九龍懐古

カロン

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愛及屋烏

鼻血とハンカチ

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愛及屋烏1





きっと、好きだった。










晴れ渡る空───は、違法建築に隠れて見えないが。湿気の多い香港では珍しくカラッとした午後。

貧困街の細い路地をレンは足早に歩く。両手にはいつもの如く大量の食材、配達を頼んでもいいけれど自分の足で探し回った方が掘り出し物がゲット出来るし値段も安い。
今日は天気も良好。ひらけた場所を通ったとき頭上には青天が覗いていた。湿度も低いし風も爽やか、こんな日はゼリー系のスイーツでも新しく開発するのが吉。美味しい1品が仕上がりそうな予感。レンは鼻歌を唄いつつ角を曲がり────


いだぁっ!!!!」


何かに突っ掛かってズッけた。


地べたへ身体の前面をしたたかに打ち付ける。ビァタンと陽気な音がし取り落とした荷物が四方八方へと飛散。
全っ然、前を見ていなかった…いや足元か…突っ伏したままフリーズ。

「わっ!ご、ごめんなさい!」

続けざま、細い声が耳に届きレンはゆっくりと顔を持ち上げて視線を向ける。ぶつけた鼻が痛い…鼻血出てるかも…ぼんやりそんな事を考えていたレンの視界に入ったのは。

「あぁ、大変…鼻血が…どうしましょう」

白いハンカチを広げる白いワンピースの女性。亜麻色の長髪がフワリと揺れ、整った顔立ちに今は困惑の色が浮かんでいる。


────綺麗だ。


「あの…すみません、私…」

オロオロする女性を見てハッと我に返り、レンは慌てて起き上がり彼女へ向き直る。正座。

「あっ、いや!!大丈夫でしゅ僕こそしゅみましぇんっ!!」

バッチリ噛んだ。

女性はキョトンとして小首をかしげ、そっとレンの鼻血を拭く。レンは焦ってそれをめた。真っ白なハンカチが真っ赤になってしまう…ていうかやっぱり鼻血出てた、ダサいな僕…気恥ずかしさを感じつつ視線だけで周囲を見渡すと、ブチ撒けられた買い物袋の中身と大きめの鞄がひとつ。この鞄につまづいたらしい。女性はまたごめんなさいと頭を下げた。

「私、邪魔でしたね。こんなところにしゃがんで居て」
「いえ!僕があの注意散漫で歌唄ってゼリーだったのでそれでビターンっと鼻血です」

訳が分からない説明を口走るレン。既に面積の半分近くが赤く染まったハンカチを、たおやかな指先から受け取る。

「これ洗って返します。えっと…」

そこでふと考えた。この女性ひとどうしてここで座り込んでたんだ?貧困街の薄暗い路地裏、不衛生だし危険だし、なにより似合わない。個人の主観だが。
何か聞いてもいいのだろうか。名前くらい?ハンカチも返すしどの辺りに住んでいるかとか?それは踏み込み過ぎか。膝を抱えていた理由も気にはなるものの。

「名前は美麗メイリイと申します。家は…恥ずかしながら、その…ありません…」
「えっ?」

脳内に湧いた疑問へとすぐさま返答がきて、レンは面食らう。どうして訊こうとしたことがわかったのかと問えば、美麗メイリイは‘口に出してらっしゃいましたよ’と事も無げに言った。無言で肯き、おもむろに食材を拾うレン。もうやだ…顔から火がでそう…黙々と荷物をかき集め紙袋に詰めた。その時。

キュルルと、小さな音。

レンが振り返ると、美麗メイリイが腹部を押さえて頬を染めている。あら?今のはお腹の虫?
家が無いって言ったな。ご飯も食べてないのだろうか。諸々の仔細をまだ聞いてはいないけど、そんなことより空腹は一大事いちだいじだ。腹を空かせた人間を捨て置ける廚師コックは居ない。

「お腹空いてるんですか」

レンの質問に瞼を伏せる美麗メイリイレンはたどたどしく言葉を紡いだ。

「僕、ご飯屋さんやってるんです。なので…あの…食べに来ますか?何か作ります」

‘手持ちが無い’と縮こまる美麗メイリイに、まかないで良ければ料金はいらないと伝える。誰かに新作の試食もして欲しかったし、自分はなんら迷惑ではないとどうにか説明をつけた。美麗メイリイしばらく悩み、それから、消え入りそうに‘本当にいいんですか’とポツリ。レンは首をブンブン縦に振り、立ち上がると美麗メイリイへ手を差し伸べる。

「有り難うございます。私も貴方のお名前、お伺いしてもよろしいでしょうか」

微笑む美麗メイリイ、端麗な笑顔。レンは咳払いをしてキリッとした声を準備した。ちょっとカッコつけたくて、手なんか差し伸べてみたのだ。しょっぱな派手に転んだ上に鼻血も出ちゃったけど───とにかく。気合を入れ名乗る。


「れっ、レンでしゅっ!!」





やっぱり噛んだ。
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