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一雁高空
他郷とジジィ
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一雁高空5
明け方。森の奥のこぢんまりとした高台で、猫は土を掘り返していた。
「こんなもんか…」
ボソッと呟き、出来上がった穴に持参した風呂敷包みを投げ込む。中身がカランと小さな音を立てた。土を戻し埋めると、ペシペシ叩いて形を整える。
向かってきた本家の人間を全員斬り倒した後、猫は自宅に戻り、父親の遺体を家ごと燃やした。そして骨を拾い風呂敷に詰め、母親の墓──ただの大きめの石を置いただけの物だが──の隣にもうひとつ墓を作った。
この母親の墓があったから、父親は村を頑なに離れなかった。それもわかっていた。
「仲良くやれよジジィ」
猫は適当に摘んだ花を墓石に添えて、地面に酒と煙草を散らす。
ひとつ大きく伸びをし髪を結き直した。朝日を受けて輝くポニーテールが風に揺れる。
手元に残したのは路銀と刀と父親のパイプ…充分だ、荷物は軽い方がいい。
それから。
「へぇ…ここが九龍城砦か…」
猫は目の前にそびえ立つ巨大マンション群を見上げた。全体像はかなり大きな都市だ、その中で母親が居たのは貧困区だったらしい。
細い路地を抜け砦内に進んでいく。猫が最初に足を踏み入れたのはスラム街、富裕層地域と呼ばれる辺りなら恐らく全然様子が違うのだろうが…今のところ、そちら側にさしたる興味は持っていなかった。
マフィア、麻薬の売人、阿片中毒者、物乞いなどがそこかしこに居る。道や建物も狭く汚く、暗い魔窟は四方を壁に囲まれ陽の光さえ射さない。
キョロキョロと上ばかり見ながら歩いていたら、転がっていた何かに気が付かずドカッと蹴っ飛ばしてしまった。猫は足元に視線をやる。死体だった。
「…悪ぃ」
一応謝りその身体を跨ぐ。階段を上がったり下がったり屋上に出てみたり、ジグザグと歩き回ってしばらく経つとわずかに周囲の雰囲気が変わった。花街に入ったようだ。
あれ、道間違えたな…まぁそもそも全然知らねぇんだけど…そう思い猫が辺りを見渡していると、正面の路地で何やら数人の男が喚き散らしはじめた。
1人を取り囲んで罵声を浴びせている。取り囲まれているオッサンは小さくなり、飛んでくる拳から頭を守っていた。猫はその一団に近付いて声を掛ける。
「おい、貧困区ってどっちだよ」
「あぁ?なんだチビ」
振り向いた男が猫を見てがなった。間髪入れずスパァン!と音がし、男は地面に倒れ込む。
「答えが違んだよ。知らねぇなら知らねぇっつえや」
猫は眉根にシワを寄せて吐き捨てた。男達は何が起こったかよくわからなかった様子だった──猫が素早く男の顎に一発キメただけなのだけれど──が、とりあえず猫を敵と認識し殴りかかってくる。
猫はまず1人目に足払いをかけて転倒させると頭を上から踏んづけた。パキッと何か折れる音がした、鼻だろうか。2人目のパンチを避け、そのまま回転して側頭部にハイキックをお見舞いする。よろめく男の金的に一撃、喧嘩にはルールもクソも関係ない。すると残りの1人が懐からナイフを取り出した。ほぼ同時にキンッと金属音が聞こえ、男のナイフは宙を舞い後方の壁に刺さる。
「アンタはこの辺に詳しいのか?」
猫は取り囲まれていたオッサンに質問。その手には羽織の下から抜かれた刀、一瞬のうちに抜刀してナイフを弾き飛ばしたのだった。
「く、詳しいが…」
「あっそぉ。じゃ案内してくれよ」
吃るオッサン、ラッキーといった顔をする猫。と、その隙をついてナイフを飛ばされた男は逃げ出した。仲間を置いて行くなんて薄情な奴だ…腰抜けかよと猫が悪態をついていると、案内役に任命されたオッサンはまずここから移動しようと猫の袖を引いた。
