエルザの中に入っているの? 聖女様がいらっしゃる場所で何が起きたの?」

 もっともな鋭い質問をされて、レティーシアはぐっとつまる。
 
 いきなり色々ありすぎて混乱していたが、よく考えれば自分の身に起きたことは、国家転覆に関わるような重大なことだろう。
 しかも、せいぜい10代前半の彼女たちに話したとして、それが何かの役に立つとでもいうのだろうか。
 信じがたいようなことでもあるし、下手な形に話が広がって、この子達が嘘つき呼ばわりされる程度ならまだしも、口封じに殺される可能性もなきにしもあらずだ。

 どうすべきか、一瞬悩んでしまった。そんなレティーシアを慰めるようにファニーは言う。

「言いたくないなら言わないでもいいけど、言った方が話が早いと思う。レティーシアさんが私たちのことを心配するならそれこそ杞憂だよ」

 ファニーはじっと見つめてくる。
 子供にしては静かすぎる目。それは何度も傷ついてきた者の目だ。恵まれて育ってきている立場のレティーシアはそういう人間たちを見たことがあった。聖女が救済すべき相手として。

「どうせ私たちの話はロクに信じてもらえない。だから私たちから外に話は漏れないよ。安心して」

「それ、安心できない話よね」

 しかしそう言ってもらえてフッと肩の力が抜けた。そしてレティーシアは起きたことを順番に話し始めた。
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