九龍懐古

カロン

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倶会一処

艶羨とニコチン・後

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倶会一処16





「お兄ちゃん、元気無いね」

日暮れの屋上。シュウイツキの顔を覗き込む。



連絡を入れるとシュウはすぐにやってきて、普段通りに楽しそうな様子を見せた。とりあえず茶餐廳チャーチャンテーンで食事をとり、鴛鴦茶ユンヨンチャーを飲みつつのんびりして、雨雲の途切れた屋上へ。なにをしようとした訳でもないが、手持ち無沙汰だったから…いや。問い掛けるタイミングが掴めなかったから。

ロクのことを。

他愛たわいもないシュウとの会話の中で、返事をする度にイツキは喉元まで質問を出しかけ…唇を開いては閉じ、開いては閉じ。そんな事を繰り返すあいだに時間は過ぎて、雲間から差し込む落陽は砦をうっすらと黄金色に染めていた。
シュウが九龍城へと来た当初も、色々な場所を案内し、こうして屋上で夕陽を見ながら立ち止まった。シュウは今と同じように顔を覗き込んできて、今と同じように素直そうな表情で。

────あの時からもう、掛け違えていたのだろうか。

シュウ…」

イツキシュウの目を見詰める。いつまでも二の足を踏んでいたって仕方がない。ゆっくりまばたきをし、1文字1文字言葉を紡いだ。


シュウが、ロクのこと…殺したの?」


強い風が吹き、所狭しと立てられたアンテナ群が揺られてギシギシと悲鳴を上げる。シュウは大きな瞳をかすかに小さくして、答えた。


「そうだよ」


違法建築が軋んで奏でる不協和音の中。その科白セリフはやけにハッキリと鼓膜を叩いた。

言い訳も、取り繕いもせず。何をいうんだと責めもせず。どうしてそう思ったのかと問うこともせず。ただ、認めた。
答えはわかっていたものの、その答えに対する答えを持ち合わせておらず、イツキは黙ってシュウを見ていた。シュウは視線を外し軽く溜め息をつく。

「甘いんだもん。ロクは」

吐き捨てるとトントンと2、3歩あるいて、屋上のへりに飛び乗った。

ネイタクミが鳴らしたロクの電話にシュウが出たのは、殺した後に回収したからだ。入っているマフィア連中の情報を確認し、操作し、役立てる為。そして倉庫に火を点けた。特段説明もらない簡単な流れ。

イツキは半ば唖然あぜんとし、シュウの背へ声を飛ばす。

「何で…そんなあっさり…」
「あっさり?普通じゃない?」

シュウはクルッと可愛らしくターンを決めるとイツキへ向き直った。
普通・・なのか?シュウの中では?目的の為に全てを切り捨てることは、合理的、といえば…それで済んでしまうのか。悶々と思索するイツキへ、相も変わらず屈託のない笑顔でシュウが発した。

「でもさ!お兄ちゃんがロクの代わりになってくれたらいいんだよ!」

子供のように無邪気に両手を広げる。…子供なんだ、恐らく。どこかで何かが欠けて止まってしまい、埋まらないまま此処まできた。イツキは声を押し出す。

「…なれないよ」

誰かが誰かの代わりにはなれない、なんて、そんなのは綺麗事で。物だって人だって代わりが利く。残念なことにこの世界はそうして回っている。
けれど、‘シュウにとってのロクの代わり’は誰にも出来ない。ロクは誰よりもシュウを想っていた。イツキシュウを想う気持ちが足りないとか、そういった話じゃあない。ただ、ロクが、唯一無二だったのだ。

シュウが首を傾げる。

「なんで?お兄ちゃんも強いじゃん。初めて会った時だって、僕の見繕ったチンピラすぐ倒しちゃってさぁ。そのあとの襲撃も…」
僕の・・?」

疑問を投げたイツキシュウはキョトンとし、あ、そっか。言ってなかったっけと肩を竦めた。

「あれは僕がやったの。お兄ちゃんがどれくらい強いのか知りたくて」
ロクがやったって聞いたけど」

イツキの返答にシュウは片眉を上げ、ふぅん、と口を尖らせた。ロクは───庇ったのだ。シュウを。皆のシュウに対しての心証を、わずかでも良く出来る様に。イツキの戸惑いをよそにシュウは続ける。

「とにかくさぁ。お兄ちゃんなら誰にも負けないじゃん」
「そうじゃなくて」
「兄弟なんだからもっといい仕事やれるよ」
「そうじゃないんだよ、シュウ

なんでわかんないの。そうイツキが漏らしたのが耳に届いたらしく、シュウの纏う雰囲気が急激に変化した。

「───なんなの?お兄ちゃん、僕についてくれるんじゃないの?」
「それは…つくよ。つくけど…」
「お兄ちゃんはさぁ、ズルいよね」

わかってないのはそっちじゃんか。シュウは顔をしかめる。

「最初っからたくさん持ってて、なのに【黑龍いえ】出ちゃってさぁ。捨てられた訳じゃないでしょ、棄ててきたんでしょ。そんなの驕りだよ。そのくせに、‘わかんないの’とか僕にいうの?」

イツキは少しハッとした。改めて考えたことはなかったが…言われてみれば確かにそうではあった。周りに居る人間は、何かしらの理由で失くして・・・・いる者達ばかり。棄てて・・・きたのは自分だけだ。

「だけど今だって、またいっぱい持ってる。お兄ちゃんはズルいよ」

視線がぶつかった。この噛み合わない現状を噛み合わせる術がなく、イツキは押し黙る。シュウの瞳の奥でゆらぐ焔だけが見えた。ほどなくしてビルの向こう側へと太陽は吸い込まれ、暗がりの中、シュウが呟く。

「お兄ちゃんは僕の…邪魔するの?」

そう言い残し、イツキの横をすり抜け振り向きもせず歩いて行く。すれ違いざま、その腕を掴むことがイツキには出来なかった。シュウの炎を鎮め、この場に引き止められるだけの言葉を見付けられなかったから。

階段を降りる靴音が遠ざかる。雨はまた振り始め、闇に沈む九龍を静かに生温く包んだ。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





暁雨ぎょううに濡れる城塞。夜景を眺め、シュウは独りハンギングチェアを漕ぐ。膝を曲げて、伸ばして、ユラユラと。
くわえ煙草が水滴で湿った。部屋に残っていたパッケージ。火を点け、一口ひとくち吸い込んで吐き出す。慣れない煙にむせて咳き込んだ。
なんだこのマズい葉っぱ?なんでこんなもん好きこのんで吸うんだ?苛々する、ムカつくなぁ、もう。誰も彼も。お兄ちゃんだって、ロクだって───みんな。

再度白煙を吸い込みフィルターを噛み潰す。ポウッと煙草の先端が赤く光った。やっぱり美味しくない、シュウは9割がた燃え残っている紙巻きを投げ靴底でグシャグシャ踏んだ。


────シュウちゃん、濡れたら風邪引くぜ。


「うるさいな…」

座面で丸くなり膝を抱える。吹き抜ける夜風が、そっと、ハンギングチェアを揺らした。
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