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花火デート
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「焼けたねー」
「そっすか?」
陸上部だからか、前から私より焼けていた肌は、合宿でさらにこんがり焼けていた。
悠くんの腕と自分の腕を並べ見比べてみる。夜の中、私の腕は白く浮いて見えた。
「合宿どうだった?」
「まぁ、良い感じっすかね」
「そっかぁ、良い感じか」
他愛ない話をしながら歩く私たちの前後にも、たくさんの人が歩いている。出店を覗いていく人、履き慣れない下駄に苦労している人で、通行人の流れは遅い。
これから始まる花火を楽しみにしながらも、隣の悠くんにどきどきとしていた。陸上部の合宿があったため、会ったのは二週間ぶりだ。久しぶりに会えたことに加え、初めて見る浴衣姿に、私の心臓はずっと忙しなく動いていた。
夜になっても下がらない気温、むわっとする湿気に夏を感じる。前を歩く仲の良いカップルを見て、私たちもあんなふうに見えていたら良いなと思った。
「人多くなってきたっすね。俺、なんか食い物買ってくるっすよ」
「ありがとう。でも一緒に行くよ?」
「いえ、大丈夫っす」
テキトーに買ってきます、と悠くんは出店の方へ向かってく。下駄のせいか、少し足に違和感があったため、悠くんの気遣いはありがたかった。
見つけやすいように、道の端に寄って待つ。悠くんが見えなくなったことを確認すると、手で前髪を整える。体を見下ろして、浴衣に乱れがないかもチェックした。
「あれ、千帆?」
「え……」
聞こえた声に、体も思考も停止した。忘れようと奥深くにしまった記憶が、いっきに溢れる。
反射的に顔を向けた先には、驚きながらも下品に笑う元恋人がいた。
「え、なんか可愛くなったじゃん」
無遠慮にジロジロと全身を見られる。次に会ったときには色々言いたいことがあったはずなのに、私がとった行動は拒絶だった。
「どっか行って。私、人と来てるの」
「人って彼氏?」
「教えない」
「えー、ひでぇ」
どうしているの。なんで私に声をかけるの。もう他人なのに。
こんな人のせいで涙を流した自分は馬鹿だったと、怒りがこみ上げる。
これ以上ここにいたら怒りを我慢できなくなりそうだと思ったと同時に、私と元恋人の間に長身が割り込んできた。広い背で視界が遮られる。
「ども。なんか用っすか」
「あー、べつに、用ってほどじゃ……」
「じゃあ俺たちはこれで。千帆さんお待たせっす」
悠くんの登場に、元恋人は一瞬うろたえる。その間に私の手を掴み、悠くんは歩き出した。
初めて触れた手に心臓を跳ねつつ、引っ張られるようについて行く。悠くんの反対の手には、ビニール袋がぶら下がっていた。
「……ありがと」
小さく落とした声が、彼に届いたかはわからない。悠くんは振り返らずにただ進んだ。彼がさっきのやりとりをどう思ったかわからなくて、不安になる。
無言で歩いているうちに、辺りがぱっと明るくなる。少し遅れて、ドン、と大きな音が骨を震わせた。夜空に浮かんだ光は、すぐにパラパラと消えていく。
綺麗で力強いのに、何故か切なさも滲んだ。
「始まっちゃったすね」
「うん……」
悠くんと楽しむ予定だった初めての花火デート。どうしてこんなことになってしまったんだろう。誰に向ければよいかわからない悔しさがチクチクと胸を刺した。
人通りが少なくなった道を歩きながら目を伏せる。花火が終わっても、私と悠くんの間には、気まずい空気が広がっていた。
さっきまで繋がっていた手は今は寂しく揺れている。いつもより歩く速度が速い悠くんに、私は必死についていった。浴衣で歩幅が狭いから、忙しなく足を動かす。
しかしついに、下駄の先が地面に引っかかってしまった。
「いたっ」
