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焦熬投石
焦熬と極彩色・後
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焦熬投石11
生えた傘ごと男を蹴倒し大地を見下ろしていたのは、匠だ。
「匠っ…!!来てくれたの…!?」
「いや、もともと飯食おうとして向かってて───つうか」
匠は寧を捕まえている男へ唸る。
「テメェ…ここには手ぇ出すな、つったろーが…」
知り合いか?推察した大地もそちらに視線をやると、男は2人を見て小馬鹿にしたように嘲笑った。
「なんだよ匠?売れる物は何だって売っぱらってきただろ。今さら善人ヅラすんなよ」
その発言を聞いて思い至る大地。この人、匠の友達だ…小さい頃から、ずっと一緒に育ったっていう…。大地は匠を見上げた。
「違ったじゃん。昔はもっとマシだった。金の為ならなんでもやるなんて、んなことなかったじゃん」
怒りもある。けれどそれ以上に、悲痛な声音で匠が放った。僅かに弱々しい口調なのは理解しているからだ────手遅れだということを。
匠は地面に転がる死体を見やる。知らない顔、そのへんで捕まえた半グレか。儲け話に乗ってくるヤツなら誰でも良かった…仲間でなくとも。あるいは、乗ってくる人間だけを‘仲間’と呼ぶのか。
それならば。自分は、とうに仲間ではないのだろう。
そう考える匠に同調する様に男が言い放つ。
「変われねぇヤツは要らねんだよ」
「変わっちまったのを棚に上げんなよ」
吐き捨てる男にかぶせて返す匠。どうしても交わらない。挑発的な目線が衝突し、火花が散った。
結局、やり直せなかった。当たり前だ、やり直したかったのは自分だけだったんだから。ズルズルズルズルとこんなところまできた。ケリをつけるしかない。
匠は低いトーンで告げる。
「お前とは…やってけねぇから。寧のこと、離せ」
ベタついた、やたらと重さのある風が間を吹き抜けた。匠が握り締める拳に込められた力は尋常ではなく、爪が食い込み、皮膚が裂けかかっているのを大地は見た。迷いや、後悔や、虚しさといった類のものが全て集約された掌。
問答をしても意味が無いと悟った男は盛大に溜め息をつき、寧の首根っこを引っつかむ。
「あっそ。じゃあ用ねーわこんなガキ」
そのまま男は寧を壁際へと思い切り放り投げた。軽い身体は簡単に飛ばされ、コンクリートにぶつかり倒れ込む。かすかな悲鳴。頭を打ったようでなかなか起き上がらない、擦れた額から赤い液体が流れ出した。匠が叫ぶ。
「寧!!」
瞬間。大地は、全身の血液が逆流するのを感じた。
視界の端に、寧に駆け寄る匠と懐から拳銃を取り出す男が入る。それを横目に大地も落ちていた拳銃を拾った。
使い方はわかる、いや使い方も何も無いか、引き金をひけばいいんでしょ?撃って当てればいいんだ。簡単だ。当たらなければ当たるまで撃つ。全弾撃つ。匠の友達?わかってる。わかってるけど、こうなってしまったらもはや敵だろう?許せない、あいつ、あいつ─────絶対に。
男が狙いを匠と寧へ定め、大地も狙いを男へ定めた。トリガーへ指を伸ばす。
────カンッと金属音がして、大地の手にあったピストルへと何かがぶつかった。衝撃で銃を取り落とす大地。
同時に頭上から降ってきた樹が男を地面に沈めた。その肩越しに見える路地の奥には東、銃を弾いたのは東が投げたブロックの破片らしい。
「どうする?」
周囲を一瞥して状況を把握すると、樹は寧を抱きかかえる匠へと平坦に質問。匠は眉間にシワをよせ、固く瞼を瞑って逡巡したのち、苦しそうに声を絞り出す。
「……1回だけ」
1回だけ。
「……見逃してくれねぇかな……?」
────甘い。
自分で言っておいて、その甘さに匠は辟易した。見逃すなど馬鹿にも程がある。そもそもこの男、だいぶ前からこちらを殺す気でいた筈だし、寧にだって怪我をさせてしまった。こんなんじゃ命がいくつあっても足りない。
