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第百四十話 不退転の交渉

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 案内されたハルレシオさんの執務室にいた人物は三人。
 
 出迎えてくれたハルレシオさん本人と椅子に深々と腰掛けた俯き加減の若い男性。
 壁際で入ってきた俺たちを油断なく警戒している武装した鎧姿の女性。

「……ヴィクターだ」

 男性の挨拶は非常に簡素だった。

 ヴィクターと名乗った男性はハルレシオさんの従者か護衛のどちらかと思ったが、それにしては若い。
 年齢はハルレシオさんやニールと同じくらいで、魔物素材の青い簡易な鱗鎧を身に着けている。

 押し殺したような低い声で俺たちを一瞥するとすぐに視線を逸らす。

(天成器の刻印は一つ。公爵家の子息の側近にしてはそれほど実力者でもないのか?)

「彼女は私の警護を担当しているチェルシー」

「御来訪をお待ちしていました。チェルシー・モンクラットです。どうぞよろしく。……ただ今回は主様の温情で面会こそ叶いましたが、失礼のないようにお願いします」

「すまないね。彼女は私のこととなると、少々熱くなる」

 苦笑するハルレシオさんに対して固い表情のまま警告を発するチェルシーさん。

 年齢はケイゼ先生に近い。
 全身を金属製の鎧で武装した彼女は、隙のない立ち振舞いで常にハルレシオさんの安全に気を配っているのか警戒を怠らない。

 互いに挨拶を終えた俺たちは促されるように椅子に座りテーブルを挟んで改めて相対する。
 
 緊迫する空気の流れる中、口火を切ったのはハルレシオさんだった。

「それで? プリエルザ君の実家からの連絡では何やら話があるとのことだったけど……。もしかして先日の件のことかな?」

 口調は軽い。
 気安いといってもいい。
 しかし、視線は俺たちの一挙手一投足を見逃さないように鋭いままだった。
 彼は交渉の要であるニールから視線を逸らさない。
 
「ああ……単刀直入に言う。エリクシルを譲って欲しい」

 だが、ニールは怯まない。
 間髪入れずに自らの主張を誇示した。

「……君たちも金貨十万枚で手に入れようとしていたのだから当然知っているだろうけど、エリクシルの価値は高い。それこそ本来は一商会の小規模なオークションなどで決めるものではないほどに。エルフの女王の治めるリィーンガード森林王国で製造される人工の秘薬。求める者は多く、しかし製造数は限られている。王城に保管されている数も数えるほどだろう。……それを譲れと?」

「そうだ。無理を承知で頼んでいる。オレたちの全財産は金貨十万枚。アンタの落札した金貨二十五万枚には遠く及ばない。――――だが、それでも譲って欲しい」

「本当に無茶なことを言う。差額だけでも金貨十五万枚。王都に住む国民でも軽く十年は遊んで暮らせる額だ。その差はどう埋める?」

「俺がアンタのために働く」

 交渉はニールに一任していた。
 それでもこの提案を相談されたとき俺は反対した。
 あまりにもリスクが大き過ぎる。
 
「非合法なことじゃなけりゃあなんでもやろう。オレは冒険者だ。アンタが魔物を倒せというなら倒す。未開拓地域を探索しろというならそうする。希少素材を探せというならそれがどんなに困難なものでも見つけて見せる。オレがアンタの望みを叶えるために手伝おう」

 覚悟だった。

 冷静に事の推移を見守るハルレシオさんに見せる不退転の決意。

「……俺も微力ながら手伝います」

「クライ君、君もか……」

 条件を相手に委ねる。

 交渉について無知な俺でもとても危険な行為だとはわかる。

 だが、それでも手に入れたいものがある。
 目標とするものがある。
 心に定めたことがある。

 視界の端で苦い顔を浮かべるイクスムさん。

 彼女は俺まで付き合う必要はないといった。
 たとえ仲間でも友人でも線を引くことは大事だと。

 だが、ニールは俺の大切な仲間だ。
 ここで助力を申しでないなんて俺にはできない。
 それに……。

「……そうまでしてエリクシルを欲する理由はなんだい? 金貨十五万枚分を働くと言っても何年、下手をすれば何十年かかるかわからない話だ。……だが、ニール君、君にはその覚悟があるように思う。思わせるなにかがある。なぜだ?」

