299 / 404
身辺雑事
ペンダントとクリスタル・前
しおりを挟む
身辺雑事6
「あの電話帳、人身売買やってるグループの名前があるね。深圳のほうの奴」
蓮の食肆で匠と昼食をとっていた上は、電話口の燈瑩の声に耳を澄ます。やはり浩宇は女を捕まえては貢がせ、薬を与え、役に立たなくなってきたらどこかへ売り飛ばしてを繰り返しているらしい。今のトレンドはもっぱら深圳。恐らく花街の店があらかた閉まる日曜ないし月曜に、買い手へ女を引き渡しに行っているとのこと。
上は壁掛けの日めくりカレンダーに目を向ける。今日は…星期一。匠に視線を飛ばすとその手には既に携帯が握られていた。綾をコール。間に合うか?事が起こるのが今日の今日とは限らないが…。電話の向こうでまだ寝ていたらしかった綾は飛び起き、桂子の家に行こうと提案。わかったと立ちあがる匠、燈瑩との通話を終えた上も厨房の蓮にひと声かけ、急いで待ち合わせ場所へと足を向けた。
綾と貧民街側の大通りで落ち合い、小走りで桂子のもとへ。
「桂子ちゃん、ウチに居るの」
「どうだろ…電話も微信もレスこないし、けど他に探せるとこ無いから…」
訊ねる匠に眉を曲げる綾、桂子は最近あまり家にも帰っていないらしい。居なかったらどうしよう、どこを探そうと息を上げ焦燥する綾を上は‘大丈夫やから’と落ち着かせる。けれど走っているせいで自分のほうがめちゃくちゃゼェゼェいっていたので匠に‘お前が大丈夫か’とツッコまれた。鼻を膨らませるスノーマン。
自宅があるという裏路地まで行き着いた時。薄暗いマンションから人影が出てくるのが見え、綾が叫んだ。
「桂子!!」
呼ばれた少女はビクッと肩を震わせた。ふんわり編み込んだ栗色の長い髪が揺れる。振り返った顔は童顔で幼い印象、だが、目の周りは落ち窪み隈が出来ていた。スレンダーを通り越したガリガリの体型。薬物の副作用。
戸惑う桂子へ上はハァハァしつつも会釈し、匠は帽子を脱ぎ片手をあげた。歩み寄った綾が手短に説明。
「アタシら、周りのこと調べたんだよ。店長…睿くん?だっけ?やっぱり女の子売り飛ばしたりしてた。恋人だって桂子だけじゃないよ、ていうか、恋人でもないし…わかってるでしょ?」
痩せ細った両肩を掴む。桂子は視線を落とした。そこで綾はふと気が付く、いや、どうして初めから気が付かなかったのか。
「なにこの荷物」
大きめのボストンバッグ。しどろもどろに‘着替えとかメイク道具とか’と答える桂子、どうやら荷造りをしに家へと戻ってきていたようだ。
「私、今日から出張行くの。もうすぐ睿くんが迎えに来てくれるって、深圳のほうにいいお店があるって」
「嘘だよそんなの!連れてかれて売り飛ばされるだけだよ!」
‘深圳’。上は携帯を手に、燈瑩の言っていた内容を思い返し…言いづらくはあったが事実を伝える。
「それ、お店やなくて人身売買のグループやねん。そっちに詳しい人から聞いててん、睿、っちゅう奴…深圳で女売っとる半グレと繋がりがあるんよ。綾ちゃんの言うとることが正しいで」
桂子は上をチラリと見て、また綾へ目線を移し俯いた。
「私…よくわかんないから…」
喉を震わせる桂子。‘わからない’というより‘わかりたくない’のだろう。話を続ける上。
「んー、その…俺が紹介しよった娘とかも…店長に捕まって売られててんな。自業自得、ちゅうたらそうなんやけど…とにかく桂子ちゃんもそうなってまうで」
「いろんな女に色かけたり薬回したりして、なんつーか、使えなくなったら売っ払ってんだよ。言いかたが悪くてワリぃけど。桂子ちゃん、もうかなりドラッグやってるだろ」
匠も言葉を付け足す。桂子が両方の顔を交互に眺め、それから再び綾の顔を見た。
「でも、でも…私…」
