訳あって、あやかしの子育て始めます

朝比奈希夜

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3巻

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 第一章 温泉への大冒険


「それじゃあ、行ってくるね。お留守番よろしく」

 鬼のあやかしであるせつの家で家政婦となったやましなそらは、商店街のくじ引きで当たった温泉旅行に行くために、黒猫の化け猫、タマに声をかけた。
 ――ニャアアアアアア!!
 するとタマは、鬼の形相でうなり声をあげている。留守番が気に食わないのだ。
 そんな顔をしたところで、本物の鬼がいるのだから怖くもなんともない。

「しょうがないでしょ。泊まれないんだから」

 電車ではキャリーバッグを使えばと考えたものの、みずちそうりゅうが当てたくじに書かれていた旅館に確認したら、ペットお断りだったのだ。
 そもそも当たったのはペア宿泊券。子供四人分の追加料金を支払ったところ、そんなに大所帯ならばと離れの部屋を用意してくれたのだが、そこでも無理だった。
 宿泊先は立派な旅館だし、柱に爪を立てられでもしたら大事おおごとだろう。
 言葉が交わせるうえ、家族の中では断トツに歳をとっているタマは、そうしたマナーも一応心得ているので問題ないのだが、化け猫なのでと言うわけにもいかず、あきらめてもらうことにした。

ひとがたになれば連れていってやる」

 いつまでも鳴いているタマをいちべつして、気だるそうに言ったのは羅刹だ。
 背の高い彼は家では着物姿だけれど、今日はグレーのセーターにジーンズを合わせて、黒のダウンコートを羽織っている。怪力の持ち主だがいかついわけではなく、すらっと脚が長い。スタイル抜群で小さく整った顔からも、鬼だとは思えない。
 ただし性格に多大なる難があり、とにかく面倒くさいことが大嫌いだ。あやかしの世で両親を亡くしたり、はぐれたりした四人の子供たちの育児に、美空が髪を振り乱していても、見なかったことにする特技がある。
 最近になり、それでいて子供たちに注意を払っていることがわかったものの、毎日体力の限界まで四人を追いかけまわしている美空からすれば、全然足りない。
 とはいえ、自由気ままな、ようで双子のけいぞうくずてん相模さがみ、そして蛟の蒼龍の四人を連れての大移動には、いてくれないと困る存在だ。
 普段は役に立たないと腹が立ってばかりなのに、本当に困ったときにはびしっと仕切ってくれる心強さがある。いつもそうあってほしいのだけれど、基本的に脱力モードだ。

「クソッタレが!」

 タマが怒りの声をあげるのは、彼があやかしの世でかけられた呪術のせいで人形になれないと、羅刹も知っているからだろう。

「みしょらー、なに?」

 美空のジーンズをつかみ真ん丸の目で見上げるのは桂蔵だ。彼と葛葉は三歳だ。

「ううん、なにも」

 子供たちは、タマはただの黒猫だと思っている。いつもは子供たちの前では絶対に言葉を話さないタマだけれど、つい叫ぶほど羅刹のからかいにいら立ったのだろう。羅刹の外面そとづらのよさに怒りを抱いている美空には、その気持ちが痛いほどわかった。
 ただし、タマの毒舌にもカチンときているため、かばったりはしない。
 桂蔵が離れていくと、美空は再び口を開いた。

「本当にごめん。でも仕方ないじゃない。次はタマも泊まれるところを探すから。ね?」

 次があるのかどうかは、今回の子供たちの行動にかかっている。何事もなく帰ってこられれば羅刹も次を考えるだろう。でも大変だったら、首を縦に振りそうにない。しかも後者になる確率が高く、タマの初旅行は実現しない可能性もある。
 とはいえ、タマの機嫌をなだめるために取り繕った。
 旅行は一泊二日。移動が大変なのはわかっているので、荷物は送ってある。
 電車に乗るのが初めての子供たちは早朝から興奮気味に走り回っていて、羅刹はすでに盛大なため息をついている。キャンセルすると言いだしかねないと思った美空は、朝食のときに子供たちに『ほかの人に迷惑をかけるようなことをしたら、途中で帰ってくるからね』と少々脅しておいた。
 脅しなんてよくないとわかっているが、四人もいると使えるものはなんでも使わなければ、やっていられない。優しく諭したところで、聞き流されておしまいだ。

