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身辺雑事
【楽山】と雪廠
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身辺雑事1
「ちょっと中興楼のヘルス行ってこいよ」
真っ昼間から放たれる台詞ではない。
「絶っ対に嫌です」
ソファで酒瓶を傾けて素敵な提案をしてきた猫へ、笑顔で断りを入れる東。【東風】にツケを取りに──ついでに老酒も開けに──きただけかと思っていたが、急になにを言い出すんだこの城主は。
「東、好きだろが。あの辺の店」
「そんな昔の話しないでもらえます?ジジィじゃないんだかっ」
言い切らないうちにデコへと飛来した鉄扇を喰らう。それが人に物を頼む態度ですかネコちゃぁん!?思いながら東はスツールから転げ落ちた。
「なにかあったの」
「綾が困ってるっぽい。でも俺ぁ行ってやれねーからな」
燈瑩の問いに酒瓶を振る猫。【宵城】店主である手前、飲みに行くのはかまわないがヤりに行くとなると──別に店へ行った所でヤりはしないが──少々話が変わってくる。床から這い上がった東が首を傾げた。
「綾ちゃんね。困ってるって?指名本数?」
「じゃねぇだろ、トラブルだよ。多分」
先日猫は中興楼にある店舗【楽山】について、どうにも切羽詰まった雰囲気の綾に尋ねられたらしい。‘何でもいいので聞いていることはないか?’と詰め寄る彼女に‘特に何も’と答えた数日後、綾はキャストとして【楽山】に在籍をしはじめていた。
元居たピンクカジノのほうには休暇を貰っているようだ。退店ではなくいずれ戻ってくる心づもり。息抜きにヘルスということはないだろう、よりプレイ内容の過激な場所へ骨休めに行くとは思えない。単に金欠というのも考えられる──というかだいたいのキャストはそうだ──けれど、直前にしていた会話と質問に照らし合わせると、気になる事案があって自ら従業員として探りに行ったのでは?という推論がたつ。
「金が足りねぇって感じでもなかったしな」
呟き、パイプに火をいれる猫。どうしたのかと聞けども綾は詳細を説明しはしない。で、あれば、そこそこプライベートな事情…且つ誰かを巻き込む程の大事でもない。だが耳にしてしまえば放っておけないのも猫である。
「中興楼の【楽山】ならヘルスやのうてピンサロやんな」
「あ?そーなの?行ったことあんのか饅頭」
「ちゃうわ!やけど、俺もちょいちょい名前聞いとんねん」
上は顎に手を当てる。話によると、このところ上がスカウトした女性が何人か紹介先の店舗から消えていて、足取りを追ってチラついたのが例のピンクサロンとのこと。雑居ビルによくある、店名と経営者がコロコロと変わる形態の店。
稼ぎを求めてより良い環境にキャストが流れるのはそうおかしくはないけれど、なにやら別の噂も入ってきていた。
「なんやその…最近ちょぉ、流行っとる、んー…薬があるやん」
「雪廠?」
東が口を挟む。上が何となく言いづらそうにしているのは、雪廠がパーティードラッグだからだ。元はどこか外国から持ち込まれ、香港屈指の夜遊びスポット蘭桂坊で流行りだした新顔。雪廠街──アイスハウスストリート──から広がっていったので通称雪廠。現在九龍にも届きはじめ、城砦では改良品や粗悪品がたっぷり出回っている。
猫は白煙を輪にしてポポッと吐き出した。
「綾は薬やらねーと思うけど」
「ほんなら周りの誰かサンやんな。【楽山】なんや絡んでんのとちゃうか」
唸る上に匠が声を掛ける。
「俺、行こうか?」
パッと振り向く面々へ笑顔で‘暇だし’と付け足した。
しかしこの立候補は、恐らく山茶花の1件があったせい。猫や上に対してあの時のことを薄っすらと申し訳なく感じており、花街におけるドラッグ関連のトラブルの可能性なら手を貸さないという選択肢はなかった。
もはや気にする必要もわだかまりも残ってはいないけれど、みんなこの男の真摯な側面はそれなりに知っている。口に出しはしないが多分、樹や寧にも借りをおぼえている…どことなくそんな想いを滲ませる匠へ樹は横から鳳梨酥を差し出した。半分こ。‘パサつくだろ’と匠は笑う。
「せやったら俺も行くわ」
「俺がじゃねぇのかよ」
「うっさいな!もう!」
茶々をいれる猫を睨む上。そういった店に単身で乗り込むのが気恥ずかしいのがバレている。ククッと喉を鳴らす猫を無視して上は余っていた鳳梨酥をガブリと齧った。パサつく口内。
「ちゅうか匠、綾ちゃん知っとるん」
「知ってる。カジノの娘だろ?最初【東風】のこと綾に訊いて来たんだし」
そういえばそうだと東は記憶を辿った。
───いらっしゃいませ。ていうかよく【東風】わかったね。
───クラブに来るネーチャン達に聞いた。ピンクカジノで働いてる娘、最近お前あんま遊んでくれなくてつまんないつってはいはいはい回想終わり終わり!!ごめんなさいね、遊ばなくなって!!
