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千錯万綜
茶煙草と明け透け・前
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千錯万綜12
そこから幾日か続いた落ち着いた生活、目新しいニュースは【東風】に電気ケトルが復活したことか。混乱が落ち着くまで飲み歩くのを自重しろと東に言われた藍漣が意外に素直に家に居るようになったので、お茶やお菓子を楽しむ機会が増えたせいだ。
それに伴い買い集めた工芸茶のストックで華やいでいく戸棚、どんどん場所を占拠していく花茶。だが東もまた、それを見て悪い気はしていなかった。
これといったトラブルも無く、襲撃も無く──街中ではもちろん死体が量産されていたけれど──もはや次代角頭の就任を待つばかりかと思われた。
影を落としたのは、前触れなく上に入った一報。‘情報を売って欲しい’との内容で、よくある頼み事だが、報酬が異様に高額だったのだ。
「誰からの依頼なの?」
「それがな、あんまよぉわからんねん」
今日も今日とて【東風】に集まったメンバー達は、上の話に耳を傾ける。
依頼主は聞き慣れない名前のグループ。ここ最近で結成されたものか?にしては随分金がある…どこか大手からの枝分かれ、もしくは実体を偽っているという見解が有力か。
欲しがっている情報も‘九龍の内情’などと大雑把。けれどそんなもの、そこら辺を歩いていれば誰にだってわかる。治安の問題で歩きたくないのかも知れないが、わざわざ情報屋に大金を払って接触してくるような輩が治安悪化に怯える一般人の可能性は低い。怪しい依頼主とは出来れば会いたくないものだが…うーんと頭を捻る上。
「行かなくていいよ」
ふいに聞こえたその声の方向に全員が顔を向けると、視線の先、カウンターのスツールに腰掛ける藍漣が上を見詰めていた。
「そいつら、【神豹】の系列のクソみてぇな奴らだよ。行ったら情報吐こうが吐くまいが上死ぬぜ」
九龍城砦の現状は把握したうえで連絡してきているはず、すると狙いは別の処、上自身かもしくはその周辺に居る誰か…そして用が済んだら生きて返すつもりはない、あいつらはそういうグループだと藍漣。
「【神豹】ってどこの人達なの?」
無邪気に尋ねる大地に藍漣はフッと笑って、数秒沈黙し、上海だよと答えた。
──────おかしい。
薄々感じていた違和感がハッキリと輪郭を形造る。壁際で煙草を吸っていた燈瑩が窺う様に目線を向けてきたのを東は見逃さなかったが、それより早く、斜め向かいの椅子で酒をあおっていた猫が口を開いた。
「藍漣なんで最初嘘ついた?」
質問は端的だったが、完璧に的を射ていた、つまり───東や樹と出会った際。城内の情勢を知らないのかと訊いた東に、藍漣は知らないと答えた。
しかしそれは嘘なのだ。先日樹が倒した男達は中国──今思えば訛りが上海だった──から来ていたし、今回上に接触してきた人物も上海。ならばその周辺の半グレ連中の耳にも九龍の現在状況は入っているという事。上海の裏社会で生きている藍漣が‘知らない’はずはなかった。
猫が背もたれに重心をかけ、傾いた椅子の前脚が浮く。ギッ、と小さく音が鳴り、空気がピリついた。
これは…ちょっと、風向きが良くない。東はカウンターに頬杖をついたまま考えを巡らせたが、すぐに藍漣のカラッとした声が届く。
「どうしようか迷ってたから」
質問に対して紛れもない肯定の台詞ではあるものの、その雰囲気には重苦しさも後ろめたさもなかった。事実を隠したり取り繕ったりするつもりがなさそうだ。
「ぁんだよ迷ってたって。お前、俺のあともツケてたろ」
藍漣の毒気のない声音に猫は体勢を崩し、呆れたようにため息。場が和らぎホッとした東の様子を感じ取った藍漣はカウンター越しに少しだけ東に身体を寄せ、形のいい唇の端を上げる。
「ツケてた。九龍の事もそうだけど、みんなの事も知りたかったからさぁ」
藍漣が夕飯のあとに消えていた理由。猫の動向を探っていたのだ、そして、チンピラ達を薙ぎ倒す姿を陰から見ていた───あん時の茉莉花そいつの匂いかと猫が藍漣の煙草を顎で指す。
路地裏で蓮を助けに入って猫を呼び出した折、‘この前みたいに’と発言したのはそのせいだった。もちろん蓮の近くに居たのだって偶然ではない。
「藍漣はどうして九龍来たの?合梨会がバタバタ死んでるけど、そのあたりの関係?」
燈瑩が煙を吹きつつ問えば藍漣は違う違うと掌をパタつかせ、そりゃ河南省の連中の仕業だろ?合梨会は鶏に手ぇ出し過ぎなんだと言って渋い顔をした。
市場を押さえて九龍城砦への流通価格を高騰させるだけでは飽き足らず、仕入れ先にまで迷惑をかけているのか…河南省は河南省で幅を利かせている組織がある、シノギの関係などで抗争になるのも尤もだ。
と、笑顔でピッと樹を指差す藍漣。
「ウチが殺りに来たのは───樹だよ」
そこから幾日か続いた落ち着いた生活、目新しいニュースは【東風】に電気ケトルが復活したことか。混乱が落ち着くまで飲み歩くのを自重しろと東に言われた藍漣が意外に素直に家に居るようになったので、お茶やお菓子を楽しむ機会が増えたせいだ。
それに伴い買い集めた工芸茶のストックで華やいでいく戸棚、どんどん場所を占拠していく花茶。だが東もまた、それを見て悪い気はしていなかった。
これといったトラブルも無く、襲撃も無く──街中ではもちろん死体が量産されていたけれど──もはや次代角頭の就任を待つばかりかと思われた。
影を落としたのは、前触れなく上に入った一報。‘情報を売って欲しい’との内容で、よくある頼み事だが、報酬が異様に高額だったのだ。
「誰からの依頼なの?」
「それがな、あんまよぉわからんねん」
今日も今日とて【東風】に集まったメンバー達は、上の話に耳を傾ける。
依頼主は聞き慣れない名前のグループ。ここ最近で結成されたものか?にしては随分金がある…どこか大手からの枝分かれ、もしくは実体を偽っているという見解が有力か。
欲しがっている情報も‘九龍の内情’などと大雑把。けれどそんなもの、そこら辺を歩いていれば誰にだってわかる。治安の問題で歩きたくないのかも知れないが、わざわざ情報屋に大金を払って接触してくるような輩が治安悪化に怯える一般人の可能性は低い。怪しい依頼主とは出来れば会いたくないものだが…うーんと頭を捻る上。
「行かなくていいよ」
ふいに聞こえたその声の方向に全員が顔を向けると、視線の先、カウンターのスツールに腰掛ける藍漣が上を見詰めていた。
「そいつら、【神豹】の系列のクソみてぇな奴らだよ。行ったら情報吐こうが吐くまいが上死ぬぜ」
九龍城砦の現状は把握したうえで連絡してきているはず、すると狙いは別の処、上自身かもしくはその周辺に居る誰か…そして用が済んだら生きて返すつもりはない、あいつらはそういうグループだと藍漣。
「【神豹】ってどこの人達なの?」
無邪気に尋ねる大地に藍漣はフッと笑って、数秒沈黙し、上海だよと答えた。
──────おかしい。
薄々感じていた違和感がハッキリと輪郭を形造る。壁際で煙草を吸っていた燈瑩が窺う様に目線を向けてきたのを東は見逃さなかったが、それより早く、斜め向かいの椅子で酒をあおっていた猫が口を開いた。
「藍漣なんで最初嘘ついた?」
質問は端的だったが、完璧に的を射ていた、つまり───東や樹と出会った際。城内の情勢を知らないのかと訊いた東に、藍漣は知らないと答えた。
しかしそれは嘘なのだ。先日樹が倒した男達は中国──今思えば訛りが上海だった──から来ていたし、今回上に接触してきた人物も上海。ならばその周辺の半グレ連中の耳にも九龍の現在状況は入っているという事。上海の裏社会で生きている藍漣が‘知らない’はずはなかった。
猫が背もたれに重心をかけ、傾いた椅子の前脚が浮く。ギッ、と小さく音が鳴り、空気がピリついた。
これは…ちょっと、風向きが良くない。東はカウンターに頬杖をついたまま考えを巡らせたが、すぐに藍漣のカラッとした声が届く。
「どうしようか迷ってたから」
質問に対して紛れもない肯定の台詞ではあるものの、その雰囲気には重苦しさも後ろめたさもなかった。事実を隠したり取り繕ったりするつもりがなさそうだ。
「ぁんだよ迷ってたって。お前、俺のあともツケてたろ」
藍漣の毒気のない声音に猫は体勢を崩し、呆れたようにため息。場が和らぎホッとした東の様子を感じ取った藍漣はカウンター越しに少しだけ東に身体を寄せ、形のいい唇の端を上げる。
「ツケてた。九龍の事もそうだけど、みんなの事も知りたかったからさぁ」
藍漣が夕飯のあとに消えていた理由。猫の動向を探っていたのだ、そして、チンピラ達を薙ぎ倒す姿を陰から見ていた───あん時の茉莉花そいつの匂いかと猫が藍漣の煙草を顎で指す。
路地裏で蓮を助けに入って猫を呼び出した折、‘この前みたいに’と発言したのはそのせいだった。もちろん蓮の近くに居たのだって偶然ではない。
「藍漣はどうして九龍来たの?合梨会がバタバタ死んでるけど、そのあたりの関係?」
燈瑩が煙を吹きつつ問えば藍漣は違う違うと掌をパタつかせ、そりゃ河南省の連中の仕業だろ?合梨会は鶏に手ぇ出し過ぎなんだと言って渋い顔をした。
市場を押さえて九龍城砦への流通価格を高騰させるだけでは飽き足らず、仕入れ先にまで迷惑をかけているのか…河南省は河南省で幅を利かせている組織がある、シノギの関係などで抗争になるのも尤もだ。
と、笑顔でピッと樹を指差す藍漣。
「ウチが殺りに来たのは───樹だよ」
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