「みしょらー、れきたー」

 それぞれ着替えた子供たちが、自慢げな顔で美空に見せに来る。

「上手にお着替えできたね」

 褒めつつも苦笑するのは、二歳の蒼龍がズボンをうしろ前にはいているからだ。四人の中では一番おっとりでマイペースの彼は、ニターと笑い、間違えようとも自力で着替えられたことに満足している様子だった。

「スカートはかなかっただけ偉いね」

 美空はぼそりとつぶやきながら、彼のズボンを直す。
 唯一の女の子の葛葉用に購入したスカートを気に入った蒼龍は、しばしばそれをはいている。公園に行くときなどは動きにくいからと理由をつけて着替えさせているので、外出はズボンという習慣ができているのかもしれない。
 日々おてんがさく裂している葛葉は、スカートには目もくれない。四人の中ではボス的な存在であれこれ指示を出してはいるけれど、興味を引かれたものにはすっ飛んでいく猪突猛進さが際立っていて、手を焼いている。
 とはいえ、以前道路に飛び出して怖い思いをしてからは、それなりに慎重になってきたようにも思う。彼女はこうした着替えのときはそつなくこなすので、美空が直したことは一度もない。

「ねぇー、いつ行くの?」

 葛葉のうしろから顔を出したのは兄の桂蔵だ。彼は話を聞いていなくても、葛葉を見てなにをすべきか気がつくような、要領のよさがある。兄ではあるが舎弟のようだ。普段は手がかからないほうだが、葛葉とのケンカのときは別。性格がひょうへんしたかのように目をつり上げて取っ組み合いをするため、美空の雷が落ちる羽目になる。

「おしっこ」
「えっ、また?」

 慌てて手を引いてトイレに連れていったのは、二歳の相模だ。彼はとにかくビビりで、よく言えば慎重派。今日も初めての旅行がうれしいのに緊張もしていて、トイレにばかり行っている。
 そんな個性豊かな子供たちとの生活はへとへとになるものの、少しずつ慣れてきて、家族として機能してきたようにも感じている。
 相模をトイレに連れていってから戻ると、羅刹が子供たちに色違いのコートを着せていた。
 手伝ってくれるなんて珍しい……と思ったものの、もちろん口には出さない。
 羅刹は子育てに消極的ではあるけれど、最近は少しずつ手を貸してくれるようになった。
 幼い頃、あやかしの世で地下牢に閉じ込められていて、子供らしいことはなにひとつ経験していないという彼が、四人とどう向き合ったらいいのか戸惑っていることについては、美空も納得している。だから、少しずつかかわり方を教えていくつもりだ。
 桂蔵は黄色、葛葉は赤、相模は緑、そして蒼龍は青のコート。四人並ぶとなんとかレンジャーのようだ。しかもレッドが葛葉というのがしっくりきすぎていて、美空はひとりで悦に入っていた。
 不貞腐れて茶の間の片隅で丸くなったタマの頭をでてから、いよいよ出発だ。
 まずは玄関を出たところで四人を並ばせて写真を撮った。

「家の前の写真なんていらないだろ」

 羅刹があきれ顔で言う。

「万が一迷子になったときに、こういう服装のこの子ですって助けを求めやすくなるんですよ」

 公園で仲良くなったママに温泉に行くと話したら、教えてくれた知恵だ。

「へぇ」

 珍しく納得した様子の羅刹だが、キリッと表情を引き締めて口を開いた。

「お前たち、迷子なんて面倒なことになったら捜さないからな」
「ちょっと!」

 迷子にならないように気をつけろと注意しているのだろうが、言い方がおかしい。しかも、絶対に捜すくせして。
 羅刹はいつも突き放した言い方をするけれど、彼なりに子供たちのことを大切に思っていて、必ず視界に入れている。とはいえ、この物言いでは誤解を招きそうだ。

「はぁーい」

 美空は眉をひそめたものの、子供たちは元気に笑顔で返事をしている。羅刹の冷たい声かけに慣れていてなんでもないのか、そうは言っても助けてくれることに気づいているのか、知る由もない。

「みしょらー、行くおー」

 先陣を切ったのはやはり葛葉だった。桂蔵が続き、相模と蒼龍は手をつないでいる。最後尾はお目付け役の羅刹だ。
 家の近くでバスに乗り込み、いよいよ出発。子供たちは初めてのバスに興味津々で最後列の席に並んで座り、満面の笑みを浮かべる。

