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第1章
第85話 過去
しおりを挟む10年前のフランスの片田舎にある小さな家で、数日続く豪雨の止むのを待っていた6歳の少女がいた。
「お父さん、大丈夫かな?」
「畑の様子を見に行っただけだから大丈夫よ。直ぐに帰ってくるわ」
すると車のエンジン音が雨音の間の微かに聞こえると、お父さんが慌てて家に飛び込んできた。
「川の堤防が決壊した。ここも直ぐに水浸しになる。逃げるぞ」
高台に避難すればいいのだが、この辺は平地が広がっている。
高台と言えば川向こうにある丘の上に建つ教会だけだ。
「イリス、逃げるわよ」
「あ、お人形のクララが」
「早く乗れ、もうそこまで来てる」
私はお母さんに抱きかかえられてお父さんの車に乗った。
車は猛スピードで走り出した。
「貴方、何処に逃げるの?」
「教会だ。あそこは丘の上にある。建物も立派で頑丈だ」
だが教会は、川向こうにある。橋を渡らなければ、行けない。
「あなた、この先は……」
「わかってる。前に走ってる車もきっと避難しに来たんだ。ここさへ渡れれば、助かる」
普段は穏やかな川が今は激流となってはしの欄干に激しく当たり水飛沫が舞っている。
「行ける、前の車のあとを付いて行けば……」
しかし、前の車が渡り切った後に川から大木が流れてきた。
それは橋に当たり、支えていた支柱を破壊した。
「うわーー!」
車は後輪が壊れた橋の宙をから回っている。
斜めに傾いた車はいつ落ちても不思議ではない。
「キャーッ!お父さん助けてーー!」
「イリス、シートベルトを外して前に来るんだ」
お父さんに言われた通り、前の座席に移った。
その時、前を走っていた車の夫婦がこちらに駆けつけて来た。
「ドアは開かないのか?じゃあ、窓から逃げるんだ。この橋はもう保たない」
お父さんもお母さんもドアを開けようとしてるが開かなかったみたい。窓を車の中にあるハンマーで割った。
「イリス、先に行きなさい」
お母さんに言われて窓から身を乗り出す。
外で待機していた夫婦に引っ張ってもらった。
そして、今度はお母さんが車から出ようとしたら車を支えていたコンクリートの橋の一部が激流で崩れた。
車はバランスを失いそのまま激流に飲み込まれて行った。
「おかーさん!おとーさん!」
私の悲鳴に似た叫び声は虚しく雨音と川の激流の音でかき消えた。
………
私が最後に見た記憶はお母さんが手を伸ばして助けを求める悲痛な顔だった。
この雨による犠牲者は283人、倒壊した家屋、床上まで水に浸かった家は1000軒を超えた。
私はその後の事をよく覚えていない。
私を引っ張っりだして助けてくれた夫婦は、イリスト教の関係者だった。
そして、その夫婦の養子となり、今ではパパとママになっている。
運良く私だけが助かったのには何か意味があるのかもしれない。
だから、私は勉強した。
いろいろな大人の人に質問しながら、どうして災害が起こったのかを理解した。
今まで経済の成長とともに負の遺産も成長し続けている。
それは、CO2によるオゾン層の破壊だ。
工場や車から排出されるCO2は、地球を覆っていたオゾン層を破壊し続けている。
このままだと100年後の地球は、人が暮らせない環境になると聞いた。
勿論、要因はそれだけではないが未来の人達の為に今どうにかしなければいけないのは事実だ。
1997年、京都市で行われた温暖化に対する各国のCO2排出量の削減目標が決められた。所謂、京都議定書と呼ばれるものだ。
だが、確かに守っている国は多い。でも、経済発展が出遅れていたアジアでは守られていない国もあると聞いている。
CO2を吸収する森林を伐採し、住宅やエコと称して太陽光発電パネルを敷き詰めているところもあるという。
全く本末転倒なありさまだ。
だから、私は国際的な環境保全団体【EC】に加入してその活動を行っている。
一部暴走した活動をする別の環境保全団体を見かけるが、私は生まれ持った容姿と勉強して得た知識を使って各国で講演を開いている。
そうした地道な活動が認められて、今では団体の有力な地位を得ている。
それは、養父母の応援が大きい。
イリスト教の司祭を務める養父母は、私の名前がイリスなのは意味があると言われて今では教会の一部では聖女とも呼ばれている。
「ねえ、今度は日本なんでしょう?どんな国なの?」
「特にこれといった物はないですね。魚を生で食べる民族だと聞いていますが」
「生で食べるの?お腹壊さない?」
「魚だけではありませんよ。卵も生で食べるそうです」
「え、無理!絶対無理」
「それとアニメが有名ですね」
「それは聞いたことがあるわ。猫耳生やした女の子や動物や物を擬人化してアニメにしてるって」
「そうみたいですね。私も初めて訪れるのでそれ以上のことはわかりませんけど」
「行きたくないなあ。きっと野蛮な国なんだわ。だから、アジア人って嫌い!」
「イリス様は聖女様なのですから過激な発言はよろしくないですよ」