「綾いつ出勤てんの」
「毎日みてーだな」
「そっか、じゃ今から行くか」
「今からぁ!?」
猫の毎日との回答を受け腰を上げた匠へ上が大声を出した。
「え、上このあと仕事?」
「いや暇やけど…れ、連絡とか入れた方がええんとちゃう?綾ちゃんに。来客予定があるかもせんやん?なんやその、指名とか?ちゅうか電話で話せるんとちゃうかトラブルのことも」
「指名が入ってたら空くまで待てばいいじゃん。猫に話さねんなら俺らにも話さねーよ電話したって、直で聞き行かねぇと。それに【楽山】も怪しいなら店見るべきだろ」
ごもっとも。
弱気な提言を至極真っ当な意見でバッサリといかれ、上は唇を横に結んだ。悪魔じみた笑い声をあげて近寄ってきた猫がバシッと力の限り背中を平手で打つ。紅葉が咲いた。
「痛ぁ!!」
「気張れよ饅頭。仕事なんだからシャキッとしろシャキッと」
「せやから痛いんやってそれは!!」
涙をちょちょ切らせ苦言を呈する上へ、樹は横から鳳梨酥を差し出した。半分こ。
上は‘ありがとうな’と礼を述べ、パサつきを承知で再び齧りついた。
「ちょっと中興楼のヘルス行ってこいよ」
真っ昼間から放たれる台詞ではない。
「絶っ対に嫌です」
ソファで酒瓶を傾けて素敵な提案をしてきた猫へ、笑顔で断りを入れる東。【東風】にツケを取りに──ついでに老酒も開けに──きただけかと思っていたが、急になにを言い出すんだこの城主は。
「東、好きだろが。あの辺の店」
「そんな昔の話しないでもらえます?ジジィじゃないんだかっ」
言い切らないうちにデコへと飛来した鉄扇を喰らう。それが人に物を頼む態度ですかネコちゃぁん!?思いながら東はスツールから転げ落ちた。
「なにかあったの」
「綾が困ってるっぽい。でも俺ぁ行ってやれねーからな」
燈瑩の問いに酒瓶を振る猫。【宵城】店主である手前、飲みに行くのはかまわないがヤりに行くとなると──別に店へ行った所でヤりはしないが──少々話が変わってくる。床から這い上がった東が首を傾げた。
「綾ちゃんね。困ってるって?指名本数?」
「じゃねぇだろ、トラブルだよ。多分」
先日猫は中興楼にある店舗【楽山】について、どうにも切羽詰まった雰囲気の綾に尋ねられたらしい。‘何でもいいので聞いていることはないか?’と詰め寄る彼女に‘特に何も’と答えた数日後、綾はキャストとして【楽山】に在籍をしはじめていた。
元居たピンクカジノのほうには休暇を貰っているようだ。退店ではなくいずれ戻ってくる心づもり。息抜きにヘルスということはないだろう、よりプレイ内容の過激な場所へ骨休めに行くとは思えない。単に金欠というのも考えられる──というかだいたいのキャストはそうだ──けれど、直前にしていた会話と質問に照らし合わせると、気になる事案があって自ら従業員として探りに行ったのでは?という推論がたつ。
「金が足りねぇって感じでもなかったしな」
呟き、パイプに火をいれる猫。どうしたのかと聞けども綾は詳細を説明しはしない。で、あれば、そこそこプライベートな事情…且つ誰かを巻き込む程の大事でもない。だが耳にしてしまえば放っておけないのも猫である。
「中興楼の【楽山】ならヘルスやのうてピンサロやんな」
「あ?そーなの?行ったことあんのか饅頭」
「ちゃうわ!やけど、俺もちょいちょい名前聞いとんねん」
