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(もう、結婚は諦めた方がよさそうね)

 婚約破棄されたあげく、悪い噂まで流されているタニアはほとぼりが冷めたら修道院にでも行こうと思っていた。
 これだけ自分に関する悪い噂が流れてしまったら、結婚相手は見つからないだろう。
 
 そんな諦めていていたさなか、侯爵夫人の友人に紛れて王太子殿下がお忍びで侯爵家に遊びに来たのである。

 王太子殿下の母は侯爵夫人の姉であり、立地的にも王宮から近いということで、幼い時からちょくちょくそのようなことはあったらしい。他人であるタニアがその事実を知らなかっただけで。
 王族どころか、次代の王となる相手に対してもなんら興味を示さないタニアは、彼を客として丁重にもてなすだけで、流し目の1つも送らない。
 若い女性にしては自分に対してクールな態度をとるタニアを、王太子は最初、使用人だと思っていたくらいだった。
 侯爵夫人に正式に紹介されると驚き、一連の話を聞いた王太子はタニアにひどく同情をしてみせた。

(男に傷つけられたのなら、男性という生き物に対して不信感を抱くのは当然だよな)

 王太子である自分に対して興味を持たない初めての女性に、王太子は自分の方から興味を持った。

 同情が、いつしか恋愛感情へと変わっていってしまったのは自然な成り行きだっただろう。

 ぎこちなくも距離を近づけていく二人の様子を見ていた侯爵夫人はタニアにそっと耳打ちした。

「貴方が望むならうちの養女となってはいかが?」と。

 それは遠まわしに、王太子の想いを受け入れろという示唆である。
 子爵家から王家へ輿入れは身分差がありすぎてできなくても、侯爵家の娘なら彼と結婚できるからという意味であった。
 
「でも私、婚約破棄されていて、悪い噂も……」

 王太子妃となる人間はどこを叩いても埃1つ立たない後ろ指を指されないくらいの立派な女性が選ばれるべきだ。
 それは国民の立場からすれば、そう願うものだった。
 自分がそれにふさわしいと思えず、タニアは尻込みする。

「女にとってみれば、あんな噂の1つや2つ、勲章よ。貴方が迷惑を掛けられて我が家に身を寄せたのがロマンスのきっかけとなれば醜聞も一転して物語のワンシーンだわ。それに貴方が王家の人になってしまったら、あの男は絶対に貴方を手に入れることができなくなるし。これ以上ないくらい、鼻を明かしてやれるもの」

 そう言ってマグリット侯爵夫人はタニアを背中を押す。

「結局は貴方が王太子殿下を選ぶかどうか、だけなのよ」

 その言葉にタニアは頬を染めて頷いてみせた。


 一方、ルーシュの方は、勝手に自分がタニアと結婚するのだと吹聴して回っていた。

 さすがに周囲も、タニアが婚約解消となった後に悪い噂を流していた張本人が、その相手と婚約するという話を聞いた時点でどうもおかしいと気づき始めていた。
 単に女にフラれた腹いせだったのか、と真実に気づくとルーシュに非難が集中していた。

 そんなさなか、王太子妃にタニアが選ばれたということが発表されたのだ。
 それを聞いたルーシュは膝から崩れ落ちて泣いたという。

「なぜタニアを!? 皆が寄ってたかって俺たちの仲を引き裂こうというのか!」

 王族に嫁ぐことは貴族同士の結婚とは根本的に違う問題である。
 王は統治者であり、貴族はその家臣。特にルーシュのような騎士は特別に忠誠を求められるので、未来の王の配偶者に横恋慕など許されるものではない。
 ルーシュはタニアのために騎士になったのに、騎士になったせいでタニアは永遠に手が届かない人になってしまったのだ。
 剣を捧げることはしても、その身に触れるようなことは二度とできない。
 過去にタニアに恋心を打ち明けていれば。タニアを無理に追いまわしたりしなければ。
 自分の行動が結局は彼女を遠いところに追いやってしまったことを嘆くしかなかった。




(結局、今の幸せは、ルーシュのおかげってことになるのかしらね)

 正式にマグリット家に引き取られ、王太子妃教育を受けているタニアは、目まぐるしく変化した環境を思い返してぼんやりとしていた。
 タニアとしては王太子殿下から得られた寵愛に、戸惑うことはあっても、今まで感じたことのない充足感を感じている。
 なによりも王太子殿下の思いやりのある愛情が心地よい。

 幸せだなぁ、と感じるばかりの毎日に、この先、もう同じ目線で会うことのないだろう幼馴染に心の中で感謝と別れを告げた。
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