九龍懐古

紫電一閃

心火と端緒・後

紫電一閃14





藍漣アイランは眉を顰めた。彗スイが誰かを探しているとは聞いたことがなかった、なので言うまでもなく、その理由も。この様子からしてあまり好意的・・・な捜し物ではないな…思いつつ成り行きを見守る。

突然話の流れが変わり、上カムラは説明を中断すべきか迷ったが───目配せをしてきた燈瑩トウエイに顎を引き、口を開いた。

「あんな？俺ら、彗スイちゃんの家族の事件についても調べててん。香港の裏社会に…」
「関わってたんでしょ。爸爸パパとか。何となく知ってた」

だから‘アンバー’の名前聞いたことあったんだもんと彗スイ。両親の生前、ちょこちょこと会話を耳にしていたようだ。
あのバス事故の起こった時期。父はなにやら大きな取り引きに絡んでいたらしく、その中で彗スイが聞いた名前が‘アンバー’だった。どういった繋がりかは知らない、仕事の内容も。ただ名前だけが記憶に残っていた。
不自然だったのだ、あんなおあつらえ向きなタイミングでの事故なんて。唯一の手掛かりである‘アンバー’…そいつのせいで爸爸パパと媽媽ママは死んだのか？延々と頭を巡る疑念。

そこで樹イツキは朧げながら何かがピンときた。裏社会、武闘家、三節棍…顎に手を当てる。上カムラが続けた。

「せやから…故意・・やねんな、あん事故は。ほんで、彗スイちゃんの親戚ん人らなんやけど、そっちも───もう全員死んでてん」

彗スイが、今度はバッと上カムラを振り返る。

遺産を手にした親戚達は既に皆消えていた。邪魔者の始末後、親族に入った遺産をこれまた丸々横取りしたのだ。金、金、金。大金の前には人の命なんてちっぽけなものである。

「で、そん時裏で色々やっとった奴ら…武器商のな。そいつらが今回、九龍で動き回っとる奴らかも知れんて思てんねん」

浮上した可能性。しかし元は大陸で起こった何年も前の事件だ、完全に詳細を追いきれてはおらず。‘ちゃんとわかっとる訳やのうてごめん’と申し訳なさそうな表情を浮かべる上カムラに彗スイは黙り込む。

詮せんずるところ…過去の事故を引き起こした相手は大陸系のマフィア崩れ。両親を葬った後のち、その遺財すらも横取りをしていった。
当時と組織の様相や人員は変化しているが、現在そいつらは九龍方面に活動の範囲を広げてきており────アンバーは、もとより、事件との関連性はない。

本当なのか？本当に…急激に入ってきた様々な情報に整理が追い付かない。俯く彗スイへ、燈瑩トウエイが柔らかく声を掛けた。

「俺は、関わってた訳じゃないよ」
「っ…そんなの───わかんないじゃん」


顔を上げた彗スイの指が三節棍に触れる。


「落ち着け、彗スイ」

藍漣アイランが宥なだめた。

実際問題この件に関しては、本当に燈瑩トウエイの与あずかり知るところではなかった。アンバーは界隈で名が売れているから話題に出ていただけで、例のバス事故の話も聞いた事はない。
でも、きっと、彗スイはそのあたりの人間全般を恨んでいるのだろう…そして名前を耳にしたことがあるのが‘アンバー’ならば、長年仇かたきと思っていてもなんら不思議ではないな…考えつつ燈瑩トウエイは紙巻きにゆっくり火を点けた。部屋を漂う白煙。

彗スイは燈瑩トウエイを再度見詰める。‘わかんないじゃん’とは言ったが、わかっている、彗スイとて…燈瑩トウエイが嘘をついている事はないと。わかってはいるが、感情の矛先をどこに向けたらいいかがわからなかった。どうしたらいい？この想いは？
両親が死んだのは、自業自得ではある。そういった仕事をしていたのだから。けれど…その引き金となった連中への怒りは消えない、憎いのだ、もちろんそれは燈瑩トウエイではなくて。多分違う。多分───あぁ、もう。やっぱりわからない。

三節棍に指をかけたままの彗スイ。と、燈瑩トウエイが懐ふところから拳銃を抜いた。グロック。

撃つわけがない。誰もがそう思ったが、それでも一瞬…緊張が皆の間あいだを駆け巡った。彗スイが反射的に三節棍を取り出しかけて────手を止める。グロックが宙を舞って自分へと飛んできたので。
彗スイは両手の平でそれをキャッチした。想像よりは軽かった。壁に背を預け優しく発する燈瑩トウエイ。

「撃っていいよ、俺のこと。彗スイちゃんの気が晴れるなら」

樹イツキの雰囲気がザワついた。今しがた言っていた、‘燈瑩トウエイは怪我したがり’という台詞が藍漣アイランの脳裏によぎる。
燈瑩トウエイは樹イツキへと首を傾かたむけて仕草だけで言い訳した。樹イツキが彗スイに目線を向け、また燈瑩トウエイに戻す。無言の時が過ぎた。



「────撃たない」



彗スイはクルッと手の中でグロックを回し、テーブルの上に置いた。短く息を吐き頭を振る。

「燈瑩トウエイは、姐姐ジェジェの味方だから」

２人の間には信頼がある。それに彗スイだって燈瑩トウエイを信用していないわけではない。ただ、ちょっと、ちょっと急な出来事だったから…即座には気持ちに折り合いがつかなかった。それだけだ。

「ありがと。じゃあ、銃それは藍漣アイランにあげて」

護身用、持ってたほうがいいでしょと笑う燈瑩トウエイ。前に用意してくれたのもグロックだったなと藍漣アイランはふと思い出す。彗スイが藍漣アイランに拳銃を渡す傍かたわら、樹イツキの責めるような目付きに燈瑩トウエイは両手を合わせ‘ごめん’と謝った。

上カムラが小さく安堵の息をつき、話を再開。

「やから、ハナっからあいつら…今九龍城このまち荒らして回っとる奴らのことやけど。それが彗スイちゃんの家族の事故も糸引いとった可能性が高いねんな。完全には調べついとらんくてすまんけど」

詫びる上カムラへ彗スイはもう１度頭を振る、ここまで辿り着けただけでも凄いことだ。グループの龍頭ボス自体は変わっていないらしい、接触出来れば、真相が暴けるのかも知れない。彗スイの双眸にわずかに炎が宿った。
寧ネイを狙った誘拐未遂、ルート簒奪の画策や、藍漣アイランへの襲撃、彗スイの家族にまつわる因縁…もはや、事ことを構えない理由のほうが無い。

「じゃあ、そのマフィアを片付ける・・・・方向性でいいかな」

まるで夕飯の内容でも決めるかのような穏やかな声調で燈瑩トウエイが問いかけた。熱を持つ彗スイの眼差しに微笑む。

「俺が上手く手配しておくから。少しだけ、時間ちょうだい」

頷く彗スイ。その眼差しと同じく、熱を孕はらんだ低気圧の風が、白雨はくうに烟けぶる城砦を抜けた。