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倶会一処
蒼天と墨色
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倶会一処11
「あーっつーい!!」
バスから降り立った宗が叫び、両手を頭上に翳す。後ろをついて出てきた樹は中華帽を脱ぎ宗の頭にポスッとかぶせた。
「飲み物でも買おっか」
「炭酸がいい!炭酸!ジンソニックとか!」
「宗、それお酒じゃない?」
早朝から、出掛けずにいるのはもったいないくらいに晴れ渡っていた蒼天。ジメジメした城砦を離れて九龍灣…というのも味気ないので、遊びに来たのは香港島最南端に位置する半島赤柱。中環からバスに揺られて終点で下車、1歩踏み出せばすぐに潮の香りが鼻をくすぐる海の町。昼からアルコールが飲めるオープンテラスのバーやパブも多く、通りは活気に満ち賑わいを見せている。
行き当たりばったりの外出で計画性はゼロ。建ち並ぶマーケットをチラチラ覗きブラブラ歩いた。雑貨やアクセサリー、シルク製品にレース、中国絵画、バスタブに浮かべる玩具、もちろん浮き輪や水着もある。
なんだか不機嫌な表情をした小さな招き猫の群れを見付けた樹は、着物を羽織った1匹を手に取りそのまま購入した。猫への──絶対要らないとわかっているが渡したら渡したで飾ってくれるのもわかっているので──お土産だ。
その隙に宗は宣言どおり‘炭酸ドリンク’を買っていた。ジンソニックではなかったものの嘉士伯、普通に啤酒。お兄ちゃんも飲み物いる?と笑顔で訊かれ樹はショーケースから可樂を出しかけ…ひっこめた。酒、飲んじゃおうか。迷った末に藍冰啤酒をチョイス。
ゆるい坂道をテクテクくだり海岸へ。雑談に次ぐ雑談。
宗は海とかよく行くの?んー、行く機会がそんなに…僕あんまり街中から出なくて…。俺もそう、港の方は結構行くけど。九龍灣?うん…あっでもこの前維多利亞港行った。え、双子のアヒル見に?1匹ペッチャンコに潰れてて双子じゃなかった。ヤバっウケる!帰りに香港散歩したよ、タピオカ飲んだり。じゃ今度は僕がお兄ちゃん案内してあげる、九龍案内してもらってるし!ありがと。
辿り着いたのは人の集まるメインビーチではなく、閑散とした住宅街沿いの浜辺。道中のコンビニで適当に選んだ2本組みの雪糕を半分こし、靴を脱いで海へ向かうと水に足をつける。ひんやりした塩水が肌を包み漣が脛に当たって崩れていった。
青い空と海、白い雲、右手に雪糕で左手には啤酒。贅沢。樹は目を細めキラキラ光る眩しい水面を眺めた。ぬるいそよ風に頬を撫でられ思わず呟く。
「溶けそう」
「え?暑くて?」
「いや、なんか…空気と水に…」
フワフワとした感じ、まぁそれは、ちょっと酒が入っているのもあるか。
樹が言うと、宗は楽しそうに脚でパシャッと水を跳ね上げた。
「海に撒いてもらうのもいいかもね」
死んだらさ。
宗の言葉に樹は振り向いた。遠くを見詰める宗の瞳は何を捉えているのかわからない。それとも何も捉えていないのか。
どこか、なにかが、埋まっていない。そんな雰囲気を宗はふと感じさせる。
自分が欠けた部分を埋めるのだ、などという烏滸がましいことを主張するつもりはないけれど…可能な限り寄り添ってはいたい。何が出来るという事も無いが。考えつつ樹は視線を戻して、海のむこうを見やり肯いた。
「俺もそうしよっかな」
「うん!そうしよ!」
