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行かないで
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※他人から嫌な感じに触られているのがわかるシーンがあります。
早く早くと足が急く。しかし駆け出すわけにもいかず、俺は高鳴る胸を押さえつけた。
前回結月と会ってから六日。早く結月に会いたい、あの柔らかな笑顔が見たい。それだけを思いながら信号を渡る。もう店まであと少しというところで、俺は足を止めた。無意識に息を潜める。
「ありがとうございました」
「結月、今日も良かったよ」
夜の中でも男ふたりが立っているのが見えた。すぐに結月と客だろうとわかる。
頭を下げた結月の肩に、親しげに触れる男性客。それを見た瞬間、全身がカッと熱くなった。
なにしてんだ。結月に触るな。そんな言葉が口から飛び出そうになる。
「また来るから」
「……はい」
やっと手を離した男はこちらに背を向けて歩き出した。離れていく背を見送る結月はその場を動かない。
俺は何故かすぐそこにいる結月に声をかけられなかった。求め、焦がれていた人がいるのに、足は進まない。
理由は自分でもわかっていた。さっき自分は何を思った? どんな言葉を浮かべた?
結月が相手をしているのは俺だけではないのに、そのことに腹をたて、醜い嫉妬をした。俺だってあの男と同じ客で、結月は仕事として相手をしてくれているだけなのに。
自然とため息がもれる。それで気づいたのか、結月が振り返った。
「トキオさん……?」
「……お疲れ、結月」
抱いた身勝手な嫉妬や反省を悟られないよう、いつも通りを意識する。結月は驚いたように目を大きくした。
「見送りか?」
「あ、はい……トキオさんはお店に来てくれたんですか? どうぞ中に入ってください」
普段通りの笑顔を浮かべながら、店のドアに手をかける結月。しかしどこか違和感があった。俺と同じように、何かを誤魔化している感じがする。
「結月? 何かあったのか?」
「え……」
大きく足を進めると、ふわふわの耳がビクッと揺れる。そんな反応を見るのは初めてだった。俯いた結月から微笑みは消える。怯えているのだと気づいた。
「どうした? 俺、離れた方がいいか?」
「いやだ、行かないで!」
勢い良く上げられた顔が懇願するかのように俺に向く。切羽詰まった様子に、何か酷いことが起きているのかと焦りが生まれた。
大きな声を出してしまったことに自分で驚いたらしい結月は、どうしたら良いのかわからないといったふうに目を泳がす。
不安が押し寄せ、鼓動が速くなった。
「わかった、ここにいるから。無理に話さなくてもいい。店の中でゆっくりしよう」
「トキオさん……」
口下手な自分が嫌になる。少しでも結月を安心させたいのに、俺はそんなことしか言えなかった。
驚かせないよう今度はゆっくり足を動かす。うなだれる結月はいつもより小さく見えて胸を締め付けられた。
「……ときどき、変な触り方をされるんです」
変ってどんな? と聞こうとして思いとどまる。視線を落とし、セーターの裾を握る結月。その言葉がどんなことを指しているのかはすぐに想像できた。
今度はさっきとは反対に体が冷たくなり、足がすくむ。突然のことに俺の頭は真っ白になった。
今帰って行った男は店では許されていない触り方をしている。そんな触り方を結月にしている。
強い怒りや憎しみが湧いてくる。しかしそれ以上に結月が傷ついていることが辛く、心配、焦りが襲ってきた。
「っ、そうだったのか……それは、辛かったよな」
これ以上結月が傷つかないよう、少しでも心を軽くできればとなるべく優しい声を意識する。
芸能界という特殊な世界で色んな経験をして、たくさんの人物になりきってきたというのに、そんな言葉しか掛けられない自分が情けなかった。
どんな言葉をかけるのが正解かわからないが、これ以上結月が悲しまなくていいように、必死に頭を働かせる。
「……誰かに相談とかはしたのか?」
「誰にも言ってません……いま、初めて言いました」
小さく首を横に振る結月。初めて見る姿は痛々しく、胸が痛む。すぐに結月が安心できるよう、この状況をなんとかしたいと強く思った。
「俺から店長に言おうか? さっきのヤツに二度と来んなって言いたいけど、それで結月が危ない目にあうかもしんねぇし……」
「いえ、そんな……僕も、トキオさんを巻き込みたいわけではなくて……」
自分が傷ついているのに俺の事を気にかけるのは結月らしいと思う。けど、こんな時には自分のことだけを考えて欲しかった。
ただの客でありながら傲慢だとはわかっているが、もっと俺を頼って欲しい。俺の前では強がらないで欲しいと思う。
怯え、傷ついている結月に何かを求めるなんて酷い行為だ。そんなことをしてしまう自分に、唇を噛む。
違う関係なら、もっと結月のそばに行くことを許してもらえるだろうか。
「……この後、話せないか? 何時になってもいい。嫌だったら無視してもいい。俺、閉店までこの前教えた喫茶店にいるから」
「トキオさん……」
近くに時々利用するレトロな喫茶店があることは以前結月に話していた。その時は「今度僕も行ってみます」と笑っていたのを思い出す。良い印象を持って欲しかったのに、これじゃ嫌な記憶になってしまうかもしれない。
この言い方はずるかったかもしれないなと思う。待っているとわかっていながら無視するなんて、優しい結月には無理だろうから。
不安げに瞳を揺らす結月の手を握れる関係だったらなんて、また俺は身勝手なことを思っていた。
早く早くと足が急く。しかし駆け出すわけにもいかず、俺は高鳴る胸を押さえつけた。
前回結月と会ってから六日。早く結月に会いたい、あの柔らかな笑顔が見たい。それだけを思いながら信号を渡る。もう店まであと少しというところで、俺は足を止めた。無意識に息を潜める。
「ありがとうございました」
「結月、今日も良かったよ」
夜の中でも男ふたりが立っているのが見えた。すぐに結月と客だろうとわかる。
頭を下げた結月の肩に、親しげに触れる男性客。それを見た瞬間、全身がカッと熱くなった。
なにしてんだ。結月に触るな。そんな言葉が口から飛び出そうになる。
「また来るから」
「……はい」
やっと手を離した男はこちらに背を向けて歩き出した。離れていく背を見送る結月はその場を動かない。
俺は何故かすぐそこにいる結月に声をかけられなかった。求め、焦がれていた人がいるのに、足は進まない。
理由は自分でもわかっていた。さっき自分は何を思った? どんな言葉を浮かべた?