つまずきバランスを崩した体は地面に近づく。倒れないように支えた手と膝に小石が食い込んで痛みを生んだ。
こんな喧嘩みたいなことをするはずじゃなかった。自分に似合う浴衣を選んで、悠くんが好きな色のネイルにして、ヘアアレンジも練習して、いつもとは違うメイクにしたのは、こんなことのためじゃない。悠くんに少しでも可愛いと思ってもらうためだ。
情けなさと寂しさで息はつまり、目頭が熱くなる。嫌われてしまったらどうしようかと胸が張り裂けそうで涙が滲んだ。
「千帆さん!」
顔を上げずに泣かないよう我慢していると、悠くんは慌てて戻ってきた。それにホッとしつつ、面倒だと思われたくなくて、指先で目元を拭う。
「大丈夫っすか」
「……うん」
「ほんと、すんません……」
うなだれた悠くんは私と同じように地面にしゃがむ。顔を覗き込んできた瞳は後悔で揺れていて、私はまた涙が溢れそうになるのを堪えた。
「もう、大丈夫だから……っ」
立ち上がろうと足に力を込めた瞬間、ビリっと痛みを感じる。見れば坪を挟む指の間が赤くなっていた。どうしてこんなにすべてが上手くいかないのだろう。
ずっとここにいるわけにも行かず、私はまた手で地面を押す。痛くても悠くんに迷惑はかけたくなかった。
しかし立ち上がる前に、大きな背中が向けられる。
「嫌じゃなければ……」
ためらいがちに向けられた背。私はすぐにその意図に気づく。
おんぶなんて子供の頃以来で恥ずかしいし、もし重いと思われたらという恐怖がある。しかし彼の優しさが嬉しくて、私はそっと体を預けた。
丁寧におぶった悠くんはゆっくりと歩き出す。進む度におとずれる小さな揺れが心地よかった。
「さっき、恋人だって紹介しなくて、ごめんね」
「……俺が気にしてたの、気づいてたんすね」
元恋人に、彼氏と来ているのかと訊かれて、そうだとは言わなかった私。
気まずさの原因に触れるのは怖いけど、このまま帰りたくない。
「言い訳みたいだけど、あいつに今の私のことも、悠くんのことも、何も教えたくなかった。あいつの人生に、私たちのことを、少しも入れたくなかったの」
自分で声に出していても、やっぱり言い訳みたいだと思う。でもそれが本心だった。
こんなにも優しくて、私のことを大切にしてくれる悠くんのことを、あんなやつに教えたくない。けれど悠くんからしたら、はっきり恋人だと言われないのはいい気分じゃないだろう。相手が元恋人なら尚更。
「……千帆さんのことを傷つけた人かと思うと、すげぇむかついて。……俺、周り見えてなかったっす。ほんとすんません」
「ううん。怒ってくれて嬉しい。ありがと」
悠くんは何も悪くない。ただふたりの気持ちや考えが、少しすれ違ってしまっただけだった。
ふぅ、と細く息を吐き、悠くんの背におでこをくっつける。息を吸うと嗅ぎ慣れない香りがして、これが悠くんの匂いかと気づいた。
「喧嘩、心臓に悪いね」
「……できればもうしたくないっす」
「そうだね」
さっきまでの気まずい空気は消えている。喧嘩とも言えないようなものだったけど、いつも通りに戻ったことに、大きな安心を感じた。本当に悠くんのことが大好きなんだなぁと、どこか他人事のように思う。
しばらく続いていた心地よい沈黙を破り、悠くんはぽつりと呟いた。
「……千帆さん、好き、だよ」
いつもとは少し違う口調。ぎこちないながらも想いが伝わってくる声に、心臓がきゅっと音を立てた。あぁ、幸せだなぁと思う。
幸せと、少しの切なさで視界がまた滲み出した。
「どしたの、急に」
「いや、なんとなく……」
誤魔化すように咳払いをする悠くん。髪の間から覗く耳が赤くなっていることに気づき、彼にぎゅっとしがみついた。少し慌てたような雰囲気におかしくなる。
「悠くん、好き」
「……っすか」
「そうっす」
ふたりで花火を楽しめなくても、私たちは大丈夫。悠くんの背で揺られながらふとそんなことを思った。
