九龍懐古

両鳳連飛

飛天と両鳳・前

両鳳連飛17





「ちょぉ待ちぃや兄様あにさま！！！！」



張り上げられた大声に面食らった殷インが振り向くと、ものすごい形相をし肉弾戦車さながらの迫力で走ってくる上カムラが目に入った。圧。富裕層地域近辺の閑静な路地にはあまり似合わない風体だが…お構いなしの上カムラはドスドスと殷インの傍まで近付く。目の前まで来るとガクッと膝に手を置き、ゼェハァ肩で息をして‘ちょぉ待ってホンマ’と非常に弱々しく漏らした。運動不足丸出し、つい先程の威勢はどこに。

「よ、良かっ、た、追い付、いて」
「上カムラ？貴様何故なにゆえ此処に居るんだ？」
「な、なにゆえも、かにゆえも！！あらへっゴファッゲファ！！」

啖呵の途中で思いっ切り咳き込んだ。状況が把握出来ていない殷インが、焦りつつ心配そうにその背を摩さする。

ちくしょう脇腹が痛過ぎる…これでも時たまランニングしてんねんぞ？筋トレやってちょいちょい…まぁええわそんなことは。上カムラは額ひたいに流れる滝汗を袖口で拭いつつどうにか体裁を整える。フゥと深呼吸。

「殷イン、今から敵サンとこ行くんやろ？話し合いやのうて、全員殺やる気やねんな」

その追及へ殷インは動きを止とめ、目をパチクリさせると穏やかに笑えんだ。

「参ったな。耳が早い。さすが、情報屋の名は伊達でないな」

否定もせず感心する姿は、落ち着いた様子。肚はらを決めているのだろう。こりゃ説得すんの厳しんとちゃうか…？言葉を選ぶ上カムラ。

「宝珠ホウジュちゃんどないすんの。残していったらアカンよ」
「貴様達が居るだろう？樹イツキにも東アズマにも宜しく頼んでおいたし、彗スイや大地ダイチも懇ねんごろにしてくれてるじゃないか」
「そら殷インが居おらんでええっちゅう理由にはならんて」
「いや、居ないほうがいいんだよ自分は」

居ることによって火花が散り、守るどころか逆に狙われもしてしまう、と乾いた声音の殷イン。上カムラは左右に首を振る。

「宝珠あのこやって、守られてばっかりとちゃう。見えんとこで成長しとんねん。一緒に歩いて行こ思おもて、頑張っとるはずやねん。ほんならそこには殷インが居おらんと駄目なんよ」

見えないところで成長している。大地ダイチだってそうだった。子供達は保護者の気付かない所で育っている、むしろいつの間にか、こちらのほうが学ばされる事が多いほどに。
宝珠ホウジュは殊更ことさら、殷インの支えになりたいという直向ひたむきな姿勢が顕著だ。大地ダイチで言ゆうとこのアレやな、燈瑩トウエイさんの手伝いしたいってやつ。俺やなくて…うん、俺やなくて。うん…俺でもええんやで…？ちゅうかさっき間違えて微信チャット送ってもたな、ヤバいかな…色々ほんのりブルーになった思考をフルフルと取り払うブラコン。

上カムラの真摯な意見と訴えに、殷インの纏まとう気配はいくらかやわらいだ。が、今度は例によって自嘲的にボヤく。

「そうかもな。然されど…仕様が無いよ。これまで、数多あまたの標的を亡き者にしてきたから。自分の番が回ってきたんだ」

諦観ていかん。

それは───そう言ってしまえば、そうなのだろう。否定は白々し過ぎて出来ず、しかし当然ながら肯定も出来ずに、上カムラはまた言葉を選ぶ。選ぶが、どうにもしっくりくる科白セリフが無い。薄く霞かすみの様に浮かんでいる殷インの迷い。その迷いを掴み取るには、どれもこれも違う気がした。悩んで…結局、思ったことをそのまま口にする。

「順番やからって送り出せるわけないやん。今までのこと考えてしもたら、そら都合ええて感じるんもわかるけど、‘ほんなら行ってらっしゃい’とは言ゆえへんよ」

善だ悪だ、是だ非だなど、全て個人の贔屓ひいきと偏見だ。けれど俺達は皆…ワガママだから。
その贔屓ひいきを。その偏見を。失くしたくないという気持ちを。傍に居たいという想いを。護りたいと願う心を。


「仲間やんか？俺ら」



きっと──────絆と呼ぶんだ。



殷インの瞳孔が揺れた。上カムラは腕を前に突き出しビシッと殷インの鼻先を指さす。
あの屋上で、あの海で、握れなかった手は…俺が踏み出せなかったから。踏み出したのが遅かったから。引き止めるんが無理やからって、諦めてどないするん。せやったら…俺が踏み出すんや。もう１歩。

「俺も、行く。引き止められやんならついてくわ。独りにはようさせん。玉砕覚悟なんちゅうんは許さんで」

もう樹イツキも呼んどんねん、日時わかったらすぐ教えてくれ言われとってな！！逃げられへんぞ！！とフンフン息巻く。そんな上カムラの勢いに圧倒された殷インは長いことフリーズし───それから弾けるように笑った。