睿くんが迎えに来るから。同じ台詞を繰り返す桂子に、綾は歯噛みした。
「っ、なんでアンタはそう馬鹿なのよ!」
語気を強める綾を桂子が睨み、肩にかかる手を振り払おうと身をよじった。フラつく足元、道の脇に積み上がっていたビールケースによろけてぶつかり山が崩れる。入っていた空き瓶がガシャガシャと落ちて割れた。
「そうだよ、馬鹿だから…わかんないの、綾ちゃんみたいには出来ないの…!」
体を支えようとする綾の腕を弱々しく叩き桂子は怒鳴る。
「ほっといてよ私なんて!!」
「ほっときたいよアタシだって!!」
綾も怒鳴り返した。泣き出しそうな表情の綾が、だけど、と掠れた声を絞る。
「ほっとけないんだもん…」
腹が立つ時もある。今回だって、人の忠告を何も耳に入れないで。けれど────落ち込んだ時に朝まで話を聞いてくれたこととか。調子が優れなかった時に作ってくれたご飯とか。嫌な客に当たって愚痴を言い散らかした長電話とか。食べ歩いて半分こした全然美味しくない鶏蛋仔とか。ヘルプに行った店が最悪で一緒に中指を立てて帰ってきた明け方とか。ショッピングに出掛けて選び合った服とか。互いに似たようなカラーで染めてみた髪とか。‘独りぼっちだね’なんて笑いながら2人で過ごした夜とか。お揃いで買ったチャチなネックレスとか。
そんな些細な小さなことが、しかし、とても大きく心に残っていた。
泣き出しそうな表情なのは桂子も同じだった。上も匠も、黙って2人を見詰める。
その時、砂を踏む音が聞こえ、路地の奥から男が姿を現した。
「あの電話帳、人身売買やってるグループの名前があるね。深圳のほうの奴」
蓮の食肆で匠と昼食をとっていた上は、電話口の燈瑩の声に耳を澄ます。やはり浩宇は女を捕まえては貢がせ、薬を与え、役に立たなくなってきたらどこかへ売り飛ばしてを繰り返しているらしい。今のトレンドはもっぱら深圳。恐らく花街の店があらかた閉まる日曜ないし月曜に、買い手へ女を引き渡しに行っているとのこと。
上は壁掛けの日めくりカレンダーに目を向ける。今日は…星期一。匠に視線を飛ばすとその手には既に携帯が握られていた。綾をコール。間に合うか?事が起こるのが今日の今日とは限らないが…。電話の向こうでまだ寝ていたらしかった綾は飛び起き、桂子の家に行こうと提案。わかったと立ちあがる匠、燈瑩との通話を終えた上も厨房の蓮にひと声かけ、急いで待ち合わせ場所へと足を向けた。
綾と貧民街側の大通りで落ち合い、小走りで桂子のもとへ。
「桂子ちゃん、ウチに居るの」
「どうだろ…電話も微信もレスこないし、けど他に探せるとこ無いから…」
訊ねる匠に眉を曲げる綾、桂子は最近あまり家にも帰っていないらしい。居なかったらどうしよう、どこを探そうと息を上げ焦燥する綾を上は‘大丈夫やから’と落ち着かせる。けれど走っているせいで自分のほうがめちゃくちゃゼェゼェいっていたので匠に‘お前が大丈夫か’とツッコまれた。鼻を膨らませるスノーマン。
自宅があるという裏路地まで行き着いた時。薄暗いマンションから人影が出てくるのが見え、綾が叫んだ。
「桂子!!」
呼ばれた少女はビクッと肩を震わせた。ふんわり編み込んだ栗色の長い髪が揺れる。振り返った顔は童顔で幼い印象、だが、目の周りは落ち窪み隈が出来ていた。スレンダーを通り越したガリガリの体型。薬物の副作用。
戸惑う桂子へ上はハァハァしつつも会釈し、匠は帽子を脱ぎ片手をあげた。歩み寄った綾が手短に説明。
「アタシら、周りのこと調べたんだよ。店長…睿くん?だっけ?やっぱり女の子売り飛ばしたりしてた。恋人だって桂子だけじゃないよ、ていうか、恋人でもないし…わかってるでしょ?」
痩せ細った両肩を掴む。桂子は視線を落とした。そこで綾はふと気が付く、いや、どうして初めから気が付かなかったのか。