じれったく、少しずつ近づいていく私たちを、夏の夜風が撫でた。
「そっすか?」
陸上部だからか、前から私より焼けていた肌は、合宿でさらにこんがり焼けていた。
悠くんの腕と自分の腕を並べ見比べてみる。夜の中、私の腕は白く浮いて見えた。
「合宿どうだった?」
「まぁ、良い感じっすかね」
「そっかぁ、良い感じか」
他愛ない話をしながら歩く私たちの前後にも、たくさんの人が歩いている。出店を覗いていく人、履き慣れない下駄に苦労している人で、通行人の流れは遅い。
これから始まる花火を楽しみにしながらも、隣の悠くんにどきどきとしていた。陸上部の合宿があったため、会ったのは二週間ぶりだ。久しぶりに会えたことに加え、初めて見る浴衣姿に、私の心臓はずっと忙しなく動いていた。
夜になっても下がらない気温、むわっとする湿気に夏を感じる。前を歩く仲の良いカップルを見て、私たちもあんなふうに見えていたら良いなと思った。
「人多くなってきたっすね。俺、なんか食い物買ってくるっすよ」
「ありがとう。でも一緒に行くよ?」
「いえ、大丈夫っす」
テキトーに買ってきます、と悠くんは出店の方へ向かってく。下駄のせいか、少し足に違和感があったため、悠くんの気遣いはありがたかった。
見つけやすいように、道の端に寄って待つ。悠くんが見えなくなったことを確認すると、手で前髪を整える。体を見下ろして、浴衣に乱れがないかもチェックした。
「あれ、千帆?」
「え……」
聞こえた声に、体も思考も停止した。忘れようと奥深くにしまった記憶が、いっきに溢れる。
反射的に顔を向けた先には、驚きながらも下品に笑う元恋人がいた。
「え、なんか可愛くなったじゃん」
無遠慮にジロジロと全身を見られる。次に会ったときには色々言いたいことがあったはずなのに、私がとった行動は拒絶だった。
「どっか行って。私、人と来てるの」
「人って彼氏?」
「教えない」
「えー、ひでぇ」
どうしているの。なんで私に声をかけるの。もう他人なのに。
こんな人のせいで涙を流した自分は馬鹿だったと、怒りがこみ上げる。
これ以上ここにいたら怒りを我慢できなくなりそうだと思ったと同時に、私と元恋人の間に長身が割り込んできた。広い背で視界が遮られる。
「ども。なんか用っすか」
「あー、べつに、用ってほどじゃ……」
「じゃあ俺たちはこれで。千帆さんお待たせっす」
悠くんの登場に、元恋人は一瞬うろたえる。その間に私の手を掴み、悠くんは歩き出した。
初めて触れた手に心臓を跳ねつつ、引っ張られるようについて行く。悠くんの反対の手には、ビニール袋がぶら下がっていた。
「……ありがと」
小さく落とした声が、彼に届いたかはわからない。悠くんは振り返らずにただ進んだ。彼がさっきのやりとりをどう思ったかわからなくて、不安になる。
無言で歩いているうちに、辺りがぱっと明るくなる。少し遅れて、ドン、と大きな音が骨を震わせた。夜空に浮かんだ光は、すぐにパラパラと消えていく。
綺麗で力強いのに、何故か切なさも滲んだ。
「始まっちゃったすね」
「うん……」
悠くんと楽しむ予定だった初めての花火デート。どうしてこんなことになってしまったんだろう。誰に向ければよいかわからない悔しさがチクチクと胸を刺した。
人通りが少なくなった道を歩きながら目を伏せる。花火が終わっても、私と悠くんの間には、気まずい空気が広がっていた。
さっきまで繋がっていた手は今は寂しく揺れている。いつもより歩く速度が速い悠くんに、私は必死についていった。浴衣で歩幅が狭いから、忙しなく足を動かす。
しかしついに、下駄の先が地面に引っかかってしまった。
「いたっ」
つまずきバランスを崩した体は地面に近づく。倒れないように支えた手と膝に小石が食い込んで痛みを生んだ。
