九龍懐古

カロン

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神韻縹渺

砂上と楼閣・後

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神韻縹渺8




真夜中。シイは雨の魔窟をフラフラ歩く。うってかわって重くなった足取り、ぬるい水滴がシトシトと服を濡らし、路地裏の水溜りを広げた。



…あの、半グレ連中は。両親の仲間なのだ。



両親もただのスラムのチンピラだった。父親にも母親にもロクに相手をしてもらった思い出がない、どちらもシイに興味をもっておらずシイもどちらにも興味がなかった。なんとなく母の、蠟細工のごとく艶やかな黒髪だけが記憶に残っている。職業柄・・・外見の手入れは怠らなかったのだろう。
その黒髪が嫌いだった。子供の世話より髪の手入れ。周りの連中も嫌いだった。誰も彼も色に金に薬、その繰り返し。そんなものに囲まれた生活で、シイは中身ばかりが1段飛ばしで成長した。

ずっと1人、暇を持て余して、だから絵を描き始めた。来る日も来る日も。お陰様でドンドン上達し、両親が消息を絶った後も幼いながらそのままチームに残ることが出来た。贋作師・・・として。別に喜ばしいことでもない。ただの処世術、生きていく為に他に選べる道が無かっただけ。

いてっ…」

呟いて唇の端をこする。血がついている、はたかれて切れたせいだ。ティッシュでも無いかとポケットを漁ると、アズマが折った紙飛行機が出てきた。

これにはもともと見覚えがあった。飛行機の形ではない、素材となったさつのほうに。

金融機関が噛んでいるしつの良い偽札が大陸側から流れてくるということで、スラムのマフィア崩れ共は色めき立った。シイのグループも話に乗ってみたものの、良質それは、大陸側での評価だった。中国や香港市街かつ手渡し──機械は流石に通らない──ならバレることはまずないが、犯罪慣れした九龍ここの住人には意外と看破されてしまうのだ。アズマのように一瞥いちべつしただけで見破る猛者も居る。仕事がし易いはずの無法地帯で、無法地帯であるがゆえ、思うようにさばけなかったのが現状。

しかし贋作はいつだって上手くハケ・・る。現金は誰しも所持していて毎日飽きもせず触れているが、美術品は異なる。真贋を確かめるまなこを持つものは稀。
ゴッホやルノアールといった世紀の大御所ではなく、新鋭気鋭やちまたでいくらか有名なアーティスト達をコピーするのだ。そして、本質もわかっていないのに理解した気になって、リビングやベッドルームに飾ることをステイタスとする富裕層に売る。簡単なお仕事。

シイ生業なりわいはこれだった。絵描きの腕を存分に発揮し贋作をこしらえる。チンピラ達はそれを売る。シイは貢献と引き換えに、金と、スラムでの身の安全を手に入れる。こちらも簡単な仕組み。

ウェイと出会ったのは偶然だ。息抜きで適当にボム・・でもしようかとウロツいていた小道で、たまたま。ウェイは何だか自分とよく似た顔で、居た堪れなくなって、ついお節介を焼いた。例に漏れずに両親は無く、帰る場所も無く、だけど絵が上手かった。今までそれしかすることがなかったからとウェイは言っていた。

その手を取り、それから周りにも小さな仲間が増えるまで、左程さほど時間はかからなかった。



「みんな…」

喉が掠れる。ウェイの賛辞が頭を回る。


───シイはすごいのです。


違う。私がウェイよりも稼げるのは、そういった・・・・・繋がりの人間にそういった・・・・・作品を売っているから。単身で売買に行くことが多い所以ゆえんウェイに真っ直ぐな眼差しを貰えるような立場ではない。

今回‘2人’へ唐突に舞い込んだ割の良い商談の話は、恐らく仕掛けられた物だった。絵の買い取り主は預かり知らないだろう、単純に私のチームのヤツらの仕業。私とウェイが遠出をしている隙に、みんなを連れ去って売り払う手筈…だのに何も疑わずノコノコと…馬鹿だ私は。気付かれていたのだ、傾いて・・・いるのを。今のグループを抜け、ウェイ達を選ぼうかと考え始めているのを。

油断していた。楽しく、過ごしすぎていた。それが命取りだなんてとっくの昔から識っていたのに。嬉しかったんだ、みんなやウェイが、自分を慕ってくれることが。思ってしまったんだ、このまま、穏やかに暮らしていけるのではないかと。

噛み締めた唇に再び血が滲み鉄の味がしたが、とっくに頬の内側もズタボロだったので関係なかった。

私のせいだ。守りたいなんて戯れ言だった。あの一帯いったいには手を付けないでくれと、金なら働いて・・・用意するからと、マフィア連中に口を利いて、私の力で、みんなを守っている気でいた。なのに実際はどうだ?結局、私が居たからじゃないか、みんなが目を付けられたのは?私が居なければ…私が…。

「っ、ぁあぁぁ!!!!」

堪えきれない感情。慟哭。握りこぶしで壁を殴った。コンクリートはビクともせず、むしろ、自分の骨が軋んだ。無力だ。無力。何の力も無い。



──────それでも。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





シイ!!」 

家の近くに帰り着くと、ウェイがすぐさま外へと飛び出し駆け寄ってきた。

「シっ、シイ…?どうしたのです?ボロボロなのです…」

戸惑いながらシイの両頬にペタペタ触れる。温かいてのひらシイが無表情のままでいると、ウェイはつっかえつっかえ状況を説明する。

「えっと、誰も…誰も帰って来ないのです。呼んでもどこにも居ないのです。ウェイは、た、たくさん探したのですが、えっと…シイも帰って来ないかと思って、えっと、ウェイは…」
「うるさいよウェイ

シイが低い声で言葉をさえぎるとウェイはたじろいだ。肩にかかるウェイの手を荒々しくどけるシイ、その行動の意図を測れず、オロオロしつつもう1度肩に触れようとするウェイの身体をシイは思い切り突き飛ばした。濡れた地面に倒れ込むウェイ、揃いの服に泥がはねる。

「触らないで。いつも私に頼って、くっついてきて、ウンザリなんだよ」
「え?え…シイ…?」

事態が飲み込めず今にも泣き出しそうなウェイの瞳を冷たく見下ろし、シイは奥歯をギリッと鳴らす。

「ウンザリだつったの!聞こえただろ!」
「なにが…なのですか…?ウェイが、なにかしたなのですか?」

足に追い縋る身体を振り払う。また服に泥がはねた。泣き出しそうだったウェイの顔がついに泣き顔に変わったのを、シイは見ないふりをした。

ヘタクソだなぁ、私は。でもこれ以外のやりかたがわからないから。

「みんなもう、帰ってこないの。だからお前も私につきまとうなよ。邪魔なんだよ」

イツキアズマの所に行ったらいい。ウェイ1人くらいなら世話をしてもらえるだろう、他力本願で申し訳ないが。ウェイかすかに首を横に振るのをシイは舌打ちで制した。視界に映る姿が自分と重なる。

私より似合ってるよウェイ、そのシャツも、そのズボンも。しょうもない理合りあいで黒をけてオレンジにしていた髪も、素敵だと褒め同じ色を強請ねだってくれた。
だけど、口調なんかは私が真似してるんだ。無邪気で明るい笑顔も。そうだよ…本当は…ウェイが私に付いてきてたんじゃない。いつも一緒に居たかったのも、お揃いがいいと思っていたのも、繋ぐ手に力をこめていたのも、きっと─────




私のほうだった。










「お前なんて」

雨音の中、ハッキリとシイの声が響く。



「お前なんて………大っ嫌いだ」

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