嬉しそうに答える宗。約束!とはにかみ、雪糕を銜えると空いた小指を出した。樹は自分の雪糕を一口で平らげ、空けた小指をその指に絡める。宗が‘お兄ちゃん食べるの早’、とケラケラ笑った。
波打ち際で遊び、砂浜に転がり、露店で駄菓子を買い、他愛もない話を繰り返す。和やかに過ぎる時間。夕陽が水平線の彼方へ落ちていき、オレンジ色に染まる世界はゆっくりと夜にのまれていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「おかえり龍頭」
宗が家へ戻ると、すでに帰宅しベランダで煙草をふかしていた綠に出迎えられた。宗はハンギングチェアに腰を下ろすと冷蔵庫から取り出した啤酒を開ける。
「樹とどこ行ってきたの、宗ちゃん」
「赤柱。めっちゃ暑かった」
「あら素敵」
頬を緩める綠。宗は‘そんなことより’とハンギングチェアを漕いだ。
「燈瑩サン何か言ってた?」
「言ってない。てか、言わないよ多分」
あの人そーゆー感じじゃんと綠が口にし、宗はまた眉間にシワを寄せる。綠は連日【東風】を訪ねていたものの特に誰も界隈のゴタゴタを気にした素振りは無し、皆いつもと変わらず接してきた。知っていて触れずにいるのではなく、燈瑩が他の面子へ問題を話していない様子。それを聞き一息に啤酒を飲み干す宗。
───気に食わない。気が付いたのならぶつかってきたらいいのに、あやすようなやり方しやがって。そう隠さず顔に出す宗へ、綠は一際穏やかな調子で語り掛けた。
「宗ちゃんさ…」
そこで一旦区切り、煙を吸い込む。ポウッと煙草の先端が赤く光った。
「このまま、樹と…仲良く暮らしたらいいんじゃね?」
空気が軋む音がした。
宗が綠を睨めつけ、綠も宗に首を向ける。視線は重なったものの、その温度には何千度もの差があった。
「燈瑩が対応してきたのはその為でしょ」
微笑んで、白煙と共に言葉を流す綠。城塞のどこかから聴こえてくる二胡の音色は今日も物悲しい。これは…二泉映月。‘二つの泉に映る月’。やり場のない心境、そして、光と憧れを表現した曲。
綠が耳を傾けていると啤酒の缶をクシャッと潰した宗が、冗談。と吐き捨てる。
「許せないよ」
低く宵闇に響く声。落ち着いたトーン、しかし激しく燃える炎のように熱を孕んでいる。
「そんなの今迄の僕が許さない。【黑龍】がどうとか誰がどうとかじゃない。僕が、僕を許せないんだよ」
香港の裏通りで膝を抱えて過ごした自分が。食べるものも無く力も無く、なにも無かった自分が。独り臍を噛み夜を明かした自分が。どんな手段を使ってでものし上がってやると誓った自分が。何もかもを踏み台にしてきた自分が。家族を、世間を、全てを恨んでいた自分が。そうして、積み上げてきた自分が、生きてきたこれまでの自分達が───自分を許さないのだ。
「使えるモノは全部使う。最初から言ってるじゃん。なんで今さらそんなこと訊くの?」
焔が揺れた。揺れたのは多分、宗が気付いたから。綠との目的の相違に。
「綠は僕の…邪魔するの?」
邪魔をするつもりは無い、綠は思ったが、宗にとっては同じだろう。眉を下げ答える。
「俺は宗が心配なだけ」
余計なことなのかも知れない。かも、ではない、余計だ。綠とてわかっている。それでも言って聞かせるのはやはり───ここで、宗を止めない自分を自分が許せないから。
宗はきっと何人とも相容れない。けれど、もしかしたら…樹となら上手くいくかも知れない。‘兄弟’なのだ。他人とは違う。繋がりを見付けてやりたい、その為に九龍に来た。
宗の返答は無い。月が翳り、暗闇が表情を隠していく。
「ちょっとだけ考えてみてよ。な?」
