九龍懐古

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神韻縹渺

砂上と楼閣・前

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If you want to be honest then you have to live a lie. ── BANKSY










神韻縹渺7










「たくさん買ってしまったのです、食べ切れるでしょうか」
「みんなで分けたらすぐなのです。足りないかもなのですよ」

数日経った晩。宵さりの城砦を、足取り軽く歩くシイウェイ。手には馬拉糕マーライコー鳳梨酥パイナップルケーキ老婆餅ロウポーベンなどなどてんこ盛りのスイーツでパンパンの袋。賞味期限ギリギリで売り叩かれていた品々を、今しがた得た収入でしこたま買ってきた。

今日は2人で絵を販売しに行ったのだ。割の良い売買の話を遠くの街から受けて、揃ってイラストを運んでいった。先方は大層喜び、普段の相場よりも多くの金額が貰えたので、お祝いに皆で美味しい物を食べようとシイウェイは帰りしなに甘味処をあちこち回った。

「きっと、みんなお腹がペコペコなのです」
「そうなのです。急いで帰るのです」

ただでさえ遠方へ出掛けたうえそんなことをしていたから、家に戻るのが大分遅くなってしまった。けれど子供達の喜ぶ顔が見られるはずだ…そう思い、2人はワクワクしながら住処の扉を開けた。すると。





誰も居なかった。





1人も姿が見えない。帰宅時間を告げてはいなかったが、さりとてまだみんな外で遊んでいるという時刻ではとうに無い。戸惑いつつ荷物を降ろしたシイウェイは、とりあえずいつもの広場を覗く。人影は皆無。周囲の建物を確認。老鼠ねずみの気配すらない。家に戻った。先刻、置きっ放しにしたお土産があるだけ。死んだように静かな部屋。

「みんながどこにも居ないのです…どうしたのでしょう…?」

不思議そうなウェイかたわら、シイの背中を冷たい汗が伝う。

「も…っ…もう1度。もう1度、探してみましょう、ウェイ

若干声が上擦ったもののウェイが気付いた様子は無かった。二手に分かれ、改めて周辺をくまなく捜索。広場。建物。裏路地。広場。誰も居ない。


誰も、居ない。


湿った風が吹き土産の袋がカサッと鳴って、その音がよりいっそう静寂を引き立てた。ウェイの表情が戸惑いに変わる。シイの背中に、また冷たい汗が伝った。


───そんな…馬鹿な。そんなはずはない、絶対にない。あるはずがないんだ。


シイが半ば放心し呆然と立ち尽くすなか、ウェイの叫びが空気を震わせる。

「みんな…みんな居ないのです!!どこにも居ないのです、シイ…!!」

腕を掴まれたシイの心臓が、ドクンと脈打つ。脳みそがグラつくのはウェイに身体を揺さぶられているからじゃあない。わかっていたからだ、みんなが居ない理由が。頭ではわかっていた、それでも、気持ちが追い付かない。

どうして…どうして、どうして─────



手を出さない・・・・・・って、約束したじゃないか。



ウェイ

どうにか混乱を収めようと名を呼んだ声は、思いのほか弱々しいものになってしまった。潤んだ目で見詰めてくるウェイを心配させまいと、シイは深呼吸をして自分を落ち着かせ、ウェイの背を撫でる。

シイが、みんなを探してくるのですよ。ウェイはここで待っていて下さい、みんなが、帰ってくるかも知れないから」

無理矢理に口の端を吊り上げなるべく力強く発すると、それに応えてウェイも頷く。シイはすっかり暗闇に包まれた城砦へ、独り───駆け出した。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





シイじゃねぇか。どうした」

スラム街の、とある古ぼけたビル。シイウェイの拠点からはそう離れていない、しかしシイの足では休まず走っても30分以上はかかる廃墟。鉄製の扉を開けると、薄暗い明かりの中でたむろし談笑して酒をあおる半グレ連中が居た。全員知った顔。

そう、知った顔。全員。当たり前だ。こいつらは私の───仲間・・なのだから。

「どうした、じゃ、ない…っ…」

シイは上がりきった息を整えつつ室内に入る。声を掛けてきた、中央に座る男へズカズカと近付き、襟元を引っ掴んだ。

「それはこっちのセリフだ!!!!みんなをどうした!?どこへやった!?」

男はさして驚いた様子もなく、手にしていた酒瓶に口を付けてゴクゴク中身を減らすと、コンッとテーブルに置いて言った。

「売った。ちょっと現ナマが足りなくてな」

予想となんら変わりのない回答。あまりにも予想通り過ぎて、ゆえにシイ一瞬いっしゅん、二の句を失った。

なんだ足りないって。そんな筈ないだろう?もしも本当に足りないのだとしたら、それはお前らが阿呆みたいに使うからだ。湯水のように…いや、湯水だってスラムここでは大切だ。バカスカ使えるもんじゃない。

転がる酒瓶。食べカス。ドラッグ類。こんな物に…こんな物に変わったのか?みんなは?こんなくだらない物に?嘘だろう。嘘だって言えよ。シイは低く唸る。

「手ぇ出さないって約束しただろ…その為に金だって私が稼いだだろ…」

そんなふうに使っていいもんじゃないんだ。大切なんだ。

わかるか?お前らからしたら───なんでもないように見えるものが。いくらでも補充が利くように見えるものが。ありふれたように見えるものが。

「なんで約束破ったんだよ!!!!」


─────大切だったんだ。



怒鳴り散らすシイの頬を男は軽い動作で叩く。よろけて倒れ込んだ背中を踏み付けられ、シイは地面に突っ伏し咳き込んだが、首だけを振り向かせ男を睨んだ。降ってくる嘲笑。

「うるせぇなぁ。残しといてやったんだから感謝しろよ、お前のお気に入り・・・・・

ウェイのことか。ますます怒りの色を宿すシイの眼差しに、んなこえぇ顔すんなと男はわらった。

「やっぱ駄目だな偽札は。大陸ナカから仕入れてみたはいーけどバレるわ手元に帰ってくるわで。お前にもっと贋作つくって貰わねーと」

懐から出した札束を撒く。ビルシャワー、一見いっけん、景気のいい光景。周りに居た連中がゲラゲラと品のない声をあげる。

「ふざけんな!!返せ!!返せよ、みんなのこと!!ブッ殺してやる!!」

がなるシイの頬を、男は再度適当に叩いた。元気がいいのは嫌いじゃないぜと軽口。

シイ、テメェみてぇなガキのこと守ってやってんのはどこの誰だよ?お前は言うこときいてりゃいいの。アイツも売っ払われてぇか」

変わらず男を睨んでいたシイだが、脳裏にウェイの笑顔がよぎる。


クソ、クソ…ちくしょう…!!


はらわたが煮えくり返り、憤懣ふんまんは沸点をこえた。けれど───出来ることはなかった。



「……………わかったよ」

シイが蚊の鳴くような声で発すると男は足をどけ、起き上がって服の土を払うシイの周りの紙幣を指差し‘それ使っていーぜ’と呑気に告げる。シイは床に視線を這わせた。散らばるドル札。

どう使えっつうんだ?偽札だろ、アズマに持ってけってか?バカやろう。シイは1枚も拾わずに立ち上がり、今来たばかりのアジトを無言であとにする。出口をくぐる際、背中に‘金いらねぇのか’とつまらない質問が刺さったが、無視してそのまま後ろ手でドアを閉めた。
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