「なにこの荷物」
大きめのボストンバッグ。しどろもどろに‘着替えとかメイク道具とか’と答える桂子、どうやら荷造りをしに家へと戻ってきていたようだ。
「私、今日から出張行くの。もうすぐ睿くんが迎えに来てくれるって、深圳のほうにいいお店があるって」
「嘘だよそんなの!連れてかれて売り飛ばされるだけだよ!」
‘深圳’。上は携帯を手に、燈瑩の言っていた内容を思い返し…言いづらくはあったが事実を伝える。
「それ、お店やなくて人身売買のグループやねん。そっちに詳しい人から聞いててん、睿、っちゅう奴…深圳で女売っとる半グレと繋がりがあるんよ。綾ちゃんの言うとることが正しいで」
桂子は上をチラリと見て、また綾へ目線を移し俯いた。
「私…よくわかんないから…」
喉を震わせる桂子。‘わからない’というより‘わかりたくない’のだろう。話を続ける上。
「んー、その…俺が紹介しよった娘とかも…店長に捕まって売られててんな。自業自得、ちゅうたらそうなんやけど…とにかく桂子ちゃんもそうなってまうで」
「いろんな女に色かけたり薬回したりして、なんつーか、使えなくなったら売っ払ってんだよ。言いかたが悪くてワリぃけど。桂子ちゃん、もうかなりドラッグやってるだろ」
匠も言葉を付け足す。桂子が両方の顔を交互に眺め、それから再び綾の顔を見た。
「でも、でも…私…」
睿くんが迎えに来るから。同じ台詞を繰り返す桂子に、綾は歯噛みした。
「っ、なんでアンタはそう馬鹿なのよ!」
語気を強める綾を桂子が睨み、肩にかかる手を振り払おうと身をよじった。フラつく足元、道の脇に積み上がっていたビールケースによろけてぶつかり山が崩れる。入っていた空き瓶がガシャガシャと落ちて割れた。
「そうだよ、馬鹿だから…わかんないの、綾ちゃんみたいには出来ないの…!」
体を支えようとする綾の腕を弱々しく叩き桂子は怒鳴る。
「ほっといてよ私なんて!!」
「ほっときたいよアタシだって!!」
綾も怒鳴り返した。泣き出しそうな表情の綾が、だけど、と掠れた声を絞る。
「ほっとけないんだもん…」
腹が立つ時もある。今回だって、人の忠告を何も耳に入れないで。けれど────落ち込んだ時に朝まで話を聞いてくれたこととか。調子が優れなかった時に作ってくれたご飯とか。嫌な客に当たって愚痴を言い散らかした長電話とか。食べ歩いて半分こした全然美味しくない鶏蛋仔とか。ヘルプに行った店が最悪で一緒に中指を立てて帰ってきた明け方とか。ショッピングに出掛けて選び合った服とか。互いに似たようなカラーで染めてみた髪とか。‘独りぼっちだね’なんて笑いながら2人で過ごした夜とか。お揃いで買ったチャチなネックレスとか。
そんな些細な小さなことが、しかし、とても大きく心に残っていた。
泣き出しそうな表情なのは桂子も同じだった。上も匠も、黙って2人を見詰める。
その時、砂を踏む音が聞こえ、路地の奥から男が姿を現した。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない
めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」
村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。
戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。
穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。
夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる