九龍懐古

日常茶飯

艇仔粥と九龍散歩・後

日常茶飯２





「ジジィが送って来てな。キャストにはもう配ったから残りは持ってけよ」

猫マオが部屋の隅の段ボールを指差す。中には樹イツキに寄越した物と同じクッキー缶がいくつも入れられていた。
ジジィとは香港に居る元【酔蝶】のオーナーの事で、孤児院で祝日などに配布するお菓子を購入した際にこうして猫マオにもお裾分けしてくれるらしい。テメェの息子ガキじゃねぇっつのと猫マオはボヤくが、表情は満更でも無さそうである。樹イツキがありがとうと礼を言えば、猫マオ様優しいからねと城主は欠伸した。

いくらか雑談を交わし、樹イツキは暗くなる頃に花街をあとにする。行きと同じく屋上から屋上へ。街のネオンや家の明かりが輝き華やかに彩られる城塞、東洋の魔窟などと呼ばれ全く否定も出来ないが、なんだかんだで綺麗だよなと思いつつ夜景を楽しむ帰り道。

【東風】の扉を開けるやいなや良い匂いが鼻をくすぐる。東アズマが夕飯を作りはじめていた。

「おかえり、ご飯屋さんどうだった？」
「美味しかった。大地ダイチと燈瑩トウエイが居た」

台所から響く東アズマの声に返事をしつつ、樹イツキは猫マオから貰った曲奇クッキーを棚のはじっこによける。まだ手を付けてはいけない、我慢して食後のデザートにするのだ。

本日の料理は余り物食材のごった煮生滾粥。お粥三昧の１日、これはこれで贅沢。テレビを観賞しながら食卓を囲んでいたら画面に陽ヨウが映った。化粧品のＣＭ、赤いアイシャドウに赤い口紅がよく似合っていて色っぽい。上カムラが見たら倒れるんじゃなかろうかと樹イツキが思っていると、横で東アズマが‘上カムラが見たら倒れんじゃねーの’と言った。
粥をペロッと平らげて満足気な樹イツキは例の曲奇クッキーをいそいそと持ち出す。東アズマがあら素敵、どなたから頂いたのと茶化した。

「猫マオから貰った」
「えっ、猫マオから！？会ったの！？」

途端に焦る東アズマ。そういえば、他にも何かを預かった気がする…樹イツキはポケットをまさぐった。クシャクシャの紙切れが１枚。

「忘れてた、東アズマにこの紙───…」

言い終わるより先にバンッと入口のドアが開く音がして、飛んできた物体が樹イツキの手から紙を巻き上げ東アズマの額ひたいにヒットした。


下駄だ。


東アズマが椅子から転がり落ちる。樹イツキがヒラヒラと宙を舞う紙に視線をやると、丸っこい字で数字が羅列してあった。なるほど…請求書だったか…納得する樹イツキの傍そばを猫マオがズカズカと通り過ぎ、空いた椅子へドカッと座って足元の東アズマを踏んだ。

「金」
「無いです」

端的に要求する猫マオに短く答える東アズマ。昼間競馬負けたんだよと樹イツキが口を挟めば驚いた東アズマが何で知ってるの！？と起き上がりかけたが、猫マオに再び秒速で踏まれた。

「テメェが勝ったか負けたかは関係ねぇな」

ドスのきいた声で吐き捨てる猫マオに米無しでは飯は炊けないと東アズマは抗議したものの、米が無ねぇのはテメェのせいだろと一蹴される。
モシャモシャと曲奇クッキーを口に含んでそれを眺めていた樹イツキだが、お腹がいっぱいで眠くなってきた。俺先に寝るねと席を立つと置いていくなと懇願する東アズマに足首を掴まれたが、その手をまた猫マオが踏んでくれたので無事に寝室へと引っ込むことに成功。

シャワーと歯磨きしなきゃな、でも眠いな、仮眠してからでいいかな、寝たら起きない気もするな…ベッドに倒れ込んでうつらうつらと考える。
明日は尖沙咀チムサーチョイに行こうかな。あの曲奇クッキーを食べたら他のお店の新作も気になってきてしまった。けど順光楼にできた班戟クレープ屋もいいな、あそこなら遠くないし、学校帰りの大地ダイチを誘っ…て……。

部屋を抜ける生温なまぬるい夜風。ガシャンパリンドゴッと店内から聞こえる騒音をＢＧＭに、枕に顔を埋めて、樹イツキは目を閉じた。