九龍懐古

カロン

文字の大きさ
上 下
235 / 389
倶会一処

蒼天と墨色

しおりを挟む
倶会一処11





「あーっつーい!!」

バスから降り立ったシュウが叫び、両手を頭上にかざす。後ろをついて出てきたイツキは中華帽を脱ぎシュウの頭にポスッとかぶせた。

「飲み物でも買おっか」
「炭酸がいい!炭酸!ジンソニックとか!」
シュウ、それお酒じゃない?」

早朝から、出掛けずにいるのはもったいないくらいに晴れ渡っていた蒼天。ジメジメした城砦を離れて九龍灣…というのも味気ないので、遊びに来たのは香港島最南端に位置する半島赤柱スタンレー中環セントラルからバスに揺られて終点で下車、1歩踏み出せばすぐに潮の香りが鼻をくすぐる海の町。昼からアルコールが飲めるオープンテラスのバーやパブも多く、通りは活気に満ち賑わいを見せている。

行き当たりばったりの外出で計画性はゼロ。建ち並ぶマーケットをチラチラ覗きブラブラ歩いた。雑貨やアクセサリー、シルク製品にレース、中国絵画、バスタブに浮かべる玩具おもちゃ、もちろん浮き輪や水着もある。
なんだか不機嫌な表情をした小さな招き猫の群れを見付けたイツキは、着物を羽織った1匹を手に取りそのまま購入した。マオへの──絶対らないとわかっているが渡したら渡したで飾ってくれるのもわかっているので──お土産だ。
その隙にシュウは宣言どおり‘炭酸ドリンク’を買っていた。ジンソニックではなかったものの嘉士伯カールスバーグ、普通に啤酒ビール。お兄ちゃんも飲み物いる?と笑顔で訊かれイツキはショーケースから可樂コーラを出しかけ…ひっこめた。酒、飲んじゃおうか。迷った末に藍冰啤酒ブルーアイスをチョイス。

ゆるい坂道をテクテクくだり海岸へ。雑談に次ぐ雑談。

シュウは海とかよく行くの?んー、行く機会がそんなに…僕あんまり街中まちなかから出なくて…。俺もそう、港の方は結構行くけど。九龍灣?うん…あっでもこの前維多利亞港ビクトリアハーバー行った。え、双子のアヒル見に?1匹ペッチャンコに潰れてて双子じゃなかった。ヤバっウケる!帰りに香港散歩したよ、タピオカ飲んだり。じゃ今度は僕がお兄ちゃん案内してあげる、九龍案内してもらってるし!ありがと。

辿り着いたのは人の集まるメインビーチではなく、閑散とした住宅街沿いの浜辺。道中のコンビニで適当に選んだ2本組みの雪糕アイスを半分こし、靴を脱いで海へ向かうと水に足をつける。ひんやりした塩水が肌を包みさざなみすねに当たって崩れていった。
青い空と海、白い雲、右手に雪糕アイスで左手には啤酒ビール。贅沢。イツキは目を細めキラキラ光る眩しい水面を眺めた。ぬるいそよ風に頬を撫でられ思わず呟く。

「溶けそう」
「え?暑くて?」
「いや、なんか…空気と水に…」

フワフワとした感じ、まぁそれは、ちょっと酒が入っているのもあるか。
イツキが言うと、シュウは楽しそうに脚でパシャッと水を跳ね上げた。

「海に撒いてもらうのもいいかもね」


死んだらさ。


シュウの言葉にイツキは振り向いた。遠くを見詰めるシュウの瞳は何を捉えているのかわからない。それとも何も捉えていないのか。
どこか、なにかが、埋まっていない。そんな雰囲気をシュウはふと感じさせる。
自分が欠けた部分を埋めるのだ、などという烏滸おこがましいことを主張するつもりはないけれど…可能な限り寄り添ってはいたい。何が出来るという事も無いが。考えつつイツキは視線を戻して、海のむこうを見やり肯いた。

「俺もそうしよっかな」
「うん!そうしよ!」

嬉しそうに答えるシュウ。約束!とはにかみ、雪糕アイスくわえると空いた小指を出した。イツキは自分の雪糕アイス一口ひとくちで平らげ、空けた小指をその指に絡める。シュウが‘お兄ちゃん食べるの早’、とケラケラ笑った。