言いながら綠はもう1度微笑み、夜に溶ける墨色の宗の髪をクシャッと撫でた。
「あーっつーい!!」
バスから降り立った宗が叫び、両手を頭上に翳す。後ろをついて出てきた樹は中華帽を脱ぎ宗の頭にポスッとかぶせた。
「飲み物でも買おっか」
「炭酸がいい!炭酸!ジンソニックとか!」
「宗、それお酒じゃない?」
早朝から、出掛けずにいるのはもったいないくらいに晴れ渡っていた蒼天。ジメジメした城砦を離れて九龍灣…というのも味気ないので、遊びに来たのは香港島最南端に位置する半島赤柱。中環からバスに揺られて終点で下車、1歩踏み出せばすぐに潮の香りが鼻をくすぐる海の町。昼からアルコールが飲めるオープンテラスのバーやパブも多く、通りは活気に満ち賑わいを見せている。
行き当たりばったりの外出で計画性はゼロ。建ち並ぶマーケットをチラチラ覗きブラブラ歩いた。雑貨やアクセサリー、シルク製品にレース、中国絵画、バスタブに浮かべる玩具、もちろん浮き輪や水着もある。
なんだか不機嫌な表情をした小さな招き猫の群れを見付けた樹は、着物を羽織った1匹を手に取りそのまま購入した。猫への──絶対要らないとわかっているが渡したら渡したで飾ってくれるのもわかっているので──お土産だ。
その隙に宗は宣言どおり‘炭酸ドリンク’を買っていた。ジンソニックではなかったものの嘉士伯、普通に啤酒。お兄ちゃんも飲み物いる?と笑顔で訊かれ樹はショーケースから可樂を出しかけ…ひっこめた。酒、飲んじゃおうか。迷った末に藍冰啤酒をチョイス。
ゆるい坂道をテクテクくだり海岸へ。雑談に次ぐ雑談。
宗は海とかよく行くの?んー、行く機会がそんなに…僕あんまり街中から出なくて…。俺もそう、港の方は結構行くけど。九龍灣?うん…あっでもこの前維多利亞港行った。え、双子のアヒル見に?1匹ペッチャンコに潰れてて双子じゃなかった。ヤバっウケる!帰りに香港散歩したよ、タピオカ飲んだり。じゃ今度は僕がお兄ちゃん案内してあげる、九龍案内してもらってるし!ありがと。
辿り着いたのは人の集まるメインビーチではなく、閑散とした住宅街沿いの浜辺。道中のコンビニで適当に選んだ2本組みの雪糕を半分こし、靴を脱いで海へ向かうと水に足をつける。ひんやりした塩水が肌を包み漣が脛に当たって崩れていった。
青い空と海、白い雲、右手に雪糕で左手には啤酒。贅沢。樹は目を細めキラキラ光る眩しい水面を眺めた。ぬるいそよ風に頬を撫でられ思わず呟く。
「溶けそう」
「え?暑くて?」
「いや、なんか…空気と水に…」
フワフワとした感じ、まぁそれは、ちょっと酒が入っているのもあるか。
樹が言うと、宗は楽しそうに脚でパシャッと水を跳ね上げた。
「海に撒いてもらうのもいいかもね」
死んだらさ。
宗の言葉に樹は振り向いた。遠くを見詰める宗の瞳は何を捉えているのかわからない。それとも何も捉えていないのか。
どこか、なにかが、埋まっていない。そんな雰囲気を宗はふと感じさせる。
自分が欠けた部分を埋めるのだ、などという烏滸がましいことを主張するつもりはないけれど…可能な限り寄り添ってはいたい。何が出来るという事も無いが。考えつつ樹は視線を戻して、海のむこうを見やり肯いた。
「俺もそうしよっかな」
「うん!そうしよ!」
嬉しそうに答える宗。約束!とはにかみ、雪糕を銜えると空いた小指を出した。樹は自分の雪糕を一口で平らげ、空けた小指をその指に絡める。宗が‘お兄ちゃん食べるの早’、とケラケラ笑った。
