九龍懐古

カロン

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愛及屋烏

春心と老獪・後

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愛及屋烏5





刃を受けたマオの身体が、5メートル程後方のテーブルと椅子に派手な音を立てて背中から突っ込む。

うせやん」

カムラが呟き、これでもかというくらいに目を見開いた。



フッ飛んだ。あのマオが。



というか急過ぎる、状況が掴めない。騒動に気付いた他の面々や客達も音の方向へ視線を向けた。

「えっ何何何なんなん?喰らったん?」
「いや…喰らってない。多分、自分から跳んだんじゃないの」

オロオロするカムラに落ち着いたトーンで答えるイツキ、衝突の場面を見ていた様子。瓦礫から上体を起こしたマオの手には真っ二つになった酒瓶、斬撃をガードした跡。瞬時に手近な卓から拝借したものだろう。
マオはつまらなそうな顔で瓶を見て、それから刀をたずさえる男を見た。唐突な奇襲───心当たりはない。無差別か?にしちゃあ回りくどいな、やっぱり狙いは俺か。こんなに人気ひとけの多い場所で…あったまおかしいんじゃねーの…?通せんぼとか手口の古いナンパかよ。思いつつ、口を開く。

「お前が俺とヤリたいのはわかったわ」

パタパタと着物の埃を払って立ち上がり、瓶を投げ捨てると腰の脇差わきざしに触れ軽く居合の構えを取る。かったるそうに溜め息をつき、首を回した。

「こいよ。先イカせてやる」

マオが纏う空気は非常にゆるい、しかし───盤石。不意打ちとはいえ先刻の攻撃、この男もかなり剣の腕は立つ。体格もマオよりふた回り以上大柄、得物は倭刀わとう。対するマオ脇差わきざし。ガタイに加えてその剣の長さも考慮すれば、リーチにだって相当な差がしょうじている…にも関わらず、男は斬りかかるタイミングを計りかねていた。かもし出すルーズな雰囲気に反しマオには一分いちぶの隙も無い。

数秒。十数秒。無言の時が経ち、観衆が固唾をのんで見守る中。



男の指が微かに跳ねた。



間髪入れずに踏み込むマオほとんど瞬間移動に近い速度で眼前へ詰めると相手の刃に自分の刀の鞘を当て押さえこんだ。生まれた空白。半回転して足を振り上げ男の横っ面に上段蹴りをブチかます。スパァンと小気味良い音が響き、フロアへと沈む男。

宣言通り、相手の初動を待ったカウンター…ではあったが。タクミが驚嘆の声を上げた。

「は?見えた?」
「ギリ」
「一瞬」
「全く」
なんも」

イツキが目を細め燈瑩トウエイは顎に手を当て、アズマカムラは頭をフルフル振った。

「はっや!っていうかアリなの蹴りそれ?」
「別にこれで倒すつってねぇだろ」

大地ダイチの抗議にマオは舌を出す。確かに、剣術で勝負するとは一言ひとことも言っていない。試合ではなくストリートファイト、ルール無用でしかるべき。ポンッと腿を叩く大地ダイチカムラが‘ゆうて今のはちょいちょいズルいで’とボソリ。

「で、お前はどこのどい…つ…」

マオが改めて男に視線を落とすと何やら様子がおかしい。不自然な痙攣を何度も繰り返したかと思ったら、見ているうちにパタリと静かになった。マオは膝を曲げると男の髪を掴み頭を持ち上げ───無表情でアズマに手招き。

「へ?何?」
「こいつ伸びてるから担いで。おめぇわ」
「えぇ?起こしたらいいじゃない」
「いーからよ」

近付いたアズマも隣に腰を下ろして男の顔を覗き───無言でその身体を背負った。テーブルと椅子を適当に直すと店員達へ詫びを告げるマオ、雑に札束を置き外に出るよう皆にうながす。早足で店を離れる最中、大地ダイチが男を指差しマオに尋ねる。

「どうするの、その人」
「どうもしねぇ。どっか置いてく」
「置いてく?じゃあ何で持ってきたわけ?」

タクミの問いにマオは眉間に何本もしわをこさえ、舌打ちし、声を潜めた。


「死んでっからだよ」
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