波打ち際で遊び、砂浜に転がり、露店で駄菓子を買い、他愛たわいもない話を繰り返す。和やかに過ぎる時間。夕陽が水平線の彼方へ落ちていき、オレンジ色に染まる世界はゆっくりと夜にのまれていった。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「おかえり龍頭ボス

シュウが家へ戻ると、すでに帰宅しベランダで煙草をふかしていたロクに出迎えられた。シュウはハンギングチェアに腰を下ろすと冷蔵庫から取り出した啤酒ビールを開ける。

イツキとどこ行ってきたの、シュウちゃん」
赤柱スタンレー。めっちゃ暑かった」
「あら素敵」

頬をゆるめるロクシュウは‘そんなことより’とハンギングチェアを漕いだ。

燈瑩トウエイサン何か言ってた?」
「言ってない。てか、言わないよ多分」

あの人そーゆー感じじゃんとロクが口にし、シュウはまた眉間にシワを寄せる。ロクは連日【東風】を訪ねていたものの特に誰も界隈のゴタゴタを気にした素振りは無し、皆いつもと変わらず接してきた。知っていて触れずにいるのではなく、燈瑩トウエイが他の面子メンツへ問題を話していない様子。それを聞き一息ひといき啤酒ビールを飲み干すシュウ

───気に食わない。気が付いたのならぶつかってきたらいいのに、あやすようなやり方しやがって。そう隠さず顔に出すシュウへ、ロク一際ひときわ穏やかな調子で語り掛けた。

シュウちゃんさ…」

そこで一旦区切り、煙を吸い込む。ポウッと煙草の先端が赤く光った。

「このまま、イツキと…仲良く暮らしたらいいんじゃね?」



空気が軋む音がした。



シュウロクめつけ、ロクシュウに首を向ける。視線は重なったものの、その温度には何千度もの差があった。

燈瑩トウエイが対応してきたのはその為でしょ」

微笑んで、白煙と共に言葉を流すロク。城塞のどこかから聴こえてくる二胡の音色は今日も物悲しい。これは…二泉映月。‘二つの泉に映る月’。やり場のない心境、そして、光と憧れを表現した曲。
ロクが耳を傾けていると啤酒ビールの缶をクシャッと潰したシュウが、冗談。と吐き捨てる。

「許せないよ」

低く宵闇に響く声。落ち着いたトーン、しかし激しく燃える炎のように熱をはらんでいる。

「そんなの今迄の僕が許さない。【黑龍】がどうとか誰がどうとかじゃない。僕が、僕を許せないんだよ」

香港の裏通りで膝を抱えて過ごした自分が。食べるものも無く力も無く、なにも無かった自分が。独りほぞを噛み夜を明かした自分が。どんな手段を使ってでものし上がってやると誓った自分が。何もかもを踏み台にしてきた自分が。家族を、世間を、全てを恨んでいた自分が。そうして、積み上げてきた自分が、生きてきたこれまでの自分が───自分を許さないのだ。

「使えるモノは全部使う。最初から言ってるじゃん。なんで今さらそんなこと訊くの?」

焔が揺れた。揺れたのは多分、シュウが気付いたから。ロクとの目的の相違・・・・・に。

ロクは僕の…邪魔するの?」

邪魔をするつもりは無い、ロクは思ったが、シュウにとっては同じだろう。眉を下げ答える。

「俺はシュウが心配なだけ」

余計なことなのかも知れない。かも、ではない、余計だ。ロクとてわかっている。それでも言って聞かせるのはやはり───ここで、シュウを止めない自分を自分が許せないから。
シュウはきっと何人なんびととも相容れない。けれど、もしかしたら…イツキとなら上手くいくかも知れない。‘兄弟’なのだ。他人とは違う。繋がりを見付けてやりたい、その為に九龍に来た。

シュウの返答は無い。月がかげり、暗闇が表情を隠していく。

「ちょっとだけ考えてみてよ。な?」

言いながらロクはもう1度微笑み、夜に溶ける墨色すみいろシュウの髪をクシャッと撫でた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

処理中です...