結月が相手をしているのは俺だけではないのに、そのことに腹をたて、醜い嫉妬をした。俺だってあの男と同じ客で、結月は仕事として相手をしてくれているだけなのに。
自然とため息がもれる。それで気づいたのか、結月が振り返った。
「トキオさん……?」
「……お疲れ、結月」
抱いた身勝手な嫉妬や反省を悟られないよう、いつも通りを意識する。結月は驚いたように目を大きくした。
「見送りか?」
「あ、はい……トキオさんはお店に来てくれたんですか? どうぞ中に入ってください」
普段通りの笑顔を浮かべながら、店のドアに手をかける結月。しかしどこか違和感があった。俺と同じように、何かを誤魔化している感じがする。
「結月? 何かあったのか?」
「え……」
大きく足を進めると、ふわふわの耳がビクッと揺れる。そんな反応を見るのは初めてだった。俯いた結月から微笑みは消える。怯えているのだと気づいた。
「どうした? 俺、離れた方がいいか?」
「いやだ、行かないで!」
勢い良く上げられた顔が懇願するかのように俺に向く。切羽詰まった様子に、何か酷いことが起きているのかと焦りが生まれた。
大きな声を出してしまったことに自分で驚いたらしい結月は、どうしたら良いのかわからないといったふうに目を泳がす。
不安が押し寄せ、鼓動が速くなった。
「わかった、ここにいるから。無理に話さなくてもいい。店の中でゆっくりしよう」
「トキオさん……」
口下手な自分が嫌になる。少しでも結月を安心させたいのに、俺はそんなことしか言えなかった。
驚かせないよう今度はゆっくり足を動かす。うなだれる結月はいつもより小さく見えて胸を締め付けられた。
「……ときどき、変な触り方をされるんです」
変ってどんな? と聞こうとして思いとどまる。視線を落とし、セーターの裾を握る結月。その言葉がどんなことを指しているのかはすぐに想像できた。
今度はさっきとは反対に体が冷たくなり、足がすくむ。突然のことに俺の頭は真っ白になった。
今帰って行った男は店では許されていない触り方をしている。そんな触り方を結月にしている。
強い怒りや憎しみが湧いてくる。しかしそれ以上に結月が傷ついていることが辛く、心配、焦りが襲ってきた。
「っ、そうだったのか……それは、辛かったよな」
これ以上結月が傷つかないよう、少しでも心を軽くできればとなるべく優しい声を意識する。
芸能界という特殊な世界で色んな経験をして、たくさんの人物になりきってきたというのに、そんな言葉しか掛けられない自分が情けなかった。
どんな言葉をかけるのが正解かわからないが、これ以上結月が悲しまなくていいように、必死に頭を働かせる。
「……誰かに相談とかはしたのか?」
「誰にも言ってません……いま、初めて言いました」
小さく首を横に振る結月。初めて見る姿は痛々しく、胸が痛む。すぐに結月が安心できるよう、この状況をなんとかしたいと強く思った。
「俺から店長に言おうか? さっきのヤツに二度と来んなって言いたいけど、それで結月が危ない目にあうかもしんねぇし……」
「いえ、そんな……僕も、トキオさんを巻き込みたいわけではなくて……」
自分が傷ついているのに俺の事を気にかけるのは結月らしいと思う。けど、こんな時には自分のことだけを考えて欲しかった。
ただの客でありながら傲慢だとはわかっているが、もっと俺を頼って欲しい。俺の前では強がらないで欲しいと思う。
怯え、傷ついている結月に何かを求めるなんて酷い行為だ。そんなことをしてしまう自分に、唇を噛む。
違う関係なら、もっと結月のそばに行くことを許してもらえるだろうか。
「……この後、話せないか? 何時になってもいい。嫌だったら無視してもいい。俺、閉店までこの前教えた喫茶店にいるから」
「トキオさん……」
近くに時々利用するレトロな喫茶店があることは以前結月に話していた。その時は「今度僕も行ってみます」と笑っていたのを思い出す。良い印象を持って欲しかったのに、これじゃ嫌な記憶になってしまうかもしれない。
この言い方はずるかったかもしれないなと思う。待っているとわかっていながら無視するなんて、優しい結月には無理だろうから。
不安げに瞳を揺らす結月の手を握れる関係だったらなんて、また俺は身勝手なことを思っていた。
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