こんな喧嘩みたいなことをするはずじゃなかった。自分に似合う浴衣を選んで、悠くんが好きな色のネイルにして、ヘアアレンジも練習して、いつもとは違うメイクにしたのは、こんなことのためじゃない。悠くんに少しでも可愛いと思ってもらうためだ。
情けなさと寂しさで息はつまり、目頭が熱くなる。嫌われてしまったらどうしようかと胸が張り裂けそうで涙が滲んだ。
「千帆さん!」
顔を上げずに泣かないよう我慢していると、悠くんは慌てて戻ってきた。それにホッとしつつ、面倒だと思われたくなくて、指先で目元を拭う。
「大丈夫っすか」
「……うん」
「ほんと、すんません……」
うなだれた悠くんは私と同じように地面にしゃがむ。顔を覗き込んできた瞳は後悔で揺れていて、私はまた涙が溢れそうになるのを堪えた。
「もう、大丈夫だから……っ」
立ち上がろうと足に力を込めた瞬間、ビリっと痛みを感じる。見れば坪を挟む指の間が赤くなっていた。どうしてこんなにすべてが上手くいかないのだろう。
ずっとここにいるわけにも行かず、私はまた手で地面を押す。痛くても悠くんに迷惑はかけたくなかった。
しかし立ち上がる前に、大きな背中が向けられる。
「嫌じゃなければ……」
ためらいがちに向けられた背。私はすぐにその意図に気づく。
おんぶなんて子供の頃以来で恥ずかしいし、もし重いと思われたらという恐怖がある。しかし彼の優しさが嬉しくて、私はそっと体を預けた。
丁寧におぶった悠くんはゆっくりと歩き出す。進む度におとずれる小さな揺れが心地よかった。
「さっき、恋人だって紹介しなくて、ごめんね」
「……俺が気にしてたの、気づいてたんすね」
元恋人に、彼氏と来ているのかと訊かれて、そうだとは言わなかった私。
気まずさの原因に触れるのは怖いけど、このまま帰りたくない。
「言い訳みたいだけど、あいつに今の私のことも、悠くんのことも、何も教えたくなかった。あいつの人生に、私たちのことを、少しも入れたくなかったの」
自分で声に出していても、やっぱり言い訳みたいだと思う。でもそれが本心だった。
こんなにも優しくて、私のことを大切にしてくれる悠くんのことを、あんなやつに教えたくない。けれど悠くんからしたら、はっきり恋人だと言われないのはいい気分じゃないだろう。相手が元恋人なら尚更。
「……千帆さんのことを傷つけた人かと思うと、すげぇむかついて。……俺、周り見えてなかったっす。ほんとすんません」
「ううん。怒ってくれて嬉しい。ありがと」
悠くんは何も悪くない。ただふたりの気持ちや考えが、少しすれ違ってしまっただけだった。
ふぅ、と細く息を吐き、悠くんの背におでこをくっつける。息を吸うと嗅ぎ慣れない香りがして、これが悠くんの匂いかと気づいた。
「喧嘩、心臓に悪いね」
「……できればもうしたくないっす」
「そうだね」
さっきまでの気まずい空気は消えている。喧嘩とも言えないようなものだったけど、いつも通りに戻ったことに、大きな安心を感じた。本当に悠くんのことが大好きなんだなぁと、どこか他人事のように思う。
しばらく続いていた心地よい沈黙を破り、悠くんはぽつりと呟いた。
「……千帆さん、好き、だよ」
いつもとは少し違う口調。ぎこちないながらも想いが伝わってくる声に、心臓がきゅっと音を立てた。あぁ、幸せだなぁと思う。
幸せと、少しの切なさで視界がまた滲み出した。
「どしたの、急に」
「いや、なんとなく……」
誤魔化すように咳払いをする悠くん。髪の間から覗く耳が赤くなっていることに気づき、彼にぎゅっとしがみついた。少し慌てたような雰囲気におかしくなる。
「悠くん、好き」
「……っすか」
「そうっす」
ふたりで花火を楽しめなくても、私たちは大丈夫。悠くんの背で揺られながらふとそんなことを思った。
じれったく、少しずつ近づいていく私たちを、夏の夜風が撫でた。
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