こんなに甘くていいのかな?

たがわリウ

文字の大きさ
上 下
8 / 12

傷つきたくないのに

しおりを挟む
「池田さんとデートしたんだろ?」

 自分の名前が聞こえて驚き、足を止める。曲がり角の向こうに人の気配がした。

「で、どうだった?」
「どうだったって、ふつーに楽しかったよ。映画も店も気に入ってたみたいだし」

 聞こえた鳴沢くんの声に、さっきの池田はやっぱり私のことだったのだとわかる。偶然通りかかっただけだけど、立ち聞きするのはまずい気がして、体を反転させた。
 しかし私が離れる前に会話は進んでいく。

「でもよく職場の人と付き合おうと思えるよな。後のこと考えたら気まずくて無理だわ」
「まぁそれも考えはするけどさ……池田さん、元カノに似てるんだよ」
「は? それが? もしかして元カノに似てるから付き合いたいとか?」
「まぁ、そんなとこ。元カノには絶縁されてるからさー」
「うわひでぇ、クズじゃん」
「そんなに酷いか?」

 手足が冷たくなっていく。息苦しさに襲われて呼吸をしていないことに気づいた。
 何も考えられないけど、一刻も早くこの場を離れたくて足を動かす。傷つきたくないのに、苦しくて痛くて、視界に入った女子トイレに駆け込んだ。
 誰もいないことを確かめて、大きく息を吐く。

「はぁ……帰りたい」

 帰って温かいお風呂に入って、布団にくるまって眠りたい。どうしてデートなんてしたんだろうと、今更考えてもしかたがないことを後悔して、心に棘を刺す。
 脳裏に浮かんだ友達の顔と「男運ないよね」という言葉に、そうだねと頷いた。



 帰りたいと強く思っていたはずなのに、どうしてかマンションに入る気がおこらなかった。マンションから数メートル手前の街灯下で、何をするでもなく立っている。
 もし中に乙部さんがいたら、私はいつも通りを装えるだろうか。もし乙部さんに気づかれ、優しさを向けられたら、何があったかを言わずにいられるだろうか。
 乙部さんの忠告を無視して鳴沢くんと食事に行ったのに、結局乙部さんに泣きつくのはずるい気がする。

「……お腹すいた」

 少し前までは帰宅する人が数人歩いていたのに、今は真っ暗ななかに一人きりだった。
 部屋に帰る気がおきないならどこかで夕飯を食べようかな。人が多い駅には戻りたくないからこの辺りにあるお店を思い出す。
 上手く働かない頭で考えていたからか、近づいてくる人影に気づかなかった。

「……池田様?」
「え?」

 名前を呼ばれた気がして意識を引き戻す。私を心配げに見つめる男性が誰だかすぐにはわからなかった。

「乙部さん……?」
「どうかなさいましたか? お帰りが遅いので心配しておりました」

 仕事を終えて帰るところなのだろう。街灯に照らされる乙部さんは私服姿だった。スーツを着ている乙部さんしか知らないから、不思議な感じがする。

「あ、いえ、なんともないですよ」

 急いで笑みを貼り付ける。なんともないですと手を振る私に、また一歩、乙部さんは近づいた。

「……私でよければお話してみませんか? もし嫌でしたら落ち着くまでお傍にいさせてもらえませんか?」
「っ……」

 覗き込む乙部さんの顔には不安、心配が浮かんでいる。どうして気づいてしまうの。どうしてこんなに優しくしてくれるの。その優しさによりかかっても良いのだろうか。
 色んな感情が混ざりあって、喉の奥に痛みを生む。ぼやけていく視界のなか、私はただ小さく頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

Catch hold of your Love

天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。 決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。 当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。 なぜだ!? あの美しいオジョーサマは、どーするの!? ※2016年01月08日 完結済。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【完結】誰にも知られては、いけない私の好きな人。

真守 輪
恋愛
年下の恋人を持つ図書館司書のわたし。 地味でメンヘラなわたしに対して、高校生の恋人は顔も頭もイイが、嫉妬深くて性格と愛情表現が歪みまくっている。 ドSな彼に振り回されるわたしの日常。でも、そんな関係も長くは続かない。わたしたちの関係が、彼の学校に知られた時、わたしは断罪されるから……。 イラスト提供 千里さま

ハメラレ婚〜こんな奴と結婚したくなかった!!〜

鳴宮鶉子
恋愛
仕事のミスを助けて貰っていい奴と思ったのに、飲まされ意識朦朧してるのをいい事に役所に連れて行かれ婚姻届提出しちゃいました

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

冷徹上司の、甘い秘密。

青花美来
恋愛
うちの冷徹上司は、何故か私にだけ甘い。 「頼む。……この事は誰にも言わないでくれ」 「別に誰も気にしませんよ?」 「いや俺が気にする」 ひょんなことから、課長の秘密を知ってしまいました。 ※同作品の全年齢対象のものを他サイト様にて公開、完結しております。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

処理中です...