九龍懐古

カロン

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焦熬投石

層層疊とスコール・前

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焦熬投石8





「全然足りねぇな」

廃倉庫、テーブル上の金を勘定しながら独りごちる男。そんだけあって何が足りねぇんだとタクミは思ったが、黙って窓ガラスの向こうを眺め煙草をふかす。

前回の集合から大した日数は過ぎていない。あの時の分もまだあるはずだ、生活には支障が出ないだろう。一体何をそんなに…いや、愚問だな。仕入れにパイプ作りに根回しの賄賂わいろ、フィールドを拡大しようとすれば金はいくらあっても困らない。
そんなことをぼんやり考えつつ灰を落とすタクミへ、男が声を掛ける。

タクミ、最近仲良くしてるガキが居るよな」



─────どこから聞いた?



「…だから?」

予想だにしない質問に明らかに気分を害し、荒っぽい雰囲気で返答するタクミ。男は笑い、怒るなよと軽口。
ガキとは恐らくネイ大地ダイチ。クラブに遊びに来ているのを知ったのか?裏の人間が子供を狙う理由などひとつだけ…案の定、男はテンプレートな言葉を発する。

「金になんのか?」

売れるのか、という意味。

「なんねぇよ。お前ら手ぇ出すなよ」

金なら薬バラまいて持って来てやってんだろとタクミすごむ。とはいえ大きな取り引きに参加している訳でもないので動く額はたいしたことはないし、人をポンポン売り払って得る収入と比べたら微々たる物ではあるけれど。

会話はそこで途切れるも、室内には、険悪な空気が漂っていた。タクミは時計を見る。早目に此処を立ち去りたいがまだメンバーが揃っていない…根本まで燃えた煙草を足元に捨て、新しいものをくわえ疑問を投げた。

「つうかアイツ来ねぇじゃん」
「死んだ」
「は?」

男の短い返答に目を見開くタクミ。火を点ける前の煙草が唇からこぼれ、床を転がった。道理で来ないはずだ…もうこの世に居ないのだから。
話によると、どうやら大陸系マフィアの薬物取引に首を突っ込んで覚醒剤をパクろうとしたらしい。末端価格30万香港ドル。大層な桁だが、死ぬ価値は無い額。

悲しいというより────どうしてだという気持ちと喪失感が去来する。怒りは特に沸きはしなかった。
男は割合と静かに語るがかたわらにいるもう1人の仲間は違ったようで、そのうち報復をしに行くと息巻いている。タクミは首を横に振った。

「やめとけよ。俺達こっちが手ぇ出したんだろ」
「あぁ!?ヌカすなや、ブッとばすぞタクミ
「ブッとばせば?好きにしろよ」
「テメェがチェンウー死んだあとネタ持って来ねぇせいで、アイツがヤクりに行ったんじゃねーか」
「逆恨みすんな。俺は山茶花カメリアん時から反対してたじゃん」

口論に沸騰した男の拳が飛んでくる。避ける気はなかったタクミは普通に横面よこつらに喰らった。頬の内側が切れ、口内に鉄の味が広がる。

「ウゼェよおまえ。いちいちくだらねぇこと言いやがって、テメェみてーのが居るからガタつくんだよ。やっぱり───」



‘こんなヤツっときゃよかったんだ’。




言葉にこそしていなかったが。
感じ取るのは簡単だった。


邪魔だと思われているのはタクミも気づいていた、気づかないほど短い付き合いではない。短い付き合いではない────だからこそ、気づいていても、此処に居るのだが。

頭に血をのぼらせる仲間を、金を数え終わった男がなだめて分け前を渡した。なだめて、といってもどの道、タクミうとましく思っているのはこの男も同じ。倉庫から出て行く2人の背中を見送ったタクミは、ソファの上で膝を抱える。口元を袖でこすると白いシャツに赤黒いシミが出来た。

違和感は拭えなかった。かなり前からほころんでいた。どちらが正しいなどとはこの街では言えたものではない、悪事はであり、正義はであり、その逆もまたしかりで、全ては混沌の中。誰しも自分の信じる生き方を信じるしか無い。食い違いは仕様のないことだった。

既に、取り返しのつかない所まで来ている。それでも、これまで支え合っていた日々が、今も居場所である事実が、足を絡め取り縛り付けた。
どうにか、まだ、もしかしたら…やり直せるんじゃないか?そんな願いがタクミの頭をひたすら占めていた。

けれど───願いは、願いに過ぎない。叶えることは難しい。魔窟であれば、尚のこと。





何の音沙汰も無く数日が経ち。





ふいにタクミの携帯が震える。

画面を見ずとも、どうしてかタクミには、連絡の内容に確信があった。ボイスメッセージ。躊躇ためらう様に液晶の上をフラつく親指に言うことを聞かせ、再生ボタンを押す。電話口の男は乾いた声で笑った。


〈死んだよ、アイツも。これでもう俺達だけになっちまったな〉


聴いて、タクミはあの時に殴られた頬をさする。人のこと殴るだけ殴って死にやがって。勝手な奴だ。勝手で、無鉄砲で────…





水滴が指先を濡らす。その日も、九龍を覆う分厚く重い灰色のカーテンから、生温い雨は止まずに降り続いていた。
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