「家族のためだ。家族を癒やすためにエリクシルが必要なんだ。あの秘薬にはその可能性がある」

「可能性、だって?」

 終始冷静に見えたはずのハルレシオさんの表情が曇る。

「ああ、原因不明の病だ。エリクシルが本当に効くかは使って見ないとわからない」

「……そんな不確定のものに人生をかける。君はそういうのか?」

「ああ」

「……」

 ニールの迷いのない答えに沈黙するハルレシオさん。

「……だが、もしアンタがエリクシルを使って誰かを救いたいのなら……オレは身を引こう。エリクシルを使う権利は落札したハルレシオ・セリノヴァール、アンタにある。オレは一度オークションで敗けた身だ。それを止める権利はない。だが、理由は聞かせて欲しい。なぜあれほどの大金をかけてまで落札したんだ?」

「理由を話す前に解せないことがある。なぜ私にそれほど正直に内情を話す。金貨二十五万枚、差額でも金貨十五万枚の代償に取り返しのつかないことを要求されると思わないのか? 私が嫌がらせで条件を釣り上げ、いつまでも君を手放さないと思わないのか?」

「思わない」

「……私と君は出会ったばかりだ。なぜそう言い切れる」

「アンタは真っ向からエリクシルを落札した。正々堂々とオークションのルールに則って競い合った。あの時公爵家の力ならオークションを一時中断することもできたはずだ。だが、アンタはそれをしなかった。正規の方法で落札することに挑んだ。……それにこれはオレの勘だが、アンタは一度信頼した相手を裏切らない、そんな気がする」

「私は自慢ではないがあまり友人はいないよ」

「そうかもな」

 あっけらかんと答えるニール。

「それにだな。オレは覚悟は示したが、アンタが掲示した条件すべてに無条件で首を縦に振るとは言ってない」

「なんだって?」

「流石にオレも何十年も拘束されるのは嫌だ。自分から申し出てくれたとはいえクライをそれに付き合わせるのも嫌だ。……だからハルレシオ・セリノヴァール、アンタがエリクシルを譲ってもいいという条件を言ってくれ。なるべく短期間でこなせる金貨二十万枚分の条件を」

「呆れたよ。では先程までの啖呵は単に自らの主張を表明しただけなのかい。交渉とは関係なく」

「そうだ。だが、オレたちの覚悟のほどは伝わっただろう。エリクシルを本気で手に入れたいという決意が。オレは交渉は得意じゃない。アンタが望むことを事前に調査して先回りすることも、金貨二十五万枚に代わる対価も用意できない。だが、この心だけは偽らない。オレは目標と定めたことを必ずやり遂げる。その決意がある。アンタがオークションで真正面からオレと相対したようにオレもアンタに真正面から向き合うぜ。さあ、どうする? オレに、オレたちに任せれば大抵の困難は乗り越えるぞ! お買い得だと思うがな!」

「……」

 ニールの心からの言葉はハルレシオさんに届いただろうか。
 交錯する視線の中、彼は緊張を解くように一つ息を吐く。

「……無謀で愚直なんだな君は……」

 漏れでた言葉は果たして誰に向けた言葉なのか……。

「そうだな。だが、オレには仲間がいる。共に困難に挑んでくれる仲間が」

「…………」

 場を沈黙が支配した。

 深く考え込むハルレシオさん。

 ただ結果を待つ。

 時間だけが過ぎていく。

 そこにいままで黙って話を聞いていた彼女が声を張り上げた。
 それは彼女なりの気遣い。
 少しでも俺たちの力になりたいとの善意の叫び。

「セリノヴァールさん! 難しいのはわかりますが、どうかエリクシルを譲っていただけませんでしょうか! 我がヴィンヤード家はクライ様の味方! 当然ご友人であるニール様のお力になりますわ! ここは公爵家の血筋であるこのプリエルザの顔に免じて――――」

「公爵家の血筋、か。だがプリエルザ君、君は公爵家ではない。それはわかっているだろう?」

 ハルレシオさんの質問が空気を裂く。

 プリエルザ・ヴィンヤード、彼女の真意を彼は問うた。
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