「うわぁ、動いた」
「はやーい」

 大きな声で話してはいけないと何度も言い聞かせたからか、興奮しているのに皆小声だ。どうなることかと緊張していた美空は、ホッと胸を撫で下ろした。
 バスでは何事もなく過ごし、いよいよ電車に乗り込む。羅刹は葛葉と相模、美空は蒼龍と桂蔵と手をしっかりつないで、駅のホームに上がった。

「危ないから、この線から出たら絶対にダメよ」

 旅行が決まってから電車が出てくる絵本を買い、危険については教え込んできた。けれど、どうしてもまた言いたくなる。

「はぁーい」

 元気いっぱいで返事をする子供たちだが、隣のホームに停車している電車に視線がくぎ付けで、話など聞いていないように見える。

「線から出たら死ぬぞ」

 すると羅刹がひと言。
 相変わらず率直すぎる言い方ではあるけれど、子供たちの表情が引き締まったのを見て、効果があったとわかった。
 美空が必死に話をしてようやくわからせることを一瞬で済ませてしまう彼の要領のよさがうらやましくもあるが、彼のようになりたいかというと、そうでもなく……。できれば脅すのではなく、言い聞かせてほしい。……なんて、今朝は自分も脅し文句を口にした覚えがあるので大きな声では言えないが。
 乗車予定の電車の発車まで、あと十五分ほど。

「線から出ないとお約束できるなら、しゃしょうさんにバイバイできるよ」
「ほんとー?」
「しゅる!」

 子供たちは手をつないだまま、ピョンピョン飛び跳ねている。
 美空も子供の頃、業務交代のために降りてきた新幹線の運転手に手を振ったら、シールをくれたことを思い出した。電車好きの子供は珍しくないので、運転手や車掌には親切な人が多い。もちろん業務に支障がない範囲ではあるけれど、手を振るとにっこり笑ってくれる人もいる。
 美空は子供たちを電車のほうへと誘導した。
 発車ベルを合図にドアが閉まるだけで目を輝かせる子供たちを見て、やはりなんでも経験させるべきだと思う。美空にとってはあたり前のことでも、子供たちには心弾む出来事なのだ。
 いつもは無関心の羅刹までもが表情を緩めているのがおかしい。彼は初めて公園に行った日も、少年のように目を輝かせていた。彼もまた電車に乗った経験がないのだろう。

「しまったぁ」

 興奮してつないだ美空の手を振り回すのは桂蔵だ。

「うごいたぁ」

 相模と蒼龍の声が珍しくそろう。

「どこ行くのぉ」

 羅刹を見上げて尋ねるのは葛葉だ。

「知らん。遠くだ」

 実に投げやりであいまいな羅刹の言葉に美空は眉をひそめたものの、葛葉はその返事に満足したようで「とおくー」と復唱した。

「バイバイしてごらん」

 美空が促すと、子供たちは一心不乱に手を振り始める。次第に加速した電車の最後尾の車掌が四人に気づいて敬礼してくれた。

「しゅごー」
「かっこいー」
「僕もぉ」

 男の子三人は乗り物好きなのもあって、鼻息が荒い。桂蔵は敬礼の真似をしている。
 いつもは我先にとなにかをやりだす葛葉だが、「行くおー」と三人を自分たちが乗る電車が来るホームに促した。

「あれっ、意外に冷静」
「一応責任感があるみたいだな」

 羅刹がそう漏らすので首をかしげる。

「責任感って?」
「お前がほかの三人をきちんと連れていけよと言っておいたんだ。あいつはそういう役割を与えておかないと、電車に体当たりしそうだからな」

 まさか、そんな約束をしているとはつゆほども知らず驚いた。
 しかも、羅刹の言うことには一理ある。葛葉は自分が周りを振り回しているとは思っておらず、もたもたする男の子三人を、〝しょうがないわね〟と姉のような目線で見ていると感じるときがある。羅刹はそういう彼女の性格をうまく利用しているのだ。

