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神韻縹渺
夢見心地と白昼夢
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神韻縹渺5
黃昏の魔窟。バイトの帰り道、すっかり行きつけとなった広場へ足を運ぶ樹。
杏香楼にあるスイーツ屋で鳥結糖のセールをしていた。十や尾、お子様達へ持って行ったら喜びそうなので──自分の土産も含まれるが──買い占めてやった。赤い‘囍’の文字が書かれた袋を両手に提げて城砦を跳ぶ。
屋上では麻薬栽培、地上では縄張り争い、路地にはジャンキーとその死体。今日もスラムは騒がしい。パパッと土産を渡し、夜になる前に皆を帰宅させてお暇しよう。思いながら広場に到着し周囲を確認するも…無人。もう家に帰ってるのか?樹は教えてもらっていた生活拠点──古ぼけた廃ビル──へ向かう。
「あれ?十は?」
扉を開けると、入り口に座り込みスケッチブックを広げている尾が居た。他の子供達は既に夢の中、遊び疲れたのだろうか。今日は天気も良かったしな…考えつつ尾の隣にしゃがみ込む。尾はお土産の袋を見てニコニコ笑い、ありがとうなのですと何度も何度も礼を言った。
「十は、お仕事なのです。お絵描きを売りに行ったのです」
先程の樹の質問に答える尾。十は単身、どこかへ作品を売却しに行った模様。尾と2人で売りに行くことより十が1人で商売をしに行くことのほうが多いと尾は語る。
「十は何でも出来るしとってもすごいのです。それに、尾のお絵描きよりも、十のお絵描きのほうがたくさんお金になるのです」
呟いた尾は唇を軽く内側に巻き込む。
作品の優劣ではなく───恐らく、購買層の問題。十の美麗なイラストはどちらかといえば年齢が高めの客に好まれ、尾の可愛いイラストは年齢が低めの客に好まれるらしい。そうなると販売額に差が生まれてしまうのは必然だろう。
顔立ちや背格好が非常に良く似た2人だが…十のほうが、どことなく年上に見える。樹が述べると尾は身を乗り出し‘それは十がすごいからなのです’と息を巻く。
尾は十が大好きで、髪型から服装からなにから真似をしているのだと。十もそれを喜んでくれており、お揃いでないものはズボンの裾の長さくらい。そこは2人でアレンジし、敢えて変えていると得意気な尾。
「尾と十はずっと前から一緒に居るの?」
双子と言ってもそう疑わしくはないほどだ、長年の──といってもまだかなり幼いが──付き合いなのかと思ったけれど…尾はフルフルと首を横に振る。不思議そうな表情の樹へ、自分の生い立ちを説明しはじめた。
「えっと、尾の爸爸と媽媽は、仲良しではなかったのです。ケンカばかりしていて、尾もたくさん叩かれてしまっていたのです。媽媽は、あんまり尾を好きではなくて。えっと、でも爸爸は、尾が絵を描けばご機嫌になってくれました」
小さな手をちょこちょこと動かし身振りを付け、懸命に解説。樹は質問は後回しにして、ただ静かに頷く。
「それで、えっと、媽媽が…とっても怒った日があったのです。爸爸がお金をたくさん使ってしまったと、怖い人たちがお家にやって来たのです。お家の物がたくさん持っていかれてしまいました。それで、尾は、えっと…媽媽を助けようと思って、でも…怒った媽媽に言われたのです。尾を売ってお金にすると。媽媽は、媽媽ではないからと」
だから媽媽はいつも尾を叩いていたのですね、と笑う。
この解説ではいまいち話を飲み込むのに時間を要するが───つまり、尾はもともと父親の連れ子で、尾自身はそれを知らなかった。父親は尾の描く絵がそれなりに捌けて金になるのでとりあえず手元に置いていただけ。実母の消息はわからない。前妻の面影を持つ尾を新妻は嫌っており…そして父親は裏社会の人間から多額の借金をしていた。
ある日そのカタに家財道具は差し押さえられてしまい、帰宅した父親へ尾を売り飛ばすと食ってかかる義母。
