九龍懐古

旧雨今雨・下

姫様とお買い物

旧雨今雨８





「で、あん時親父オヤジが言ってた‘最近剣を習いに来る子’ってのが蓮レンだったっつう訳。全然知らなかったけどな俺は」

ポポッと煙を吐き出し笑う猫マオ。大地ダイチがウツラウツラとしながら相槌を打つ。

「猫マオ、大変だったんだね…」
「別に大変じゃねぇよ。そんなもんだろ」

樹イツキしかり東アズマしかり燈瑩トウエイしかり、それぞれそれなりの過去はある。誰が特別どうということはない。
そう思って気きの無い返事をする猫マオの指を、ブランケットからモゾモゾと手を出した大地ダイチが握り呟く。

「でもさ…今はみんながいるもんね…」

その言葉に猫マオは軽く目を見開き、微笑んで、そうだなと言った。上カムラが居たらまた‘そんな顔で笑ったりするのか’などと驚いたことだろう。
窓の外では月がもうかなり高い位置まで昇っている。猫マオはどことなく懐かしく感じてそれを見詰め、少し経って大地ダイチに視線を戻した。

「おら、そろそろ寝──…ん？寝てんのか」

大地ダイチはいつの間にかスヤスヤと寝息をたてている。起こさないように手を離し、猫マオは腰を上げると部屋の明かりをそっと落とした。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





幾日かが過ぎ。調べていくうちに、どうやら12Ｋの下っ端と蓮レンを襲撃してきた連中は関係が無さそうだという見解に行き着く。澳門マカオから来てはいるものの、金の臭いを嗅ぎつけた只のチンピラ集団といった風体。

代わりに別の事実がチラリと見え隠れした。

このグループ、人身売買で稼ぎを得ているようだが、以前【天狼】に同業がやられたとボヤいているらしい。



「藤カズラんとこと似たようなもんかもせんな」

お昼時の【東風】、蓮レンの作った蝦子撈麺エビやきそばを皆で囲む中、上カムラが険しい表情で呟く。

「藤カズラ…？」
「ちょぉ前に色々あってん。今度話すわ」

不思議そうな顔で大皿の魚香茄子マーボーなすを取り分ける蓮レンに、上カムラはすまんなと笑いかけた。

あの時藤カズラのグループは全滅したが、繋がりのある半グレ達は他にも居るはず。最後の大規模な人拐さらい──寸手で阻止されたが──の船の行き先は澳門マカオだった。とあらば、繋がりがある人間が澳門マカオにまだ残っていても何の不思議もない。

【天狼】にやられた、澳門マカオに関連する人身売買組織。そんなの数多くはないだろう。

「最近九龍こっちで儲け話あるゆうの聞いて、なんやタカリにきてんやろ…うっざいわ…」

料理を箸でつつきまた険しい表情をする上カムラを見て、樹イツキは燈瑩トウエイの耳元に口を寄せた。

「上カムラが怒ってるのあんまみないよね」
「ん？そうね、藤カズラ君の事があるし…俺も斬られたからかな」

燈瑩トウエイが小声で返す。

藤カズラを助けられなかったこと、燈瑩トウエイにもちょっかいを出されたこと。色々なことが胸の中で渦を巻き、上カムラは苛立っていた。

「でも、なんで蓮レン狙ったのかな」
「蓮レンのポジションが欲しいんやろ」

樹イツキの問いに上カムラはため息をつく。

はたから見れば蓮レンは皇家ロイヤルと【宵城】に上手く取り入っている美味しい立ち位置。
実の所、皇家ロイヤルには従業員をとられ【宵城】とは同郷であるというだけの話で、儲けなどひとつも出ていないのだが。

「集まってる場所とかは？」
「この前揉めた時アジト変えとるみたいでな。やからまだ情報足りひんけど、すぐわかるやろ。手口とか見とると賢い・・奴らみたいやし」

東アズマの言葉に皮肉めいた口調で返す上カムラ。

「もうちょい時間くれや。必ず、突き止めたるから」

言い切る上カムラの瞳で静かに焔が揺れている。その熱のこもった視線に、全員黙って頷いた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





「…って感じなんだけど」

【宵城】、猫マオの自室。樹イツキは菠蘿包パイナップルパンをかじりながら事の経過を説明した。電話でも良かったのだが、上カムラも大地ダイチのことを気にしていたし様子見がてら顔を出したのである。
もしも蓮レンを襲撃してきた奴らが目を光らせていたとしても、樹イツキは裏道や屋上をすり抜け外壁を登ってこっそり部屋まで来ている。特に問題はないだろう。

先ほどの話し合いには続きがあった。相手のアジトが判明した場合、可及的速やかに排除・・するという方向性で意見が纏まとまったのだ。
こっちは既に──向こうが殺やりに来たからではあるが──２人殺やってしまっている。そうでなくとも蓮レンはこれからも狙われるだろうし【東風】や【宵城】にもきっと飛び火する。
このグループはバックに大組織がついているというわけでもなさそうなので全滅させてしまえばそこでおしまい、後腐れ無し。
それになにより上カムラがめずらしく怒っていた。

「いいんじゃねぇの。任せるわ」
「猫マオのほうは？」
「ちょうど皇家ロイヤルから連絡きたよ、【宵城ウチ】に飲みに来たいってな。飞蛾投火ってやつ」

猫マオの言葉に、何か策があるのかと樹イツキは訊ねる。下っ端でも12Ｋの息がかかったグループと揉め事を起こしたくはないはず…一体どうする気なんだ？

パイプの煙を吐いて笑う猫マオ。

「パクらせちまえばいいだろ、警察サツによ」

九龍城砦から出れば法律が及ぶ。人身売買や売春で地域外へと商品を運ぶのなら、そこを国家権力に押さえさせればいい。わざわざ外へ行くなら女に限らずその他のよろしくない物もいくらか持ってでるだろう、令状に困ることは無い。

マフィアには迂闊うかつに手を出しづらいといっても、一般市民の支持を得る為に警察だってたまには手柄が欲しいのだ。下っ端といえど12Ｋ、12Ｋといえど下っ端の皇家ロイヤルの奴らはまさに手頃な悪党。12Ｋは‘そんな連中は自分達に関係ない’と言えるし、それでも警察は‘大手マフィアの一角を逮捕した’と言えて、且かつそこまで波風はたたない。

そして警察に捕まってしまったのであれば、もうそれは誰のせいでもない・・・・・・・・。単なる不運、もしくは本人たちのヘマ。恨む相手は警察。花街の人間もマフィアも半グレも誰も目の敵かたきにされず、めでたしめでたし。

しかしそれには確実なソースが要いる。

いつ、どこで、どんな悪事を働くか。信憑性のある情報をリーク出来なければ警察だって動かない。
内容のメインは国際的な人身売買で、出発は九龍灣。

問題は、何時いつと目的地。
この情報を手に入れる為には。

「‘お買い物’に参加するってこと？」
「お？わかってんなぁ大地ダイチ」

ワクワクした表情をする大地ダイチに猫マオは口角を上げた。

一枚噛むのだ、【宵城】も。噛ませてもらえるように持っていく。
まだあと数回は九龍を拠点にどこかへ売りに行くだろう、だが、出来ればもう次の売買でキメたい。

「とっととやらねぇとな、善は急げ・・・・だ。つーことで」

猫マオが大地ダイチを見やりシシッと笑った。

「出番だぜ、姫様？」