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焦熬投石
焦熬と極彩色・前
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焦熬投石10
どんよりとした空。本日も九龍城は湿度100%、陽の光も届かずまるで海底。住人達は入り組んだ路地を深海魚さながら感覚だけで泳ぎ回る。漂う腐肉臭、他の魚の泳ぐ音。
樹は繰り返し放送されるテレビの天気予報を眺めつつ、凍檸檬茶を喉に流した。‘洗濯は午前中に!午後はスコールの予想です’。
「もー、キノコ生えちゃう」
ニュースキャスターのアドバイス通り洗濯物を早めに取り込んだ東が、まだ湿っている服を適当に並べ口を尖らせる。乾いたシャツを畳むのを手伝う樹。と、パーカーのポケットから一緒に洗われてしまったらしき極彩色の紙が出てきた。くちゃくちゃになった塊は、先日のライブハウスでのイベントチケット。ところどころ洗剤で色が抜けている。
「匠、どうするのかな」
樹は丸まったチケットを指でつつく。友人のことやトラブルのこと───事情を小耳に挟んだ東から、いくらか話を聞いていた。
「んー…どうだろうねぇ…」
そこかしこの家具に洗濯物を引っ掛けながら曖昧に東が返す。
樹は半券を広げてみた。シワクチャで印刷も薄くなった紙は元には戻らないものの、描かれているヘッドフォンをかぶった招き猫のイラストはまだ可愛らしいままだ。
「東だったらどうする?」
仲間と食い違い、衝突してしまったら。
樹の質問に東は藍漣を思い出す。一瞬、猫とコトを構えるのかと緊張が走った時。匠ほどの状況では無いにしろ、腕の1本くらいは失くす覚悟をした。それは‘どちらも守りたい’と思ったからだ。欲張りだとしても。
「俺は…精一杯、やれることやるかしら。最後まで。ちゃんと守れるように」
続けざまに、まぁ無理なんだけど!弱いから!と嘆いて、東はムンッと唇を引き結ぶ。しかし樹はそれなりに納得した様子で言葉を紡いだ。
「そっか。そしたらその時は、手伝うよ」
出来る限り良い結果に導けるように。望んだ通りには行かずとも最善を尽くせるように。
頼もしいわねと東が笑い、そう?と樹は首を傾げた。
手元の洗濯物はちゃくちゃくと数を減らし、樹は最後の1枚をパンッとはたいてシワを伸ばす。Tシャツはそれなりに張りを取り戻して、ふんわりと舞う洗剤の香り。
「おっし、んじゃ行こっか。大地と寧が待ってるんでしょ?」
言って、店の鍵束をジャラジャラと回す東。今日は新作のデザートを用意したという蓮のところで昼食を食べる予定だ。樹は頷き、帽子をかぶって靴を突っかける。
雑談を交わしつつ、2人は【東風】をあとにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「蓮ってしょっちゅう新作つくってるよね。よくあんなに思い付くなぁ」
「けど…毎回ちゃんと美味しい、から…」
「それは間違いない」
大地がシシッと笑うと寧もクスリと唇の端を上げる。
蓮からの連絡を受けて、大地は休日で手持ち無沙汰にしていた寧を家まで迎えに行った。たわいもない話をし歩く裏通り、食肆まではもう数分。時間もピッタリでランチタイムにちょうどいい。
「あと、誰が来るのかな」
「樹と東が来るって言ってたよ」
寧の疑問に大地は答えたが、ふと気がつき、匠はわかんない。呼ぶ?と付け足した。
「や、いいよ、そんな…迷惑だもん、いつもいつも…」
「でも呼びたいんでしょ?」
「呼び、た…うーん…」
言い淀む寧。音楽の話は、したいけど。そう小さく聞こえたので、大地は素早く匠へ微信を送信した。
「うわ、い、いいってば!送っちゃったの!?私、鬱陶しくないかなぁ!?」
「呼んだの俺なんだから平気だよ」
焦る寧、珍しく大声。大地は笑ってその肩を叩く。
「俺めちゃくちゃ嬉しいんだよ、寧が好きな物、見付けたこと。だから応援したいの」
別に俺が何か出来てる訳じゃないんだけどとはにかむ大地へ、そんなことないと寧は首を横に振った。それから消え入りそうに呟く。
「あの、今…匠さんと、作ってる曲、あって。完成したら、大地に1番に聴かせるね」
「ほんと?やりぃ♪」
満面の笑みを見せる大地に寧も恥ずかしそうに微笑み返した。その時。
物陰から現れた男が、突如として立ち塞がり行く手を阻む。
大地は咄嗟に寧を自分の背中側へと隠したが、後ろから来ていたもう1人が寧の肩を押さえた。正面の男は大地を見るやニヤニヤと愉しそうな表情。
「ほんとだ。可愛いじゃん」
「だろ?こっちもそこそこ値段いくかもな、女だし」
下卑た目つきで勝手に値踏みし始める男達。
‘ほんとだ’ってなんだ?訝しんだのも束の間、腕を引っ張られて寧との距離が開き、大地は慌てて男を振り払おうと身体をバタつかせた。
「放せよ!!」
暴れた拍子にゴンッ、と顎に頭突きがキマり男がよろめく。その隙に寧へ走ろうとするもシャツを掴まれ地面に倒された。怒号が響き向けられる拳銃、大地は男をキッと睨む。
こんな白昼堂々、誘拐犯が出るなんて…油断した。どうにかしなきゃ、どうしたらいい、どうしたら、寧が───…