波打ち際で遊び、砂浜に転がり、露店で駄菓子を買い、他愛もない話を繰り返す。和やかに過ぎる時間。夕陽が水平線の彼方へ落ちていき、オレンジ色に染まる世界はゆっくりと夜にのまれていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「おかえり龍頭」
宗が家へ戻ると、すでに帰宅しベランダで煙草をふかしていた綠に出迎えられた。宗はハンギングチェアに腰を下ろすと冷蔵庫から取り出した啤酒を開ける。
「樹とどこ行ってきたの、宗ちゃん」
「赤柱。めっちゃ暑かった」
「あら素敵」
頬を緩める綠。宗は‘そんなことより’とハンギングチェアを漕いだ。
「燈瑩サン何か言ってた?」
「言ってない。てか、言わないよ多分」
あの人そーゆー感じじゃんと綠が口にし、宗はまた眉間にシワを寄せる。綠は連日【東風】を訪ねていたものの特に誰も界隈のゴタゴタを気にした素振りは無し、皆いつもと変わらず接してきた。知っていて触れずにいるのではなく、燈瑩が他の面子へ問題を話していない様子。それを聞き一息に啤酒を飲み干す宗。
───気に食わない。気が付いたのならぶつかってきたらいいのに、あやすようなやり方しやがって。そう隠さず顔に出す宗へ、綠は一際穏やかな調子で語り掛けた。
「宗ちゃんさ…」
そこで一旦区切り、煙を吸い込む。ポウッと煙草の先端が赤く光った。
「このまま、樹と…仲良く暮らしたらいいんじゃね?」
空気が軋む音がした。
宗が綠を睨めつけ、綠も宗に首を向ける。視線は重なったものの、その温度には何千度もの差があった。
「燈瑩が対応してきたのはその為でしょ」
微笑んで、白煙と共に言葉を流す綠。城塞のどこかから聴こえてくる二胡の音色は今日も物悲しい。これは…二泉映月。‘二つの泉に映る月’。やり場のない心境、そして、光と憧れを表現した曲。
綠が耳を傾けていると啤酒の缶をクシャッと潰した宗が、冗談。と吐き捨てる。
「許せないよ」
低く宵闇に響く声。落ち着いたトーン、しかし激しく燃える炎のように熱を孕んでいる。
「そんなの今迄の僕が許さない。【黑龍】がどうとか誰がどうとかじゃない。僕が、僕を許せないんだよ」
香港の裏通りで膝を抱えて過ごした自分が。食べるものも無く力も無く、なにも無かった自分が。独り臍を噛み夜を明かした自分が。どんな手段を使ってでものし上がってやると誓った自分が。何もかもを踏み台にしてきた自分が。家族を、世間を、全てを恨んでいた自分が。そうして、積み上げてきた自分が、生きてきたこれまでの自分達が───自分を許さないのだ。
「使えるモノは全部使う。最初から言ってるじゃん。なんで今さらそんなこと訊くの?」
焔が揺れた。揺れたのは多分、宗が気付いたから。綠との目的の相違に。
「綠は僕の…邪魔するの?」
邪魔をするつもりは無い、綠は思ったが、宗にとっては同じだろう。眉を下げ答える。
「俺は宗が心配なだけ」
余計なことなのかも知れない。かも、ではない、余計だ。綠とてわかっている。それでも言って聞かせるのはやはり───ここで、宗を止めない自分を自分が許せないから。
宗はきっと何人とも相容れない。けれど、もしかしたら…樹となら上手くいくかも知れない。‘兄弟’なのだ。他人とは違う。繋がりを見付けてやりたい、その為に九龍に来た。
宗の返答は無い。月が翳り、暗闇が表情を隠していく。
「ちょっとだけ考えてみてよ。な?」
言いながら綠はもう1度微笑み、夜に溶ける墨色の宗の髪をクシャッと撫でた。
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