「その時…そのケンカの時、爸爸も媽媽も、えっと…包丁とか、えっと、たくさん危ないものを使っていたのです。それで、2人ともおおケガで…」
そこで尾は押し黙る。樹も聞き返しはせず、黙っていた。話の続きを待った。たっぷりと時間が経って、深呼吸の後、口を開く。
「なので…爸爸と媽媽はもう居ないのです。尾はお外に逃げたのです、爸爸が逃げろと言ったので。怖い人たちが尾を捕まえにきてしまうので」
爸爸が最後に少しだけ、尾を庇ってくれたのが嬉しかった。俯いてそうはにかむ尾。喜ぶハードルがだいぶ下がってしまっている感はあるものの…今重要なのはそこではない。樹はまた耳を傾ける。
「たくさん走って…それで、知らないところにきて…尾は、ずっとメソメソしていたのです。寒くって、お腹も空いて…でも、ひとりぼっちで、座っていたのです。だけど、十が尾を見つけてくれて」
辿り着いた廃墟。古ぼけたビル。何日も何日も同じ場所で、独り、背を丸めていた尾に…声を掛けたのが十だった。
「十は、えっと、尾ととっても良く似たお顔だったのです。尾はとってもビックリして、でも十もとってもビックリして」
ビックリ!と驚いたリアクションを再現してみせる尾に、俺もビックリしたと同意する樹。尾は嬉しそうに目尻を下げる。
「尾は自分のお顔が嫌いだったのです。媽媽が嫌いと言っていたので、尾も嫌いだったのです。でも、えっと、十がおんなじお顔だったから、尾は嬉しかったのです」
十が年上に見えるのは、尾の佇まいのせいもあるのだと樹は気が付いた。たどたどしい喋り方は成長する機会を逸してしまっていたからだろう。ここまで聞いていた中で唯一の関わりだった両親も、ろくすっぽ尾の相手をしていない。過剰なまでの‘ですます調’は、人と接するにあたりそれが1番無難だった為…この背景で流暢に会話する術を学べというほうが酷である。
「尾は十に会ってから、自分のお顔が好きになったのです。髪の毛も、おんなじ色にしてもらって…お洋服もお揃いで…」
尾は両の掌を顔の前で合わせ瞳を閉じる。夢見るような仕草。
「十は尾とお絵描きもしてくれました。尾の絵が好きって、いっぱいほめてくれて」
それからそっと瞼を開き、樹を見るとニパッと笑う。
「尾は、十を…ここに居るみんなを、守りたいのです」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「樹?どうして居るのですか?」
時計の針が天辺を越えた頃。帰宅した十が、留守番をしている樹に目を丸くする。
「お土産持ってきたんだけど、尾が寝ちゃったから…俺がかわりに十のこと待ってようかと思って」
樹はボリュームを下げ、隣で寝息をたてる尾を指差した。十も控え目に‘ありがとうなのです’と囁く。
皆を起こさないようすぐさま退散しかけた樹の袖を十は引き、お茶でも飲んで行かないかと誘う。有り難く1杯だけいただくことにし、合間にポツポツと立ち話をした。
慣れた手つきで簡易コンロに火を点して普洱茶を淹れる十は、やはり尾よりお姉さん然としている。尾って十にすごい懐いてるねとの樹の言葉へ、十は声を弾ませた。
「尾はいつも十についてきてくれるのです」
過去のエピソードをいくらか尾から聞いたと頷く樹へ十も頷く。
「十は尾とお友達になれてとっても嬉しかったのです。十はずっとずっと1人でお絵描きをしていたので…尾とお友達になれた十は、本当に幸せ者なのです」
十の両親も不仲だったようだ。こちらは多くは語らなかったが、様々なトラブルがあり、例に漏れず早くに死んでしまっていることが伺えた。
続く他愛もないお喋りの最中、尾を見詰める十の目線を樹も追う。その周りでスヤスヤと眠る子供達、平和な光景。独り言のように十が零した。
「尾と出会えて、みんなと出会えて…私は居場所を見付けたから。まだ一緒に居る時間は短いけど、そういうのって多分、時間の長さじゃないから」
樹は尾から視線を離し十を見る。口調が、変わった気がした。心なしか雰囲気も。
