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第36話 爺さんの相手は疲れる

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俺と聡美姉は、この公園にある観覧車に乗っていた。
夕陽が雲を茜色に染め上げている。

「しかし、さっきのおっさんが情報屋だったとはなぁ」

「大竹さんのこと?あの人は元警察庁捜査第4課の人だったんだよ。今はただの鳥好きのおっさんだけど」

聡美姉がここに来た理由がわかった。
そして、鳥好きな事も……

「金堂組の事を調べてもらったのか?」

「ご名答。依頼を受けに行くのに情報がないとこっちがハメられるでしょう?」

確かに信用できる相手ではない。
下手を打てばこちらが殺される。

俺は、実戦担当だったから、こういう交渉ごとや情報集めは不得意だ。
ユリアからも何度も注意された。
その危険性や重要性を知っていたのにだ。

「聡美姉には敵わないな」
「そんな事はないよ。私は戦闘は苦手だしね。こんな事しかできないんだよ」

謙遜することではない。
情報が無ければ、死ぬ確率は大いに上がるし、作戦自体が成り立たない事もある。

「夕陽が綺麗だね。ねぇ、そっち行ってもいい?」

向かいに座っていた聡美姉は、俺の隣に座った。
少し観覧車の乗り物が重みで傾く。

黙って俺の肩に頭をのせる。
良い香水をつけているのだろう。
あどけない顔と対比する大人の香りがした。

「ねえ、もし百合子様に会えるとしたらどうするの?」

「どうしようもしない。会うつもりはない」

「それって……」

「俺と百合子は住む世界が違う。ただそれだけだ」

「でも、どうしても百合子様の方が会いたいって言ってきたら?」

「それでも会うつもりはない。あの手紙だって取り返したいくらいなんだ」

人殺しの俺と会っても百合子に迷惑をかけるだけだ。
いや、そうじゃない。嫌われるのが怖いのか?

「カズ君……」

聡美姉は、それきり何も言わず、俺の肩にもたれながら外の景色を眺めていた。





金堂組元組長、現会長の金堂左近の家に着いた頃は、既に辺りは暗くなっていた。
約束の時間、10分前に着いた俺達は、警備にあたってた若い者達に誘導されて家の中に入る。

「こちらでお待ちくだせい」

そう言って、俺と聡美姉を部屋に案内してくれた人はあの鰻澤義三郎だった。
和室の部屋にテーブルを挟んで座布団が置かれてある。

俺は正座が苦手だったのだが、聡美姉がきちんと座っているのでそれに習って正座して座る。

暫くするとお茶を持ってきた若い衆が、聡美姉の事をジロジロ見ていた。

「待たせたな」

そう言って入室してきたのは、厳つい爺さんだ。
今日は、厳つい爺さんに縁のある日だ。

「ウィステリア探偵事務所の藤宮聡美です」
「東藤和輝です」

自己紹介は大事だ。
ユリアにもそう教わった。

「俺は隠居しているただのじじいだ。それでうちの若い者が先走ってお前たちに依頼した件だがやってくれるのか?」

「ええ、依頼であれば引き受けますが、どのような処理をお望みですか?」

「大事な娘をコケにされたんだ。相応な処理を頼みたい」

「そうですか、では組織ごとですか?それとも命令した人物だけでしょうか」

「組織ごと全部と言いたいが、その人物だけでいい。俺達には誰がやったのかまだわかっちゃいねぇ」

実行犯はただの捨て駒。
情報など持っていなかったようだ。

「では、命令した主要人物の殺害で良いのですか?それとも、ここに生かして連れて来た方がよければそうしますけど」

「死体処理は面倒だ。そちらに任せる。ただ、証拠だけは揃えてくれ。何故、夢子が殺されかけたのか、それと命令した奴が死んだ証明をな」

「では、そのように契約書に書き込みます。少しお時間をいただいても?」

「好きにしろっ!」

聡美姉は用意した契約書の備考欄に今の事を記入していく。
こういう細かな事も信用できない相手には特に必要な事だ。

「おい、東藤って言ったな?」

俺の事か?

「ええ、そうですけど」
「おめえさん、かなりやってるな」

意味はわかるが、その言い方は気に入らない。

「それが何か?」

「俺を前にして平然としてやがる。そっちの姉さんもだ。お前らおかしいぞ。ここがどこかわかっているんだろうな?」

「元ヤクザ屋さんの家でしょう。仕事ですからきちんと相手のことは知ってますよ」

「このクソガキが~~!気に入った!!」

「はい!?」

「ただの世間知らずの粋がってるガキかと思ったが、どうにも堂に入っている。なかなかオメェみたいなガキはいねえぞ」

褒められてるのか?