さりとて、道を違えても裏切られても…仲間だったから。誰も居ない。こいつが、最後の1人。
東は瞳を細めた。1人だけ残った同胞、庇いたい気持ちはよくわかる。掛けられる言葉がなかった。
責任はとる、とるから、頼む。そう言って匠が噛み締める唇にはうっすら血が滲んでいた。
「…だからお前は駄目だっつんだよ、匠」
樹の下、男が台詞と共に上体を起こしつつ再度ピストルを持ち上げる。その銃口が匠に向いて弾丸が発射されるより早く男の首に足をかけた樹は、刹那、なにかを確認するかのように匠へ目配せをした。
止める間は有った。ほんの一瞬、確実に。だが─────
もう理由が無かった。
ゴキンと鈍い音が聞こえ、動かなくなる男。
しばし静寂が辺りを包む。樹は大地に歩み寄ると目の前にしゃがみ込み、拳銃を取り落としたまま固まっている両手を自分の両手でそっと握った。揺れる瞳孔を捉えゆっくりと語る。
「…大地の仕事じゃ、無い」
もしこの魔窟において純粋に生きられるのであれば。そう在れているのであれば。
皆、その光を護りたいと思っている。
東や燈瑩、猫だって同じだ。きっとそんなことは余計なお世話で、ただのエゴかも知れないが、それでも。
想いを汲み取った大地が、眉を下げ手を握り返す。樹は腕を引いて立ち上がらせ、今度は匠と寧に歩み寄った。傍らに膝をつく。
ごめん、と匠が零す。樹は口を開いて何かを言いかけ───何も言わず閉じた。
匠が謝るような事ではない、しかしまた、樹が謝るような事でもなかった。
ここは九龍だ。誰もがそれを承知している。
樹は寧を横抱きにして腰を上げると、倒れている男をチラリと見た。樹が問うより先に、‘後は俺がやる’と発する匠。うつむいていて表情は察せない。大地は申し訳なさそうに目を伏せ、東も押し黙ったまま、その場を離れようとした時。
「匠さん」
寧が名前を呼んだ。
匠は顔を上げ寧を見る。そこから先の言葉は続かなかったが、額の傷をおさえる小さな手の下、寧の双眸に宿っていた色は────憤懣でも批難でも無い。
短い沈黙の後、フッと笑んだ匠が掠れた声で発した。
「…またな」
約束というには限りなく不確か。けれど寧は、匠を真っ直ぐ見据え、力強く頷いた。
生えた傘ごと男を蹴倒し大地を見下ろしていたのは、匠だ。
「匠っ…!!来てくれたの…!?」
「いや、もともと飯食おうとして向かってて───つうか」
匠は寧を捕まえている男へ唸る。
「テメェ…ここには手ぇ出すな、つったろーが…」
知り合いか?推察した大地もそちらに視線をやると、男は2人を見て小馬鹿にしたように嘲笑った。
「なんだよ匠?売れる物は何だって売っぱらってきただろ。今さら善人ヅラすんなよ」
その発言を聞いて思い至る大地。この人、匠の友達だ…小さい頃から、ずっと一緒に育ったっていう…。大地は匠を見上げた。
「違ったじゃん。昔はもっとマシだった。金の為ならなんでもやるなんて、んなことなかったじゃん」
怒りもある。けれどそれ以上に、悲痛な声音で匠が放った。僅かに弱々しい口調なのは理解しているからだ────手遅れだということを。
匠は地面に転がる死体を見やる。知らない顔、そのへんで捕まえた半グレか。儲け話に乗ってくるヤツなら誰でも良かった…仲間でなくとも。あるいは、乗ってくる人間だけを‘仲間’と呼ぶのか。
それならば。自分は、とうに仲間ではないのだろう。
そう考える匠に同調する様に男が言い放つ。
「変われねぇヤツは要らねんだよ」
「変わっちまったのを棚に上げんなよ」
吐き捨てる男にかぶせて返す匠。どうしても交わらない。挑発的な目線が衝突し、火花が散った。
結局、やり直せなかった。当たり前だ、やり直したかったのは自分だけだったんだから。ズルズルズルズルとこんなところまできた。ケリをつけるしかない。
匠は低いトーンで告げる。
「お前とは…やってけねぇから。寧のこと、離せ」
ベタついた、やたらと重さのある風が間を吹き抜けた。匠が握り締める拳に込められた力は尋常ではなく、爪が食い込み、皮膚が裂けかかっているのを大地は見た。迷いや、後悔や、虚しさといった類のものが全て集約された掌。
