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尋常一様
尋常とキーホルダー
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尋常一様16
それからいくらかが経ち。死体販売の事業はナリを潜め、城砦に生首は転がらなくなり、製薬会社や金融機関、闇カジノ関連の問題は当座おさまった。仕事の合間にひと息つき、陽光の注ぐ違法建築屋上の椅子、もとい廃材に腰掛け檸檬茶を啜る上。携帯にブラ下がりケタケタ揺れる異形のストラップ、ハギ…なんちゃら。
このハギハギ──でええやんかもう──には友人が山程いるらしい。大地は全員の名前を記憶しており根気よく教えてくれるものの、こちとらどうもさっぱり覚えられない。しかし上も今度から、ハギハギ達を街で見掛けたら集めてみることにした。珍しい奴がいたら莉華にあげてもいいかも知れない。
あれから莉華とは直接連絡をとっておらず、時折綾に様子を尋ねるのみ。莉華から特に新しい番号を教えてもらっていなかったし、今は自分の担当キャストではない為だ。けれどそのうちまた‘お饅頭!お店紹介して!’などとせがんでくるだろう。きっと、ちょうどスーパーのスタンプが貯まる頃なんかに。ミシュランも‘曲奇交換したらわけてあげれば’と言ってくれていた。
フワフワと日々はめぐり、世はこともなし、それなりに上手く行っている。はず。
そんなことを考えていると、折よく綾からの着信。近隣のガールズバーの、女性スタッフ側から見た内部事情を教えて欲しいと頼んでおいたので…恐らくその報告。花街の仕事の都合で何やら燈瑩が気にしていた。綾が友人達から得た話をひと通り聞かせてもらい上は礼を言う。
「すまんな教えてもろて」
「んーん。アタシも上くんに伝えたいことあったから」
一拍置いて綾の声が沈んだ。
「莉華ちゃん、なんだけど」
あら…またトラブルか。懲りひんな莉華も…思いつつ対処を考え始めている上の鼓膜に刺さる、想定外の台詞。
「死んじゃったよ」
飲み込むのに、だいぶ時間を要した。
「…なん、っ、で…揉めたとかなん!?あのへんの半グレと!?」
かなり上擦った声が出た。綾は言い方を選んでいるようだ。静けさの中で自分の心臓の音がやけにやかましく、上は拳を握り締める。数秒の沈黙が永遠かのごとく長かった。
「OD、かな」
断定はせずに答える綾。ドラッグではない、けれど色々な精神薬を莉華は多用していた。たっぷりキメてラリったのだ。原因はクスリだが死因は転落死。フラフラのまま屋上から落っこちたらしい。目撃者によれば落ちたというよりは楽しそうに‘飛んでいった’と。
「ああいう子は不安定だから。急にそうなることあるよ」
気遣ったトーンの綾の声に、上は答えられなかった。押し黙る上へ、綾は‘上君が責任を感じることじゃない’と控え目に重ねる。
「こう…なんか…諦めた言い方になっちゃって、良くないけどさ。でも多分、誰にも助けられなかったと思う」
そうか、とも、そうじゃない、とも、何も言えず、時が過ぎる。スマホを通して伝わる、綾のきまり悪そうな雰囲気。これ以上彼女を気まずくさせても仕方ないので、上は事故が起こった場所だけを尋ねて通話を終え、空を仰いで呆けた。呆けている間に随分と日が傾いた。燈瑩をコール。とりあえず、伝えることは伝えなければ。頼まれていた用件。
事務的な会話をいくらかして、それから、口籠りつつも上は莉華のことへ触れた。静かに傾聴した燈瑩は‘そっか’と呟くと、いくらか間を置いて柔らかく語る。
「俺もさ。この前、猫に言われたんだよね。みんな‘自分が決めた結果’なんだって。他人があの時こうしてればああしてればとか、そしたらどうにか出来たかもなんて思うのは、自惚ぼれだって」
誰についてだろう。この前なら宗だろうか。猫も綾と同じく、‘救えなかったのはお前のせいじゃない’という意味合い──などとは些か解釈が甘え過ぎかも知れないけど──で発してくれたのだ、婉曲的ではあるが。
それでも…もっと上手くやれたのでは。手立てがあったのでは。今更考えても仕方のないことばかり考えてしまう。
「でも」
ライターの音がして、燈瑩が煙草を点けたのが通話口からわかった。フッと吹き出される煙に乗せられた言葉。
「上がいつも手を伸ばしてるの、凄いなって俺は思ってるよ」
届いても、届かなくても。上はベンチで膝を抱える。
───誰にも助けられなかったと思う。
───自惚れだって。
そういう結末だった、きっと、はじめから。そんな風に結論づけたくはないが。
それなりに長い時間黙って丸まっていた気がするが、燈瑩は待ってくれていた。二言三言交わして電話を切る。すると、いつの間にか後ろに東がいた。