「ヤクザの組長さんに褒められても嬉しくない」

「ははは、組長じゃねえ、元組長で今は会長だ。そこんとこ間違えるな!昨今はいろいろとうるせいからなぁ。こういう事は大事なんだ。覚えておけ!」

この爺さん、常に怒り声で話してるけど、血圧大丈夫か?

「ところでお前、カズキとか言ったな。集団疎開は知ってるか?」

「第二次世界大戦中に子供達その母親が田舎に疎開した事ですか?」

「そうだ。俺がお前ぐらいの歳、もうちっと若かったな。8歳ぐらいだったか」

全然、年齢が違うのだが……

「その時、集団疎開で東北の田舎町に行ったんだ。そこでよう、俺達都会っ子はやわだ、モヤシだと馬鹿にされまくった」

「モヤシは栄養たっぷりですよ。安いですし」

「お、おう、それでな、今で言ういじめにあったんだ。俺はガタイが良かったからそうでもなかったんだけどよ~~妹や弟達がいつもいじめられていた。頭に来た俺は納屋にあった万能まんのう持って殴り込みに行ったんだ。だが、多勢に無勢で何人かはやっつけたけど、俺はコテンパンにやられちまったよ。日頃から農家の手伝いしてる奴らには敵わなかったってわけだ」

万能まんのうって何だろう?

「それで俺は思った。守るためには強くならなきゃならねぇってな。俺がこの世界に入ったのはそれがきっかけだったわけだが、お前さんは何でこの世界に入った?」

それが聞きたかったのか?

「子供の頃、拉致られてテロ組織に育てられた。そんな俺を救い出したのはユリアだ。だから、今、俺はここにいる」

「ほおう、あのユリアが子育てとはねぇ。原爆の雨が降るレベルの話だな」

このおっさんもユリアの事を知ってるのか?
だが、酷い言われようだぞ。

「ユリアを知ってるのか?」

「ああ、大陸系のマフィアがこの日本で薬ばら撒いていたんでなあ、潰そうと思って攻め込んで行ったら、既にユリアに先起こされてたってわけだ。あの野郎、俺の獲物を横から掻っさらいやがって、今度会ったら酒でも奢らせてやる!」

なんだかんだユリアを認めてるみたいだ。
口は悪いけど……

「できました。会長さん、こちらにサインを」

契約書を完成させた聡美姉は、その1通を会長に差し出した。
じいさんはそれを読んで、ペンを取り出してサインをした。

「おい、おい、この条件でいいのか?」

サインをしてからじいさんは聡美姉に問いかけた。

「はい、当探偵事務所はエンターテイメントも重視してます。これはサービスです」

「ははは、これは面白そうだ。おおい、鰻澤、この契約書を読んで必要なもの揃えろや」

控えていた鰻澤さんがやって来て、契約書を読んで一瞬、驚いた顔をしていた。

「わかりやした。直ぐに詳しい奴をとっ捕まえて用意させます」

「ははは、これは楽しみが増えた。もう少し死神さんには待ってもらわんとなぁ。ははは」

とても、このじいさんが死ぬとは思えないが……

この後、このじいさんに捕まって酒を飲めだとか、孫を紹介するだとか言っていた。

屋敷に戻ったのは夜の10時を過ぎていた。

はあ、疲れたよ……





~白鴎院百合子~

私は、自室のベッドで横になっている。
私の胸の上には、先ほどお祖父様から頂いたかーくんからの手紙を持っていた。

あれから手紙を何度も何度も読み返した。
1文字1文字から、かーくんの気持ちが伝わってくる。

「会いたい、かーくんに会いたい……」

私は、あの時、お祖父様から頂いた、かーくんからの手紙を読み終わって取り乱してしまった。そして、気持ちが抑えられなくなり、お祖父様に『彼に会いたい』と要望した。

だが、お祖父様の返答は『まだ時期ではない』との事だった。

何でお祖父様は、かーくんと会ったのかしら。もしかしたら、賢一郎お兄様のことでお会いになったのかもしれない。彼からお兄様が亡くなったと聞きショックを受けられたのだわ。そんな時に私はかーくんに会いたいって我儘言ったのね。

そう考えて私は、目を閉じる。

確かにお兄様が亡くなったのは私もショックだけど、かーくんが生きててくれたことの方が嬉しく思う。私は薄情な妹だったのだわ……

正直言えば、お兄様もかーくんも亡くなってるって諦めていた。
でも、心のどこかで「もしかしたら……」と淡い期待を持っていた。
それが、私に残された僅かな希望の種。

こんな私がこれまで生きてこられたのは、かーくんとの幼い頃に交わした約束があったからだ。
それがなければ、私は、あの時の記憶と家の重みで『オフィーリア』のようになっていただろう。

「かーくんは、あの時の約束覚えてるかな?覚えてくれてたらいいなぁ」

私は、2つに増えたハンドスピナーを見てそう思っていた。

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