「アンタなんでボコられてたんだよ」
「ん?あいつら、ちょっと迷惑な客でな…」
道中猫が訊ねると男は苦笑いを浮かべる。どうやらこのオッサン、花街で風俗店をやっているらしい。先程揉めていた連中は先日店舗へ訪れた際、女性スタッフに無理な要求をしたり暴力を振るったりした輩のようだ。
オッサンは従業員を守ろうと毅然と対応してその場は収めたものの、報復に来たヤツらに路地裏で急に取り囲まれたとのこと。
「逆恨みじゃねーか」
「いいんだよ。そんなものさ。でも、店のみんなのことは私が守らないとな」
猫の言葉にオッサンは眉を下げて笑う。愚直な男だ。…ちょっと似てるな、親父に。猫は目を細めた。
君は九龍で何をしているんだ?と聞かれ、親父が死んだからお袋の故郷に来てみたと手短に答える猫。母親も死んではいるのだが、生前に九龍城砦で遊女をやっていたから自分もそういう仕事に関わるのもいいかと思って、とも。
「じゃあ君、私と一緒に仕事をしないか?」
言いながらオッサンは瞳を輝かせる。
話によると、行き場のない女性達を自分の店舗に招き入れ店を経営しているが、なかなか1人では手が回らないという。誰か力を貸してくれる人間がいたらな…どうかな…と呟きチラチラと猫の顔を見てくるオッサン。
お願いの仕方が露骨だし、しかも上目遣いが全然可愛くない。そう猫は思ったが別段断る理由も無かった。
「いーよ。手伝ってやる」
何も考えずに頷いたが、オッサンは非常に嬉しそうに満面の笑みを見せる。反対に猫は苦い表情。
「ジジィ、他人をすぐに信用し過ぎじゃねぇのか」
「うーん。でもなんだか君は悪い奴じゃない気がする」
「そりゃ命取りだぜ」
「ははっ!私結構見る目はあるんだよ?」
「そうかよ。で、なんつうの?アンタの店」
「【酔蝶】」
「ふーん、洒落てんな」
「君は何てお店にするんだ?」
「あぁ?気が早えぞジジィ。けどそうだな…俺は… …… 」
夜を迎えて賑わう九龍。雑談を交わしながら歩く2人の姿は、街の喧騒にまぎれて消えていった。
明け方。森の奥のこぢんまりとした高台で、猫は土を掘り返していた。
「こんなもんか…」
ボソッと呟き、出来上がった穴に持参した風呂敷包みを投げ込む。中身がカランと小さな音を立てた。土を戻し埋めると、ペシペシ叩いて形を整える。
向かってきた本家の人間を全員斬り倒した後、猫は自宅に戻り、父親の遺体を家ごと燃やした。そして骨を拾い風呂敷に詰め、母親の墓──ただの大きめの石を置いただけの物だが──の隣にもうひとつ墓を作った。
この母親の墓があったから、父親は村を頑なに離れなかった。それもわかっていた。
「仲良くやれよジジィ」
猫は適当に摘んだ花を墓石に添えて、地面に酒と煙草を散らす。
ひとつ大きく伸びをし髪を結き直した。朝日を受けて輝くポニーテールが風に揺れる。
手元に残したのは路銀と刀と父親のパイプ…充分だ、荷物は軽い方がいい。
それから。
「へぇ…ここが九龍城砦か…」
猫は目の前にそびえ立つ巨大マンション群を見上げた。全体像はかなり大きな都市だ、その中で母親が居たのは貧困区だったらしい。
細い路地を抜け砦内に進んでいく。猫が最初に足を踏み入れたのはスラム街、富裕層地域と呼ばれる辺りなら恐らく全然様子が違うのだろうが…今のところ、そちら側にさしたる興味は持っていなかった。
マフィア、麻薬の売人、阿片中毒者、物乞いなどがそこかしこに居る。道や建物も狭く汚く、暗い魔窟は四方を壁に囲まれ陽の光さえ射さない。
キョロキョロと上ばかり見ながら歩いていたら、転がっていた何かに気が付かずドカッと蹴っ飛ばしてしまった。猫は足元に視線をやる。死体だった。
「…悪ぃ」
一応謝りその身体を跨ぐ。階段を上がったり下がったり屋上に出てみたり、ジグザグと歩き回ってしばらく経つとわずかに周囲の雰囲気が変わった。花街に入ったようだ。