けれど目が合った十はいつもの十で、ニパッと明るく屈託のない笑顔。
「十は、尾を…ここに居るみんなを、守りたいのです」
‘樹も仲間なのですよ!いつでも遊びに来て下さいなのです!’と小指を出す。樹は再度頷き、立てられた小さな指に自分の指を柔らかく絡めた。
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屋上では麻薬栽培、地上では縄張り争い、路地にはジャンキーとその死体。今日もスラムは騒がしい。パパッと土産を渡し、夜になる前に皆を帰宅させてお暇しよう。思いながら広場に到着し周囲を確認するも…無人。もう家に帰ってるのか?樹は教えてもらっていた生活拠点──古ぼけた廃ビル──へ向かう。
「あれ?十は?」
扉を開けると、入り口に座り込みスケッチブックを広げている尾が居た。他の子供達は既に夢の中、遊び疲れたのだろうか。今日は天気も良かったしな…考えつつ尾の隣にしゃがみ込む。尾はお土産の袋を見てニコニコ笑い、ありがとうなのですと何度も何度も礼を言った。
「十は、お仕事なのです。お絵描きを売りに行ったのです」
先程の樹の質問に答える尾。十は単身、どこかへ作品を売却しに行った模様。尾と2人で売りに行くことより十が1人で商売をしに行くことのほうが多いと尾は語る。
「十は何でも出来るしとってもすごいのです。それに、尾のお絵描きよりも、十のお絵描きのほうがたくさんお金になるのです」
呟いた尾は唇を軽く内側に巻き込む。
作品の優劣ではなく───恐らく、購買層の問題。十の美麗なイラストはどちらかといえば年齢が高めの客に好まれ、尾の可愛いイラストは年齢が低めの客に好まれるらしい。そうなると販売額に差が生まれてしまうのは必然だろう。
顔立ちや背格好が非常に良く似た2人だが…十のほうが、どことなく年上に見える。樹が述べると尾は身を乗り出し‘それは十がすごいからなのです’と息を巻く。
尾は十が大好きで、髪型から服装からなにから真似をしているのだと。十もそれを喜んでくれており、お揃いでないものはズボンの裾の長さくらい。そこは2人でアレンジし、敢えて変えていると得意気な尾。
「尾と十はずっと前から一緒に居るの?」
双子と言ってもそう疑わしくはないほどだ、長年の──といってもまだかなり幼いが──付き合いなのかと思ったけれど…尾はフルフルと首を横に振る。不思議そうな表情の樹へ、自分の生い立ちを説明しはじめた。
「えっと、尾の爸爸と媽媽は、仲良しではなかったのです。ケンカばかりしていて、尾もたくさん叩かれてしまっていたのです。媽媽は、あんまり尾を好きではなくて。えっと、でも爸爸は、尾が絵を描けばご機嫌になってくれました」
小さな手をちょこちょこと動かし身振りを付け、懸命に解説。樹は質問は後回しにして、ただ静かに頷く。
「それで、えっと、媽媽が…とっても怒った日があったのです。爸爸がお金をたくさん使ってしまったと、怖い人たちがお家にやって来たのです。お家の物がたくさん持っていかれてしまいました。それで、尾は、えっと…媽媽を助けようと思って、でも…怒った媽媽に言われたのです。尾を売ってお金にすると。媽媽は、媽媽ではないからと」
だから媽媽はいつも尾を叩いていたのですね、と笑う。
この解説ではいまいち話を飲み込むのに時間を要するが───つまり、尾はもともと父親の連れ子で、尾自身はそれを知らなかった。父親は尾の描く絵がそれなりに捌けて金になるのでとりあえず手元に置いていただけ。実母の消息はわからない。前妻の面影を持つ尾を新妻は嫌っており…そして父親は裏社会の人間から多額の借金をしていた。
ある日そのカタに家財道具は差し押さえられてしまい、帰宅した父親へ尾を売り飛ばすと食ってかかる義母。
「その時…そのケンカの時、爸爸も媽媽も、えっと…包丁とか、えっと、たくさん危ないものを使っていたのです。それで、2人ともおおケガで…」