「クロエ、今回はEC【Earth Convention 】の活動で行くのよ。聖女はやめて」
「わかってますが、私はイリスト教から聖女様をお守りするために存在してますので、聖女様がどんな活動をしようとイリス様は聖女様です」
(頭が固いんだから……)
「そろそろ着きそうですよ。何度か講演を開いて主だった国の要人が出席する平和会議まで日本で過ごしますので、空いた時間は思う存分楽しんで下さい」
「クロエ、私絶対お腹壊すから、お付き合いの会食はできるだけ少なくしてね」
「心得ております」
日本に向かう飛行機の中でそんな会話をしていた二人だった。
◆
マンションの上階で竜宮寺家の人達と夕食を共にしている。
将道当主と楓さんのお父さんである尚利さんは仕事があるらしく、ここにはいない。
それと東海さんと安斉さんは梅木さんと会う約束があるらしく俺が戻った時に入れ違いで帰って行った。
それと今夜は結城一家も一緒なのだが、渚と陽菜ちゃんが髪の毛を切ったようで、とても可愛くなっていた。
素直にそう言ったら、二人とも恥ずかしそうに喜んでいた。
「私も髪の毛切りたいです」
明日香ちゃんも陽菜ちゃんの変わりように羨ましく思ったのだろうか。
「私も切りたい」
ルミまでそう言い始めた。
「そうだね、今のままでも可愛いけど暑いし夏休み中に切ろうか?」
「可愛い……」
正直に言ったつもりが明日香ちゃんは顔を赤くしている。
それに比べてルミの方は、
「タクミも切った方がいい。前髪が邪魔」
俺に髪を切れと言ってきた。
確かにルミの言った通り前髪がうざったいし伸びている。
「じゃあ俺も切ろうかな?」
「じゃあ、みんなで一緒に行きましょう」
明日香ちゃんはノリノリだ。
俺はいつも行く1000円カットで十分なのだが、そこに女性二人を連れて行くわけには行かないだろう。
「渚達はどこで切ったの?」
「青山にあるラ・バンバ♡バンバってところだよ。柚子ちゃんに紹介してもらったの」
すると楓さんがそこを知ってたようで会話にまざった。
「私もそこで切ってますよ。店長の番場さんは道場の先輩で良く稽古に付き合ってもらいました。美容師としても腕は日本でも片手に入るくらい技術力です。国際美容師大会で優勝もしてますし」
楓さんが切ってるところなら安心だ。
「そこっていきなり行っても大丈夫なの?予約とか必要?」
「ええ、事前予約が必要ですが明日香様がご一緒なら直ぐにでも予約できると思います」
「そこって番子さんのところ?」
「そうですよ。明日香様は番子さんに産まれた時から切ってもらってますからね」
「お店に行くのは初めて」
「そうですね。いつも出張して切ってもらってますから。お店も良い雰囲気のお店ですよ」
明日香ちゃんはずっとその人に切ってもらっているようだ。
「私の方から連絡を入れておきます。伊豆別荘は明後日ですから、その前に切りますか?」
「うん、早く切りたい。それに番子さんにも会いたい」
「わかりました。明日にでも切れるように連絡入れておきます」
楓さはスマホを取り出して、席を立った。
しばらくしてから戻ってきて「明日の午前中に取れましたよ」と、簡単にそう言った。
「そんなに予約って直ぐに取れるの?」
俺は疑問を抱いたので聞いてみる。
「番子さんは、本業が美容師ですけど今のメインは夜のお仕事なんですよ。何軒もお店を経営していますし」
「凄いやり手の人なんだね」
「番子さんのお爺さんが小豆相場で大儲けして、家具職人だったのをやめて家具を取り扱う会社を起こしたのです」
「あ、それってバンバ家具?」
「そうですよ。その小豆相場をご指南したのが当時の竜宮寺家の当主様でそれからのご縁で今でもお付き合いさせてもらっていると聞いてます」
「じゃあ、番子さんってバンバ家具の社長さんなの?」
「いいえ、彼……会社は弟さんが継いでいます。番子さんは自身の都合で別の道を歩まれたみたいです」
家にある家具は、バンバ家具店から購入した物だ。
おそらく、この竜宮寺家の家具もバンバ家具店で揃えたのだろう。
「明日の10時にお店に着くようにお迎えにあがりますね。私が運転士と行きますから」
楓さんが案内してくれるそうだ。
仕事の方は大丈夫なのだろうか?
「仕事の方はいいの?」
「今日の午前中にあらかた片付けましたから、あとは出張するだけで済みます。今日は土曜日ですし、茜さんや沙織さんも土日くらいは休まないといけませんしね」
そうか、今日は土曜日だった。
休みに入ると曜日の感覚がなくなるな。
「そういえば柚子は切らなくて良いのか?」
「私はこの間切ったばかりだ。まあ、毛先を揃えた程度だから気づかなくても仕方がないがな」
切ってたのか……気づかなかった。
「それより明日は明日香様と買い物に行くのだろう?予定は大丈夫なのか?」
「切った後で行くよ」
「わかった。調整しておく」
買い物に調整が必要なのか?
その疑問は後で理解するのだった。
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