あれ、道間違えたな…まぁそもそも全然知らねぇんだけど…そう思い猫が辺りを見渡していると、正面の路地で何やら数人の男が喚き散らしはじめた。
1人を取り囲んで罵声を浴びせている。取り囲まれているオッサンは小さくなり、飛んでくる拳から頭を守っていた。猫はその一団に近付いて声を掛ける。
「おい、貧困区ってどっちだよ」
「あぁ?なんだチビ」
振り向いた男が猫を見てがなった。間髪入れずスパァン!と音がし、男は地面に倒れ込む。
「答えが違んだよ。知らねぇなら知らねぇっつえや」
猫は眉根にシワを寄せて吐き捨てた。男達は何が起こったかよくわからなかった様子だった──猫が素早く男の顎に一発キメただけなのだけれど──が、とりあえず猫を敵と認識し殴りかかってくる。
猫はまず1人目に足払いをかけて転倒させると頭を上から踏んづけた。パキッと何か折れる音がした、鼻だろうか。2人目のパンチを避け、そのまま回転して側頭部にハイキックをお見舞いする。よろめく男の金的に一撃、喧嘩にはルールもクソも関係ない。すると残りの1人が懐からナイフを取り出した。ほぼ同時にキンッと金属音が聞こえ、男のナイフは宙を舞い後方の壁に刺さる。
「アンタはこの辺に詳しいのか?」
猫は取り囲まれていたオッサンに質問。その手には羽織の下から抜かれた刀、一瞬のうちに抜刀してナイフを弾き飛ばしたのだった。
「く、詳しいが…」
「あっそぉ。じゃ案内してくれよ」
吃るオッサン、ラッキーといった顔をする猫。と、その隙をついてナイフを飛ばされた男は逃げ出した。仲間を置いて行くなんて薄情な奴だ…腰抜けかよと猫が悪態をついていると、案内役に任命されたオッサンはまずここから移動しようと猫の袖を引いた。
「アンタなんでボコられてたんだよ」
「ん?あいつら、ちょっと迷惑な客でな…」
道中猫が訊ねると男は苦笑いを浮かべる。どうやらこのオッサン、花街で風俗店をやっているらしい。先程揉めていた連中は先日店舗へ訪れた際、女性スタッフに無理な要求をしたり暴力を振るったりした輩のようだ。
オッサンは従業員を守ろうと毅然と対応してその場は収めたものの、報復に来たヤツらに路地裏で急に取り囲まれたとのこと。
「逆恨みじゃねーか」
「いいんだよ。そんなものさ。でも、店のみんなのことは私が守らないとな」
猫の言葉にオッサンは眉を下げて笑う。愚直な男だ。…ちょっと似てるな、親父に。猫は目を細めた。
君は九龍で何をしているんだ?と聞かれ、親父が死んだからお袋の故郷に来てみたと手短に答える猫。母親も死んではいるのだが、生前に九龍城砦で遊女をやっていたから自分もそういう仕事に関わるのもいいかと思って、とも。
「じゃあ君、私と一緒に仕事をしないか?」
言いながらオッサンは瞳を輝かせる。
話によると、行き場のない女性達を自分の店舗に招き入れ店を経営しているが、なかなか1人では手が回らないという。誰か力を貸してくれる人間がいたらな…どうかな…と呟きチラチラと猫の顔を見てくるオッサン。
お願いの仕方が露骨だし、しかも上目遣いが全然可愛くない。そう猫は思ったが別段断る理由も無かった。
「いーよ。手伝ってやる」
何も考えずに頷いたが、オッサンは非常に嬉しそうに満面の笑みを見せる。反対に猫は苦い表情。
「ジジィ、他人をすぐに信用し過ぎじゃねぇのか」
「うーん。でもなんだか君は悪い奴じゃない気がする」
「そりゃ命取りだぜ」
「ははっ!私結構見る目はあるんだよ?」
「そうかよ。で、なんつうの?アンタの店」
「【酔蝶】」
「ふーん、洒落てんな」
「君は何てお店にするんだ?」
「あぁ?気が早えぞジジィ。けどそうだな…俺は… …… 」
夜を迎えて賑わう九龍。雑談を交わしながら歩く2人の姿は、街の喧騒にまぎれて消えていった。
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