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傷つきたくないのに
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「池田さんとデートしたんだろ?」
自分の名前が聞こえて驚き、足を止める。曲がり角の向こうに人の気配がした。
「で、どうだった?」
「どうだったって、ふつーに楽しかったよ。映画も店も気に入ってたみたいだし」
聞こえた鳴沢くんの声に、さっきの池田はやっぱり私のことだったのだとわかる。偶然通りかかっただけだけど、立ち聞きするのはまずい気がして、体を反転させた。
しかし私が離れる前に会話は進んでいく。
「でもよく職場の人と付き合おうと思えるよな。後のこと考えたら気まずくて無理だわ」
「まぁそれも考えはするけどさ……池田さん、元カノに似てるんだよ」
「は? それが? もしかして元カノに似てるから付き合いたいとか?」
「まぁ、そんなとこ。元カノには絶縁されてるからさー」
「うわひでぇ、クズじゃん」
「そんなに酷いか?」
手足が冷たくなっていく。息苦しさに襲われて呼吸をしていないことに気づいた。
何も考えられないけど、一刻も早くこの場を離れたくて足を動かす。傷つきたくないのに、苦しくて痛くて、視界に入った女子トイレに駆け込んだ。
誰もいないことを確かめて、大きく息を吐く。
「はぁ……帰りたい」
帰って温かいお風呂に入って、布団にくるまって眠りたい。どうしてデートなんてしたんだろうと、今更考えてもしかたがないことを後悔して、心に棘を刺す。
脳裏に浮かんだ友達の顔と「男運ないよね」という言葉に、そうだねと頷いた。
帰りたいと強く思っていたはずなのに、どうしてかマンションに入る気がおこらなかった。マンションから数メートル手前の街灯下で、何をするでもなく立っている。
もし中に乙部さんがいたら、私はいつも通りを装えるだろうか。もし乙部さんに気づかれ、優しさを向けられたら、何があったかを言わずにいられるだろうか。
乙部さんの忠告を無視して鳴沢くんと食事に行ったのに、結局乙部さんに泣きつくのはずるい気がする。
「……お腹すいた」
少し前までは帰宅する人が数人歩いていたのに、今は真っ暗ななかに一人きりだった。
部屋に帰る気がおきないならどこかで夕飯を食べようかな。人が多い駅には戻りたくないからこの辺りにあるお店を思い出す。
上手く働かない頭で考えていたからか、近づいてくる人影に気づかなかった。
「……池田様?」
「え?」
名前を呼ばれた気がして意識を引き戻す。私を心配げに見つめる男性が誰だかすぐにはわからなかった。
「乙部さん……?」
「どうかなさいましたか? お帰りが遅いので心配しておりました」
仕事を終えて帰るところなのだろう。街灯に照らされる乙部さんは私服姿だった。スーツを着ている乙部さんしか知らないから、不思議な感じがする。
「あ、いえ、なんともないですよ」
急いで笑みを貼り付ける。なんともないですと手を振る私に、また一歩、乙部さんは近づいた。
「……私でよければお話してみませんか? もし嫌でしたら落ち着くまでお傍にいさせてもらえませんか?」
「っ……」
覗き込む乙部さんの顔には不安、心配が浮かんでいる。どうして気づいてしまうの。どうしてこんなに優しくしてくれるの。その優しさによりかかっても良いのだろうか。
色んな感情が混ざりあって、喉の奥に痛みを生む。ぼやけていく視界のなか、私はただ小さく頷いた。
自分の名前が聞こえて驚き、足を止める。曲がり角の向こうに人の気配がした。
「で、どうだった?」
「どうだったって、ふつーに楽しかったよ。映画も店も気に入ってたみたいだし」
聞こえた鳴沢くんの声に、さっきの池田はやっぱり私のことだったのだとわかる。偶然通りかかっただけだけど、立ち聞きするのはまずい気がして、体を反転させた。
しかし私が離れる前に会話は進んでいく。
「でもよく職場の人と付き合おうと思えるよな。後のこと考えたら気まずくて無理だわ」
「まぁそれも考えはするけどさ……池田さん、元カノに似てるんだよ」
「は? それが? もしかして元カノに似てるから付き合いたいとか?」
「まぁ、そんなとこ。元カノには絶縁されてるからさー」
「うわひでぇ、クズじゃん」
「そんなに酷いか?」
手足が冷たくなっていく。息苦しさに襲われて呼吸をしていないことに気づいた。
何も考えられないけど、一刻も早くこの場を離れたくて足を動かす。傷つきたくないのに、苦しくて痛くて、視界に入った女子トイレに駆け込んだ。
誰もいないことを確かめて、大きく息を吐く。
「はぁ……帰りたい」
帰って温かいお風呂に入って、布団にくるまって眠りたい。どうしてデートなんてしたんだろうと、今更考えてもしかたがないことを後悔して、心に棘を刺す。
脳裏に浮かんだ友達の顔と「男運ないよね」という言葉に、そうだねと頷いた。
帰りたいと強く思っていたはずなのに、どうしてかマンションに入る気がおこらなかった。マンションから数メートル手前の街灯下で、何をするでもなく立っている。
もし中に乙部さんがいたら、私はいつも通りを装えるだろうか。もし乙部さんに気づかれ、優しさを向けられたら、何があったかを言わずにいられるだろうか。
乙部さんの忠告を無視して鳴沢くんと食事に行ったのに、結局乙部さんに泣きつくのはずるい気がする。
「……お腹すいた」
少し前までは帰宅する人が数人歩いていたのに、今は真っ暗ななかに一人きりだった。
部屋に帰る気がおきないならどこかで夕飯を食べようかな。人が多い駅には戻りたくないからこの辺りにあるお店を思い出す。
上手く働かない頭で考えていたからか、近づいてくる人影に気づかなかった。
「……池田様?」
「え?」
名前を呼ばれた気がして意識を引き戻す。私を心配げに見つめる男性が誰だかすぐにはわからなかった。
「乙部さん……?」
「どうかなさいましたか? お帰りが遅いので心配しておりました」
仕事を終えて帰るところなのだろう。街灯に照らされる乙部さんは私服姿だった。スーツを着ている乙部さんしか知らないから、不思議な感じがする。
「あ、いえ、なんともないですよ」
急いで笑みを貼り付ける。なんともないですと手を振る私に、また一歩、乙部さんは近づいた。
「……私でよければお話してみませんか? もし嫌でしたら落ち着くまでお傍にいさせてもらえませんか?」
「っ……」
覗き込む乙部さんの顔には不安、心配が浮かんでいる。どうして気づいてしまうの。どうしてこんなに優しくしてくれるの。その優しさによりかかっても良いのだろうか。
色んな感情が混ざりあって、喉の奥に痛みを生む。ぼやけていく視界のなか、私はただ小さく頷いた。
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