「何してん自分」
「お前が呼んだんでしょ」
驚く上に肩を竦める東。言われて思い出す上。そうだった…呼んだんだった…出先で例の異形のキーホルダーを発見し‘カムカムこれ欲しいんだっけぇ?’と微信してきた東を、‘近くに居るから買うて持ってきて’と。今の一連の流れですっかり頭から抜けてしまっていた。
「いつから居ったん」
「けっこう前」
「ほな聞いててんか」
「うん。ごめんね」
謝る東に首を振り、上は差し出されたキーホルダーと煙草を1本受け取った。東も廃材に尻を落ち着け、2人並んで紫煙を燻らす。ユルく立ち昇る煙。ポツリと口にする。
「どないしょーもないことも…あんねんな、やっぱ…」
誰かへと伸ばした手が届かなくて。それでも別の誰かに伸ばして、今度は届いて。再び他の誰かへ伸ばして、届かなくて。けれどもう1度、もう1歩踏み出して伸ばした手はどうにか届いて。
莉華の指は、掴んだと思った。思ったのに───すり抜けてしまった。
煙を一口吸い込めば、ポウッと火種が赤く燃えた。タバコと檸檬茶。莉華へ檸檬茶をあげた夕暮れ。あの時の一服、止めなければ良かっただろうか。こんなに早く吸えなくなってしまうなら、好きに吸わせてやれば。わからないんだ、結局のところ。どうなるかなんて。いつだってわからない、なにが正解かも。飛行機のようにクルクル旋回していた姿が頭を過る。彼女はそのまま飛んで行ってしまった。
手元を見詰める上へ東が顔を向ける。上は眉を下げ、キーホルダーを親指の腹で撫ぜると言った。
「けど…諦めへんよ」
また手を伸ばす。何度でも。掴めても、掴めなくても。自惚れだとしても。自分に出来る事を、ただ、精一杯する。それだけだ。
東は煙草を靴底で踏んで消すと、ポンと上の背を叩き肩を組んだ。
「猫んとこでも飲み行きますか」
「ん?んー…うん…そない金あらへんて俺」
「ワタクシの奢り♪儲かってるんで」
そもそも上はそういう店が得意ではないのをわかっている東が‘リシャールでも入れて猫を卓に呼ぼう’と笑う。まさかの店主指名。そして放っておいても、空気を読んで燈瑩は来る。いつものメンツ。
「そん前に1箇所だけ寄ってもええ?」
「もちろん。社交街、回っていこっか」
ストラップを握り締める上に、センスのいい花屋があると東。お饅頭はセンス無いからねと茶化せば腹をドツかれた。
淡い光の星々が頭上をチラつきはじめた九龍城砦。今日も忙しなく空を行き交う飛行機は、群生するアンテナとネオン看板スレスレに、啓徳空港から夜の帳の向こうへと飛び去っていった。
それからいくらかが経ち。死体販売の事業はナリを潜め、城砦に生首は転がらなくなり、製薬会社や金融機関、闇カジノ関連の問題は当座おさまった。仕事の合間にひと息つき、陽光の注ぐ違法建築屋上の椅子、もとい廃材に腰掛け檸檬茶を啜る上。携帯にブラ下がりケタケタ揺れる異形のストラップ、ハギ…なんちゃら。
このハギハギ──でええやんかもう──には友人が山程いるらしい。大地は全員の名前を記憶しており根気よく教えてくれるものの、こちとらどうもさっぱり覚えられない。しかし上も今度から、ハギハギ達を街で見掛けたら集めてみることにした。珍しい奴がいたら莉華にあげてもいいかも知れない。
あれから莉華とは直接連絡をとっておらず、時折綾に様子を尋ねるのみ。莉華から特に新しい番号を教えてもらっていなかったし、今は自分の担当キャストではない為だ。けれどそのうちまた‘お饅頭!お店紹介して!’などとせがんでくるだろう。きっと、ちょうどスーパーのスタンプが貯まる頃なんかに。ミシュランも‘曲奇交換したらわけてあげれば’と言ってくれていた。
フワフワと日々はめぐり、世はこともなし、それなりに上手く行っている。はず。
そんなことを考えていると、折よく綾からの着信。近隣のガールズバーの、女性スタッフ側から見た内部事情を教えて欲しいと頼んでおいたので…恐らくその報告。花街の仕事の都合で何やら燈瑩が気にしていた。綾が友人達から得た話をひと通り聞かせてもらい上は礼を言う。
「すまんな教えてもろて」
「んーん。アタシも上くんに伝えたいことあったから」
一拍置いて綾の声が沈んだ。
「莉華ちゃん、なんだけど」
あら…またトラブルか。懲りひんな莉華も…思いつつ対処を考え始めている上の鼓膜に刺さる、想定外の台詞。
「死んじゃったよ」
飲み込むのに、だいぶ時間を要した。
「…なん、っ、で…揉めたとかなん!?あのへんの半グレと!?」
かなり上擦った声が出た。綾は言い方を選んでいるようだ。静けさの中で自分の心臓の音がやけにやかましく、上は拳を握り締める。数秒の沈黙が永遠かのごとく長かった。