「っ、ははっ！あははっ！全く…実にお節介なのだな、貴様達は…」
「せやねん。やから、大人しく世話焼かれてもろて」

ドヤる上カムラに殷インは腹を抱えながら肯うなずき、スッと右手を差し出した。

「ならば、上カムラ。かたじけないが…力を貸してもらえないだろうか？」
「当たり前やん。貸せる力が足りとるんかは別やけどな」

そこは最高戦力イツキから大幅おおはばに拝借させていただくと神妙な顔つきをする上カムラ。決意を込め殷インの掌てのひらをガッチリ握り返したが、当の殷インは諸々ツボに入ってしまったようで笑いが止まらず、なんだかよくわからないまま長兄同士の握手は交わされた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





足を運んだ家屋は、さすが富裕層地域寄りのエリアというべきか。廃墟にも拘かかわらず下層階級のアパートよりも数段中身が整っていた。
かなりの大広間。高い天井、おそらくもとはクラブ…よりはいくらか古めかしい。ディスコといったほうが近いだろうか？意味合い的な差は無いけれど。入口を通って遥か前方、奥にあるステージには光が灯り、フロアへと乱雑に配置されたテーブルや椅子では成金然ぜんとした男達がそれぞれ持ち寄ったらしき酒を飲んでいる。この内装ならスラムや貧困街であれば店舗として立派に営業可能であろう。
ズカズカ中に入ると空いていたダブルソファに座る殷イン。上カムラもうるさい心音を鎮め、何食わぬ顔で跡を追い並んで着座。半グレ共の視線が集まる。

「遅かったな【十剣客】」
「あぁ、道に迷って・・・・・」
「なんだその連れは」
「相棒。九龍ここの情報屋、周知だろう？」

中央に居るまとめ役風の男が発し、愉快そうに殷インが返す。確かにこの中には‘ストールのポッチャリ’を的まとにかけた奴もいるはず。道に迷って・・・・・が含みのある言い方だと気付いたのは上カムラだけだったが。
そもそもこの状況で‘愉快’とは一体いったい全体なんなのか？ちゅーか【東風】んメンツ、みんなそういうとこあるでな…なんで揃いも揃ってイケイケやねん…上カムラは眼球だけを動かし横目で殷インを見やり、次にディスコ内を、これまた眼球だけ動かしてグルリと見渡した。
相当数が居る。非戦闘員ももちろん存在するだろう、実際闘やれるのは３分ぶんの２程度か───いや多ない？３分ぶんの２でも目算30人ぐらい居おんで、しかもこいつらチャカやろ？兄様あにさま、余裕シャクシャク過ぎひん？さり気なく殷インへ体を寄せ小声で発する。

「不利、どころの騒ぎとちゃうやんかこれ。どないすん」
「斃たおすよ全員。貴様に何人任せられる？」
「え！？…２人…とか」
「２人か…え？２人？」

口元に手を当てつつ、２人、と何度も小さく復唱する殷インに上カムラは遠い目。ごめんてホンマ…樹イツキ、早はよ来てくれやんかな…。

「聞いてるか？【十剣客】」
「ん？すまん、ひとつも聞いていなかった」

なにがしか相談をしていたマフィア連中から話を振られた殷インは悪怯わるびれもせず答え、‘もう１度始めから頼む’と飄々ひょうひょうと言い放つ。上カムラは背筋をヒヤッとさせるも、殷インは気にした様子もなくアームレストに肘を付き頬杖。中央の男が不機嫌に繰り返す。

「九龍での利権争いや勢力拡大の為に、【十剣客おまえ】に働いてもらいたいんだよ」
「あぁ、それか。以前にも断らなかったか？別の人選にしてくれ、自分は手を引くから」

要望をサラリと棄却。場の空気などには一切いっさいの忖度そんたくも無く、むしろ‘わかりきった事を訊くな’といった態度の殷インに敵意剥き出しの眼差しがいくつも刺さる。上カムラの肌に冷や汗が伝った。と、背後からガチャリと無機質な金属音。

「手を組まないなら危険因子だな」

男の言葉と同時に、後ろにいた輩が上カムラの頭へ銃口を当てた。

あっ俺ですか…そらそうやな、弱そうなほうから片付けるんはセオリーやんな…。動揺を悟られまいと平静を装う上カムラの隣、殷インが心底つまらなそうに息を吐いて、ゆっくり背凭せもたれに寄りかかり低く唸うなる。

「三度みたびは言うまい。自分は手を引くよ」
「却下だ」
「そうか」

短いやり取りを交わした刹那─────軽く腰を浮かせた殷インの手に握られている双剣からは既に血が滴したたり。上カムラへ拳銃を突き付けていた輩やからは頸動脈を掻っ捌かれ、噴水のごとく、周囲に真っ赤なシャワーを降らせていた。