「何してんだよ」
脇の小径から耳慣れた声が聞こえたのと、男の頭に尖った傘の先が突き刺さるのは、殆んど同じタイミングだった。
どんよりとした空。本日も九龍城は湿度100%、陽の光も届かずまるで海底。住人達は入り組んだ路地を深海魚さながら感覚だけで泳ぎ回る。漂う腐肉臭、他の魚の泳ぐ音。
樹は繰り返し放送されるテレビの天気予報を眺めつつ、凍檸檬茶を喉に流した。‘洗濯は午前中に!午後はスコールの予想です’。
「もー、キノコ生えちゃう」
ニュースキャスターのアドバイス通り洗濯物を早めに取り込んだ東が、まだ湿っている服を適当に並べ口を尖らせる。乾いたシャツを畳むのを手伝う樹。と、パーカーのポケットから一緒に洗われてしまったらしき極彩色の紙が出てきた。くちゃくちゃになった塊は、先日のライブハウスでのイベントチケット。ところどころ洗剤で色が抜けている。
「匠、どうするのかな」
樹は丸まったチケットを指でつつく。友人のことやトラブルのこと───事情を小耳に挟んだ東から、いくらか話を聞いていた。
「んー…どうだろうねぇ…」
そこかしこの家具に洗濯物を引っ掛けながら曖昧に東が返す。
樹は半券を広げてみた。シワクチャで印刷も薄くなった紙は元には戻らないものの、描かれているヘッドフォンをかぶった招き猫のイラストはまだ可愛らしいままだ。
「東だったらどうする?」
仲間と食い違い、衝突してしまったら。
樹の質問に東は藍漣を思い出す。一瞬、猫とコトを構えるのかと緊張が走った時。匠ほどの状況では無いにしろ、腕の1本くらいは失くす覚悟をした。それは‘どちらも守りたい’と思ったからだ。欲張りだとしても。
「俺は…精一杯、やれることやるかしら。最後まで。ちゃんと守れるように」
続けざまに、まぁ無理なんだけど!弱いから!と嘆いて、東はムンッと唇を引き結ぶ。しかし樹はそれなりに納得した様子で言葉を紡いだ。
「そっか。そしたらその時は、手伝うよ」
出来る限り良い結果に導けるように。望んだ通りには行かずとも最善を尽くせるように。
頼もしいわねと東が笑い、そう?と樹は首を傾げた。
手元の洗濯物はちゃくちゃくと数を減らし、樹は最後の1枚をパンッとはたいてシワを伸ばす。Tシャツはそれなりに張りを取り戻して、ふんわりと舞う洗剤の香り。
「おっし、んじゃ行こっか。大地と寧が待ってるんでしょ?」
言って、店の鍵束をジャラジャラと回す東。今日は新作のデザートを用意したという蓮のところで昼食を食べる予定だ。樹は頷き、帽子をかぶって靴を突っかける。
雑談を交わしつつ、2人は【東風】をあとにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「蓮ってしょっちゅう新作つくってるよね。よくあんなに思い付くなぁ」
「けど…毎回ちゃんと美味しい、から…」
「それは間違いない」
大地がシシッと笑うと寧もクスリと唇の端を上げる。
蓮からの連絡を受けて、大地は休日で手持ち無沙汰にしていた寧を家まで迎えに行った。たわいもない話をし歩く裏通り、食肆まではもう数分。時間もピッタリでランチタイムにちょうどいい。
「あと、誰が来るのかな」
「樹と東が来るって言ってたよ」
寧の疑問に大地は答えたが、ふと気がつき、匠はわかんない。呼ぶ?と付け足した。
「や、いいよ、そんな…迷惑だもん、いつもいつも…」
「でも呼びたいんでしょ?」
「呼び、た…うーん…」
言い淀む寧。音楽の話は、したいけど。そう小さく聞こえたので、大地は素早く匠へ微信を送信した。
「うわ、い、いいってば!送っちゃったの!?私、鬱陶しくないかなぁ!?」
「呼んだの俺なんだから平気だよ」
焦る寧、珍しく大声。大地は笑ってその肩を叩く。
「俺めちゃくちゃ嬉しいんだよ、寧が好きな物、見付けたこと。だから応援したいの」
別に俺が何か出来てる訳じゃないんだけどとはにかむ大地へ、そんなことないと寧は首を横に振った。それから消え入りそうに呟く。
「あの、今…匠さんと、作ってる曲、あって。完成したら、大地に1番に聴かせるね」
「ほんと?やりぃ♪」
満面の笑みを見せる大地に寧も恥ずかしそうに微笑み返した。その時。
物陰から現れた男が、突如として立ち塞がり行く手を阻む。
大地は咄嗟に寧を自分の背中側へと隠したが、後ろから来ていたもう1人が寧の肩を押さえた。正面の男は大地を見るやニヤニヤと愉しそうな表情。
「ほんとだ。可愛いじゃん」
「だろ?こっちもそこそこ値段いくかもな、女だし」
下卑た目つきで勝手に値踏みし始める男達。
‘ほんとだ’ってなんだ?訝しんだのも束の間、腕を引っ張られて寧との距離が開き、大地は慌てて男を振り払おうと身体をバタつかせた。
「放せよ!!」
暴れた拍子にゴンッ、と顎に頭突きがキマり男がよろめく。その隙に寧へ走ろうとするもシャツを掴まれ地面に倒された。怒号が響き向けられる拳銃、大地は男をキッと睨む。
こんな白昼堂々、誘拐犯が出るなんて…油断した。どうにかしなきゃ、どうしたらいい、どうしたら、寧が───…
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