「OD、かな」
断定はせずに答える綾。ドラッグではない、けれど色々な精神薬を莉華は多用していた。たっぷりキメてラリったのだ。原因はクスリだが死因は転落死。フラフラのまま屋上から落っこちたらしい。目撃者によれば落ちたというよりは楽しそうに‘飛んでいった’と。
「ああいう子は不安定だから。急にそうなることあるよ」
気遣ったトーンの綾の声に、上は答えられなかった。押し黙る上へ、綾は‘上君が責任を感じることじゃない’と控え目に重ねる。
「こう…なんか…諦めた言い方になっちゃって、良くないけどさ。でも多分、誰にも助けられなかったと思う」
そうか、とも、そうじゃない、とも、何も言えず、時が過ぎる。スマホを通して伝わる、綾のきまり悪そうな雰囲気。これ以上彼女を気まずくさせても仕方ないので、上は事故が起こった場所だけを尋ねて通話を終え、空を仰いで呆けた。呆けている間に随分と日が傾いた。燈瑩をコール。とりあえず、伝えることは伝えなければ。頼まれていた用件。
事務的な会話をいくらかして、それから、口籠りつつも上は莉華のことへ触れた。静かに傾聴した燈瑩は‘そっか’と呟くと、いくらか間を置いて柔らかく語る。
「俺もさ。この前、猫に言われたんだよね。みんな‘自分が決めた結果’なんだって。他人があの時こうしてればああしてればとか、そしたらどうにか出来たかもなんて思うのは、自惚ぼれだって」
誰についてだろう。この前なら宗だろうか。猫も綾と同じく、‘救えなかったのはお前のせいじゃない’という意味合い──などとは些か解釈が甘え過ぎかも知れないけど──で発してくれたのだ、婉曲的ではあるが。
それでも…もっと上手くやれたのでは。手立てがあったのでは。今更考えても仕方のないことばかり考えてしまう。
「でも」
ライターの音がして、燈瑩が煙草を点けたのが通話口からわかった。フッと吹き出される煙に乗せられた言葉。
「上がいつも手を伸ばしてるの、凄いなって俺は思ってるよ」
届いても、届かなくても。上はベンチで膝を抱える。
───誰にも助けられなかったと思う。
───自惚れだって。
そういう結末だった、きっと、はじめから。そんな風に結論づけたくはないが。
それなりに長い時間黙って丸まっていた気がするが、燈瑩は待ってくれていた。二言三言交わして電話を切る。すると、いつの間にか後ろに東がいた。
「何してん自分」
「お前が呼んだんでしょ」
驚く上に肩を竦める東。言われて思い出す上。そうだった…呼んだんだった…出先で例の異形のキーホルダーを発見し‘カムカムこれ欲しいんだっけぇ?’と微信してきた東を、‘近くに居るから買うて持ってきて’と。今の一連の流れですっかり頭から抜けてしまっていた。
「いつから居ったん」
「けっこう前」
「ほな聞いててんか」
「うん。ごめんね」
謝る東に首を振り、上は差し出されたキーホルダーと煙草を1本受け取った。東も廃材に尻を落ち着け、2人並んで紫煙を燻らす。ユルく立ち昇る煙。ポツリと口にする。
「どないしょーもないことも…あんねんな、やっぱ…」
誰かへと伸ばした手が届かなくて。それでも別の誰かに伸ばして、今度は届いて。再び他の誰かへ伸ばして、届かなくて。けれどもう1度、もう1歩踏み出して伸ばした手はどうにか届いて。
莉華の指は、掴んだと思った。思ったのに───すり抜けてしまった。
煙を一口吸い込めば、ポウッと火種が赤く燃えた。タバコと檸檬茶。莉華へ檸檬茶をあげた夕暮れ。あの時の一服、止めなければ良かっただろうか。こんなに早く吸えなくなってしまうなら、好きに吸わせてやれば。わからないんだ、結局のところ。どうなるかなんて。いつだってわからない、なにが正解かも。飛行機のようにクルクル旋回していた姿が頭を過る。彼女はそのまま飛んで行ってしまった。
手元を見詰める上へ東が顔を向ける。上は眉を下げ、キーホルダーを親指の腹で撫ぜると言った。
「けど…諦めへんよ」
また手を伸ばす。何度でも。掴めても、掴めなくても。自惚れだとしても。自分に出来る事を、ただ、精一杯する。それだけだ。
東は煙草を靴底で踏んで消すと、ポンと上の背を叩き肩を組んだ。
「猫んとこでも飲み行きますか」
「ん?んー…うん…そない金あらへんて俺」
「ワタクシの奢り♪儲かってるんで」
そもそも上はそういう店が得意ではないのをわかっている東が‘リシャールでも入れて猫を卓に呼ぼう’と笑う。まさかの店主指名。そして放っておいても、空気を読んで燈瑩は来る。いつものメンツ。
「そん前に1箇所だけ寄ってもええ?」
「もちろん。社交街、回っていこっか」
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