「羅刹さんって、やっぱり子供たちのことをちゃんと見てるんだ。いつもだらだらしてるからびっくり」

 一旦は褒めたものの、それにしては育児放棄気味の彼に物申しておきたい気持ちもあり、そんなふうに言う。

「だらだらしてないのに、子供たちに振り回されてるのは誰だろうな」
「うるさいですよ!」

 反撃を食らった美空は、彼をにらんでおいた。
 けれど美空が一方的に怒ってばかりいた以前に比べると、こうした会話が増えている。羅刹が少しずつ心を開いてくれているように感じた。
 電車での移動は、何事もなく過ぎていった。途中で退屈してごねたり、走り回ったりするのではないかと戦々恐々としていたものの、一時間と少しの間叱ることは一度もない。
 二席シートを反転させて四人を座らせ、美空と羅刹は通路を挟んで反対側に座る。ふたりずつ面倒を見たほうがいいのではないかとも考えたけれど、これが意外にもうまくいった。
 すさまじい勢いで流れていく景色にくぎ付けになった四人はしばらく無言でそれを楽しみ、「しゅごいねぇ」「はやー」と感想大会を始める。
 ときにはおしゃべりが盛り上がって声が大きくなってしまい、「しーっ」と注意したことはあったが、葛葉が「うるさいのはだめよぉ」と仕切ってくれた。その葛葉も声が大きくなっていたひとりではあるけれど。
 途中での乗り換えもうまくいき、無事に温泉地近くの駅に降り立つと、美空は大仕事を終えたような気分でホッとしていた。なにより移動が心配だったからだ。

「お疲れ」
「ん? ……お疲れさまです」

 羅刹のねぎらいの言葉が聞こえてきて幻聴を疑ったが、本物だったらしい。彼は表情を変えないまま、小さくうなずいた。
 電車内では子供たちがおとなしくしていてくれたので、特になにもしなかったものの、気を張り詰めていたせいか、かなり疲れた。彼がそれをわかっているかのようで、意外だった。

「おい、お前ら。一列に並べ」

 電車を降りて気が抜けたのは美空だけではなかった。子供たちも同じで、いつものようにキョロキョロしては駆けていこうとする。それをひと言で止めた羅刹は、やはりただ者ではない。とはいえ、口の悪さはなんとかしてほしい。
 素直に一列に並んだ子供たちは、「どこ行くのぉ」とうずうずしている。

「すぐにお迎えのバスが来るからね」

 旅館に頼んでマイクロバスを出してもらうことになっているのだが、少し遅れているようだ。

「お風呂入りたいよぉ」
「ごはんー」

 さすがに移動で疲れたらしく、子供たちの我慢が利かない。

「そうだね。旅館に着いたらご飯食べよ」

 現在十時五十分。旅館の周辺を散策してからお昼にしようと考えていたけれど、お腹を満たしてやらないと、機嫌が悪くなりそうだ。
 早めのチェックインをお願いしていたが、それでも十二時にならなければ部屋には入れない。
 旅館の近くのレストランを検索してあるものの、そこでもひとつ問題がある。食べている最中にしっぽや耳を出さないか心配なのだ。
 少しはゆっくりできるのではないかと期待して来た美空だったが、いつもより心労が増している。
 改めて、子育ての大変さを思い知らされた。
 それからすぐにマイクロバスがロータリーに滑り込んできたので、ひと安心した。子供たちの機嫌がたちまち直り、意気揚々と乗り込んでいく。

「わあ、違うバシュ」

 家の近くから乗った市バスとは違うことに気づいた桂蔵が、目を輝かせる。

「ひこーき乗る?」
「飛行機は乗らないかな……」

 自身も空を飛ぶ相模は、飛行機に興味があるらしい。
 最後に乗り込んできた羅刹が運転手となにやら会話を交わしているが、美空は子供たちの世話でそれどころではなかった。

「好きなところに座っていいって。貸し切りだよ、すごいね」

 平日なのもあり、旅館は空いているようだ。それも狙って、予約を入れた。

「かしきり、なに?」

 真ん中あたりの座席に陣取った葛葉が尋ねてくる。

「このバスは、私たちしか乗らないんだって」

 といっても、十分ほどの旅路なのだが。

「うわぁ、しゅごい」

 いつもはおっとりの蒼龍が珍しく興奮している。やはり、新しい刺激は必要だ。

「それでは、出発しますよ」

 六十代くらいの優しそうな男性運転手は、羅刹と会話を交わしたあとどこかに電話をしているようだったが、全員が座ったのを見てほほんだ。


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