悪い魔法使い、その愛妻

三糸タルト

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求婚、結婚

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その夜のことだった。
玄関の戸が叩かれる。
恐らく、いや、絶対にそうだ。

「リコは部屋に隠れておけ。これは私の問題だ」

アリアスにそう強く言われた。私は主人の命令に逆らうわけにもいかず、部屋から聞き耳をたてることにした。
いざとなったら、いつでも飛び出せる準備をして。

音だけが聞こえる。

コツコツコツ
重い靴の音だ。
緊迫した空気は壁を隔てでも伝わってきた。

「こんばんは」

ヨルア・ルウの声なのだろうか。
予想していたより、ずっと穏やかで静かな声だ。

「ヨルア・ルウと申します。
本日、この屋敷の前で僕の使い魔が一匹潰されまして…なにかご存知のことはありませんかね」

「…私がやった」

「おや、そうでしたか。正直に名乗り出てくださってありがとうございます」

コツコツコツ、
さらに詰め寄る靴の音。

「…で、どう落とし前をつけるおつもりですか?」

「か、金なら払う…見逃してもらえないか…」

「貴方も魔法を扱うならわかるでしょう。
使い魔というのは金で買えるシロモノじゃない。長い年月をかけて調教し、服従させたのですよ。
もし、それをお金に変えると言うなら…
そうですね、金貨3000万枚と言ったところでしょうか」

なんというぼったくりだろうか!
ツキリア家の先祖代々蓄積してきた全財産を持っても足りない。
私は手を握りしめる。

もう出てしまおうか…。

いや、まだだ。
私が出れば主人に恥をかかせることになる。だから、最終手段なのだ。

「そんな大金…」

「或いは、君自身の魔力を僕に差し出しますか?
使い魔の変わりにはならないが、少しばかりとは言え僕の研究の足しになるでしょう」

酷い侮辱だ。
それに一人息子のアリアスが魔力を差し出したら、ツキリア本家は魔力を失うことになる。
つまりそれは、ツキリア家の衰退を意味していた。

「そ、それはいけない!
息子は王宮付き魔法使いを目指しているんです!」

思わず旦那様が声を上げる。
その必死な声を、ヨルア・ルウは「王宮付き魔法使いねえ」と鼻で笑った。

「ではどうするのです?
金貨も払えず、魔力も差し出せない。タダで見過ごせと?それはウマがよすぎるんじゃないですかね。
こんな二流魔法一族、今すぐここで家ごと潰しても良いんですよ」

パチンと指を鳴らす音がした。
すると、地震のように屋敷全体が揺れる。
いよいよ飛び出そうとしていた私も思わずよろけて尻餅をついた。

「或いは、
或いは、或いは…」

その声と共に、揺れは収まる。

「あるひとつの条件を飲めば見逃してあげてもよいですよ」

「条件…?」

その次にヨルア・ルウから飛び出した言葉はあまりにも衝撃的で、私は頭が弾かれるような思いをした。

「ここにリコという名の孤児の小間使いがいるでしょう。彼女を僕にください」

えっ?

「えっ?」

「えっ?」

全員がそう声をあげた。

「ナニ、人体実験に使ったりしません。
正式な妻として迎え入れます。
どうです、悪い話じゃないでしょう?」

「リコを…」

戸惑ったのか、アリアスも旦那様も口ごもる。
私はついに扉を開けて飛び出した。

「私、いきます…!」

途方もない金貨、アリアスの魔力、ツキリア家そのもの、
孤児で魔力もない使用人が身を捧げればそれら全てを守れるのだ。
こんな安い買い物はない。

「リコ…!」

そう叫ぶアリアスを無視して、ヨルア・ルウの目の前に立つ。

それは10年ぶりの再会だった。
相変わらず彼の印象は「真っ黒の男」だ。
しかし、10年前とは全く違う。短い黒髪は紳士風に後ろに撫で付けられ、立派な革靴を履いて、完璧に仕立て上げられたピカピカの服を着ていた。
青白い肌、薄い唇、筋の通った鼻、一見すると素晴らしい美男の紳士だ。
しかし、獣のように鋭い目だけは、あの時と同じだった。

彼はうっすらと微笑みを浮かべながら近づくと、私の前で膝を付き、手をとった。

「孤児のリコ
我、ヨルア・ルウは汝を妻に請わん」

「…お受けします」

古い求婚の言葉。
それに答えると、彼は私の手に口付けをした。
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