そこで尾は押し黙る。樹も聞き返しはせず、黙っていた。話の続きを待った。たっぷりと時間が経って、深呼吸の後、口を開く。
「なので…爸爸と媽媽はもう居ないのです。尾はお外に逃げたのです、爸爸が逃げろと言ったので。怖い人たちが尾を捕まえにきてしまうので」
爸爸が最後に少しだけ、尾を庇ってくれたのが嬉しかった。俯いてそうはにかむ尾。喜ぶハードルがだいぶ下がってしまっている感はあるものの…今重要なのはそこではない。樹はまた耳を傾ける。
「たくさん走って…それで、知らないところにきて…尾は、ずっとメソメソしていたのです。寒くって、お腹も空いて…でも、ひとりぼっちで、座っていたのです。だけど、十が尾を見つけてくれて」
辿り着いた廃墟。古ぼけたビル。何日も何日も同じ場所で、独り、背を丸めていた尾に…声を掛けたのが十だった。
「十は、えっと、尾ととっても良く似たお顔だったのです。尾はとってもビックリして、でも十もとってもビックリして」
ビックリ!と驚いたリアクションを再現してみせる尾に、俺もビックリしたと同意する樹。尾は嬉しそうに目尻を下げる。
「尾は自分のお顔が嫌いだったのです。媽媽が嫌いと言っていたので、尾も嫌いだったのです。でも、えっと、十がおんなじお顔だったから、尾は嬉しかったのです」
十が年上に見えるのは、尾の佇まいのせいもあるのだと樹は気が付いた。たどたどしい喋り方は成長する機会を逸してしまっていたからだろう。ここまで聞いていた中で唯一の関わりだった両親も、ろくすっぽ尾の相手をしていない。過剰なまでの‘ですます調’は、人と接するにあたりそれが1番無難だった為…この背景で流暢に会話する術を学べというほうが酷である。
「尾は十に会ってから、自分のお顔が好きになったのです。髪の毛も、おんなじ色にしてもらって…お洋服もお揃いで…」
尾は両の掌を顔の前で合わせ瞳を閉じる。夢見るような仕草。
「十は尾とお絵描きもしてくれました。尾の絵が好きって、いっぱいほめてくれて」
それからそっと瞼を開き、樹を見るとニパッと笑う。
「尾は、十を…ここに居るみんなを、守りたいのです」
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「樹?どうして居るのですか?」
時計の針が天辺を越えた頃。帰宅した十が、留守番をしている樹に目を丸くする。
「お土産持ってきたんだけど、尾が寝ちゃったから…俺がかわりに十のこと待ってようかと思って」
樹はボリュームを下げ、隣で寝息をたてる尾を指差した。十も控え目に‘ありがとうなのです’と囁く。
皆を起こさないようすぐさま退散しかけた樹の袖を十は引き、お茶でも飲んで行かないかと誘う。有り難く1杯だけいただくことにし、合間にポツポツと立ち話をした。
慣れた手つきで簡易コンロに火を点して普洱茶を淹れる十は、やはり尾よりお姉さん然としている。尾って十にすごい懐いてるねとの樹の言葉へ、十は声を弾ませた。
「尾はいつも十についてきてくれるのです」
過去のエピソードをいくらか尾から聞いたと頷く樹へ十も頷く。
「十は尾とお友達になれてとっても嬉しかったのです。十はずっとずっと1人でお絵描きをしていたので…尾とお友達になれた十は、本当に幸せ者なのです」
十の両親も不仲だったようだ。こちらは多くは語らなかったが、様々なトラブルがあり、例に漏れず早くに死んでしまっていることが伺えた。
続く他愛もないお喋りの最中、尾を見詰める十の目線を樹も追う。その周りでスヤスヤと眠る子供達、平和な光景。独り言のように十が零した。
「尾と出会えて、みんなと出会えて…私は居場所を見付けたから。まだ一緒に居る時間は短いけど、そういうのって多分、時間の長さじゃないから」
樹は尾から視線を離し十を見る。口調が、変わった気がした。心なしか雰囲気も。
けれど目が合った十はいつもの十で、ニパッと明るく屈託のない笑顔。
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