問答をしても意味が無いと悟った男は盛大に溜め息をつき、寧の首根っこを引っつかむ。
「あっそ。じゃあ用ねーわこんなガキ」
そのまま男は寧を壁際へと思い切り放り投げた。軽い身体は簡単に飛ばされ、コンクリートにぶつかり倒れ込む。かすかな悲鳴。頭を打ったようでなかなか起き上がらない、擦れた額から赤い液体が流れ出した。匠が叫ぶ。
「寧!!」
瞬間。大地は、全身の血液が逆流するのを感じた。
視界の端に、寧に駆け寄る匠と懐から拳銃を取り出す男が入る。それを横目に大地も落ちていた拳銃を拾った。
使い方はわかる、いや使い方も何も無いか、引き金をひけばいいんでしょ?撃って当てればいいんだ。簡単だ。当たらなければ当たるまで撃つ。全弾撃つ。匠の友達?わかってる。わかってるけど、こうなってしまったらもはや敵だろう?許せない、あいつ、あいつ─────絶対に。
男が狙いを匠と寧へ定め、大地も狙いを男へ定めた。トリガーへ指を伸ばす。
────カンッと金属音がして、大地の手にあったピストルへと何かがぶつかった。衝撃で銃を取り落とす大地。
同時に頭上から降ってきた樹が男を地面に沈めた。その肩越しに見える路地の奥には東、銃を弾いたのは東が投げたブロックの破片らしい。
「どうする?」
周囲を一瞥して状況を把握すると、樹は寧を抱きかかえる匠へと平坦に質問。匠は眉間にシワをよせ、固く瞼を瞑って逡巡したのち、苦しそうに声を絞り出す。
「……1回だけ」
1回だけ。
「……見逃してくれねぇかな……?」
────甘い。
自分で言っておいて、その甘さに匠は辟易した。見逃すなど馬鹿にも程がある。そもそもこの男、だいぶ前からこちらを殺す気でいた筈だし、寧にだって怪我をさせてしまった。こんなんじゃ命がいくつあっても足りない。
さりとて、道を違えても裏切られても…仲間だったから。誰も居ない。こいつが、最後の1人。
東は瞳を細めた。1人だけ残った同胞、庇いたい気持ちはよくわかる。掛けられる言葉がなかった。
責任はとる、とるから、頼む。そう言って匠が噛み締める唇にはうっすら血が滲んでいた。
「…だからお前は駄目だっつんだよ、匠」
樹の下、男が台詞と共に上体を起こしつつ再度ピストルを持ち上げる。その銃口が匠に向いて弾丸が発射されるより早く男の首に足をかけた樹は、刹那、なにかを確認するかのように匠へ目配せをした。
止める間は有った。ほんの一瞬、確実に。だが─────
もう理由が無かった。
ゴキンと鈍い音が聞こえ、動かなくなる男。
しばし静寂が辺りを包む。樹は大地に歩み寄ると目の前にしゃがみ込み、拳銃を取り落としたまま固まっている両手を自分の両手でそっと握った。揺れる瞳孔を捉えゆっくりと語る。
「…大地の仕事じゃ、無い」
もしこの魔窟において純粋に生きられるのであれば。そう在れているのであれば。
皆、その光を護りたいと思っている。
東や燈瑩、猫だって同じだ。きっとそんなことは余計なお世話で、ただのエゴかも知れないが、それでも。
想いを汲み取った大地が、眉を下げ手を握り返す。樹は腕を引いて立ち上がらせ、今度は匠と寧に歩み寄った。傍らに膝をつく。
ごめん、と匠が零す。樹は口を開いて何かを言いかけ───何も言わず閉じた。
匠が謝るような事ではない、しかしまた、樹が謝るような事でもなかった。
ここは九龍だ。誰もがそれを承知している。
樹は寧を横抱きにして腰を上げると、倒れている男をチラリと見た。樹が問うより先に、‘後は俺がやる’と発する匠。うつむいていて表情は察せない。大地は申し訳なさそうに目を伏せ、東も押し黙ったまま、その場を離れようとした時。
「匠さん」
寧が名前を呼んだ。
匠は顔を上げ寧を見る。そこから先の言葉は続かなかったが、額の傷をおさえる小さな手の下、寧の双眸に宿っていた色は────憤懣でも批難でも無い。
短い沈黙の後、フッと笑んだ匠が掠れた声で発した。
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