上は顎に手を当てる。話によると、このところ上がスカウトした女性が何人か紹介先の店舗から消えていて、足取りを追ってチラついたのが例のピンクサロンとのこと。雑居ビルによくある、店名と経営者がコロコロと変わる形態の店。
稼ぎを求めてより良い環境にキャストが流れるのはそうおかしくはないけれど、なにやら別の噂も入ってきていた。
「なんやその…最近ちょぉ、流行っとる、んー…薬があるやん」
「雪廠?」
東が口を挟む。上が何となく言いづらそうにしているのは、雪廠がパーティードラッグだからだ。元はどこか外国から持ち込まれ、香港屈指の夜遊びスポット蘭桂坊で流行りだした新顔。雪廠街──アイスハウスストリート──から広がっていったので通称雪廠。現在九龍にも届きはじめ、城砦では改良品や粗悪品がたっぷり出回っている。
猫は白煙を輪にしてポポッと吐き出した。
「綾は薬やらねーと思うけど」
「ほんなら周りの誰かサンやんな。【楽山】なんや絡んでんのとちゃうか」
唸る上に匠が声を掛ける。
「俺、行こうか?」
パッと振り向く面々へ笑顔で‘暇だし’と付け足した。
しかしこの立候補は、恐らく山茶花の1件があったせい。猫や上に対してあの時のことを薄っすらと申し訳なく感じており、花街におけるドラッグ関連のトラブルの可能性なら手を貸さないという選択肢はなかった。
もはや気にする必要もわだかまりも残ってはいないけれど、みんなこの男の真摯な側面はそれなりに知っている。口に出しはしないが多分、樹や寧にも借りをおぼえている…どことなくそんな想いを滲ませる匠へ樹は横から鳳梨酥を差し出した。半分こ。‘パサつくだろ’と匠は笑う。
「せやったら俺も行くわ」
「俺がじゃねぇのかよ」
「うっさいな!もう!」
茶々をいれる猫を睨む上。そういった店に単身で乗り込むのが気恥ずかしいのがバレている。ククッと喉を鳴らす猫を無視して上は余っていた鳳梨酥をガブリと齧った。パサつく口内。
「ちゅうか匠、綾ちゃん知っとるん」
「知ってる。カジノの娘だろ?最初【東風】のこと綾に訊いて来たんだし」
そういえばそうだと東は記憶を辿った。
───いらっしゃいませ。ていうかよく【東風】わかったね。
───クラブに来るネーチャン達に聞いた。ピンクカジノで働いてる娘、最近お前あんま遊んでくれなくてつまんないつってはいはいはい回想終わり終わり!!ごめんなさいね、遊ばなくなって!!
「綾いつ出勤てんの」
「毎日みてーだな」
「そっか、じゃ今から行くか」
「今からぁ!?」
猫の毎日との回答を受け腰を上げた匠へ上が大声を出した。
「え、上このあと仕事?」
「いや暇やけど…れ、連絡とか入れた方がええんとちゃう?綾ちゃんに。来客予定があるかもせんやん?なんやその、指名とか?ちゅうか電話で話せるんとちゃうかトラブルのことも」
「指名が入ってたら空くまで待てばいいじゃん。猫に話さねんなら俺らにも話さねーよ電話したって、直で聞き行かねぇと。それに【楽山】も怪しいなら店見るべきだろ」
ごもっとも。
弱気な提言を至極真っ当な意見でバッサリといかれ、上は唇を横に結んだ。悪魔じみた笑い声をあげて近寄ってきた猫がバシッと力の限り背中を平手で打つ。紅葉が咲いた。
「痛ぁ!!」
「気張れよ饅頭。仕事なんだからシャキッとしろシャキッと」
「せやから痛いんやってそれは!!」
涙をちょちょ切らせ苦言を呈する上へ、樹は横から鳳梨酥を差し出した。半分こ。
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