九龍懐古

紫電一閃

パワープレイと９９９・前

紫電一閃７





香港上空は曇天。台風の勢いは未だ衰えず、シグナルは８から10を行ったり来たり。
浸水、洪水、避難勧告。ウェザーニュースは警報に次ぐ警報を出していた。

暴風は、また、新たな暴風を連れて来る。







続く土砂降り。それでも１日のうちに数回は訪れる雨間あまあいを縫って、人々は洗濯に買い物にてんてこ舞いの大わらわ。
蓮レンと寧ネイもご多分に漏れず、食肆みせで使う食材や備品の調達に追われていた。雨で流通経路がストップしているため、なんでもない食べ物や日用品ですら仕入れるのに手間がかかる。ただでさえジメジメした城塞を余計に陰鬱にするハリケーン…豪雨に見舞われないよう迅速に買い出しを済ませ家路を急ぐ。



「で、彗スイちゃん、すっごい強かったんです。羨ましいな…私は喧嘩とか出来ないけど…」
「わかりますよ！僕もいつも、師範みたいになれたらなぁ！って思ってますし」

市場いちばから帰る道すがら、先日のＢ級グルメ探索の際に起きたトラブルを語る寧ネイ。共感を示しつつ、蓮レンは‘まぁ僕は思ってるだけで全然なれないんでしゅけどね！’とドヤ顔。なぜ自慢気なのか。

「あっ、でもこのまえ、初めて剣術で師範にオッケーもらったんです」
「そうなんですか？」
「はい！‘抜刀ぬいてみろ’って言われて、抜刀してみせたらオッケーが出て！僕もう嬉しくてピョンピョン飛び跳ねてたら師範の部屋の掛け軸壊しちゃって山程借金っハブァ！？」

再現ＶＴＲさながらピョンピョン飛び跳ねていた蓮レンは、曲がり角で誰かにぶつかり尻餅をつく。抱えていた紙袋から散らばる夏野菜。‘何だ蓮レンか’と声が聞こえ顔を上げると、立っていたのは匠タクミだった。

「匠タクミしゃん！お出掛けですか？」
「昼飯食いに。蓮レンの食肆とこ行こっかな、今日のランチ何？」

匠タクミは蓮レンを引っ張り起こし、野菜を拾う寧ネイを手伝う。‘今ちょうど仕入れてきたところです！ランチにはこれを使いましゅ！’と張り切る蓮レンは、集めた荷物からなにやら緑色の物体を選び目の前に突き出した。

「あ、節瓜フシウリ」
「はい！節瓜フシウリにはビタミンＡ、B1、B2、Ｃ及びタンパク質にミネラルそしてコリンあっコリンとはレシチンというリン脂質の材料になる物質でビタミンをサポートし細胞膜構成と補修に不可欠な栄養素で食物繊維も豊富に含まれ今回市場に出ているのは全体的により硬く多くの毛で覆われた節瓜フシウリでして良質の」
「早口だな」

延々と捲まくし立てられる説明をやんわり聞き流す匠タクミ。献立の内容を訊いただけで成分は尋ねていなかったんだけど…吉娃娃チワワの‘廚師コックスイッチ’入っちゃった、すげぇマシンガントークじゃん…。目を瞬しばたたかせ、煙草に火を点ける。暫しばらくあやふやな相槌を打ち徐おもむろに白煙を吹いていたが────突然吸いさしを投げ捨て、蓮レンの胸ぐらを掴み横に居た寧ネイごと自分の後方へ乱暴に引き下げた。


直後。ガンッと鈍い音。


振り返った蓮レンの瞳に映る、鉄パイプを持った男と傾く匠タクミの身体。男が蓮レンと寧ネイへ視線を向ける、が、その男の身体も突如フッと斜めに傾かしいだ。匠タクミが倒れしな爪先つまさきを伸ばし、男の脚を低い位置で引っ掛け自らの転倒に巻き込んでいた。膝をつく両者。予想外の足払いを受けて体勢をたて直すのが遅れた男が身構えた時には、既に立ち上がった匠タクミは取り落とされた鉄パイプを遠くへ蹴り飛ばしていた。代わりに男は上着の内側からナイフを抜き振りかぶるも、それより早く匠タクミの指が男の眼球にグチャッと食い込む。

なんとも言えない悲鳴が辺りを包んだ。匠タクミは舌打ちをし、落ちていた空き瓶を拾い適当に壁で割ると、地面で転げ回りメチャクチャにナイフを動かしている男の喉を鋭利な尖端で一ひと突き。妙な呻き声の後のちに周囲は静寂を取り戻す。


「…………へっ？」


唐突な出来事に、状況が飲み込めない蓮レンが間の抜けた反応。寧ネイも空気が一変した路地裏を呆然と眺める。

匠タクミは男を見下ろして、手の甲で鼻血を雑に拭うと眉を顰ひそめた。

─────うるさ過ぎだ、コイツ。いや俺の反撃方法やりかたが悪かったといえばそうなのだが。とにかくこんなに騒いだらすぐ仲間が…ほら来た。あーもーグラグラする、頭思いっ切り殴り飛ばしやがって。何人なんにんだ？倒せっかな？つうかなんだよ急に。

通路の奥から迫る人影をにらむ匠タクミ。事態を把握している訳ではなかったが、この連中が友好的でないことは自明の理。蓮レンに向けて掌てのひらを振った。

「蓮レン、寧ネイ連れて下がれ」
「でっでも…」
「いーから」

言って、死体の喉からガラス瓶を抜く。近付いてくる相手と幾分いくぶん距離が縮まるのを待ち、素早く瓶を男達へ放り投げた。１人の顔面に突き刺さり、ツレの男もそれに気を取られ足を止める。匠タクミはすかさず新品の空き瓶──新品の空き瓶？って？──を手に取り、積まれたガラクタを足場に軽く飛ぶとツレの男の脳天に振り下ろした。派手な音をたてて砕けるガラス、即座に手首を返し割れたばかりの瓶を思いっ切り鼻っ柱へブッ刺すと、顔からガラスを生やした輩が２人になった。纏めて蹴倒す。片方は傷が浅そうだったので、瓶を足の裏で踏んで頭蓋の深くへと捩ねじ込んだ。プチッと弾ける感触。目玉か。両方共、数秒ジタバタしたあとパタリと静かになった。

続いて出て来たのは何だかガタイの良い男。デカっ…東アズマくらいあんな、でも東アズマみたいに弱かねぇんだろうな…。失礼なことに意識を割いているうちに間合いが詰まり、匠タクミは振り下ろされた棒状のものを片腕で受け止める。つけていた金属のブレスレットに当たって、そのいくつかが弾け飛んだ──マジかよ気に入ってたのに──おかげ様でダメージは特に無かったが、しかし、相手の力が強過ぎる。体格差もありそのまま押され靴底が滑った。