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一雁高空
遺言と放蕩息子・前
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一雁高空2
ある日の夜。
フラフラ出歩いていた猫が家に戻ると、窓際で父親がパイプをくゆらせていた。
「あ?煙草やめたんじゃなかったのか?」
言いながら下駄を脱ぎ部屋に上がる猫に、お前【黃刀】継ぐ気ないんだもんな?と父親は呟く。
「ねぇよ。何回聞くんだよ」
「先代がな、俺に【黃刀】を任せるって遺言を残してたんだってさ。本家の人間から通達があった」
「は?」
気怠そうに答えた猫だったが、父親の言葉に面食らう。父親はポポッと煙を吐き出し、断ったけどと言った。
当主は父親の才を公正に評価していた。本家や分家などは関係なく、最も相応しい者が後継者になるべきだという至誠の念。
本家が財を成しているのは【黃刀】あってこそのもの、それを分家の人間に持っていかれては金も力もごっそり失ってしまう。本家からしたらたまったもんじゃない、遺言が開示された時は相当苦い顔をしたはず。
だが、猫達はそういったイザコザには巻き込まれたくないのだ。なんのためにこんな村の外れの外れ、ほぼ山奥といって差し支えない場所で暮らしていると思ってる?
猫は新たにかっぱらってきた酒瓶を開けつつ低い声を出した。
「断ったんだろ」
「そうだけどね」
頷く父親。じゃあいいじゃねぇかと猫は吐き捨てるが、父親は眉を下げて微笑むだけだった。
月が翳る。剣呑とした空気が、夜に沈む村を温く包んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
いくらかが経ち、跡取り問題は落ち着き、【黃刀】は本家の手中に収まるも…表立って養護することはないにしろ、村人からは父親の派閥に傾く者が出てきた。
猫達からしたら迷惑極まりない。今さら手のひらを返されたところでどうしようもないし、要らない軋轢も生まれる。放っておいて欲しかった。けれど水面下では確実に何かが変わってきている。
そしてそれは、本家の人間にとっては、本当に忌々しいことだった。
「親父、村出ねぇのか」
酒瓶を振りつつ猫は父親に問う。その日も猫は商人の一団を追いかけ森をひとっ走りしてきていた。
こんなふうに物パクっててもしょうがねぇんだけどな───猫は思う。いつまでもこうしてたって仕方がない。父親を連れて村を出てもいいのだが、いかんせんこのジジィ頑固だ、なかなか首を縦に振らず。
だがそろそろここに居続けるのも限界ではなかろうか?先日の世継ぎ問題でますます居心地が悪くなっていた。
「出てもいいけど」
「えっ?」
予想だにしない父親の返答に、猫は年相応の反応を見せ酒瓶を手から滑らせた。
「あら、貴重な姿」
「うるせぇなクソジジィ。つうか、どういう心境の変化だ」
「んー…俺がずっとここに居たら、お前もここに居ちゃうからね」
「そんな理由かよ」
俺の為ならやめとけと言う猫に、父さんも母さんの故郷にまた行ってみたいんだよと笑う父親。
「父さん‘も’?」
「お前もでしょ」
「俺行きたいって言ったことあったか?」
「無いけど、広東語勉強してるよね。しかもけっこう上手いんだって?」
「ぁんだよ、誰から聞いたんだジジィ」
「えー?町の噂。さすが母さんの子だ」
「テメェの子だよ」
父親がちょろちょろと近隣の町をウロついているのは猫も知っていた。そして、猫のお気に入りの──広東語圏の人間がマスターの──飲み屋に足を運んでる事も。
息子がどう過ごしているか気になるのだ。しかし直接声を掛けてきたり口を出したりしてはこず、好きにやらせてくれている。なので猫も何かを言ったりする訳でもなかった。
「お前が話せるなら父さん楽出来ちゃうな」
「親父話せねぇのか?お袋とどうやって会話してたんだよ」
「母さんが俺達の言葉話せたから。賢いんだぞ、母さんは。お前はやっぱり母さんの子だな」
「あっそ…」
フフンと自慢気な顔をする父親に猫はため息をつくが、心は少しだけ浮き立っていた。
あの父親がやっと決心をしたのだ。まだ今一歩決め手に欠けるかもわからない、それでもかなりの前進。
こんな陰気臭い村とはおさらばして、知らない土地でのんびり暮らす。考えただけで気分が良かった。
「猫」
「ん?」
「…何でもない。忘れちゃった」
「はぁ?ボケるには早えつってんだろ」
眉間にシワを寄せる猫を父親は見詰める。その視線はなぜか、普段よりもずっと穏やかで、ずっと優しかった。
ある日の夜。
フラフラ出歩いていた猫が家に戻ると、窓際で父親がパイプをくゆらせていた。
「あ?煙草やめたんじゃなかったのか?」
言いながら下駄を脱ぎ部屋に上がる猫に、お前【黃刀】継ぐ気ないんだもんな?と父親は呟く。
「ねぇよ。何回聞くんだよ」
「先代がな、俺に【黃刀】を任せるって遺言を残してたんだってさ。本家の人間から通達があった」
「は?」
気怠そうに答えた猫だったが、父親の言葉に面食らう。父親はポポッと煙を吐き出し、断ったけどと言った。
当主は父親の才を公正に評価していた。本家や分家などは関係なく、最も相応しい者が後継者になるべきだという至誠の念。
本家が財を成しているのは【黃刀】あってこそのもの、それを分家の人間に持っていかれては金も力もごっそり失ってしまう。本家からしたらたまったもんじゃない、遺言が開示された時は相当苦い顔をしたはず。
だが、猫達はそういったイザコザには巻き込まれたくないのだ。なんのためにこんな村の外れの外れ、ほぼ山奥といって差し支えない場所で暮らしていると思ってる?
猫は新たにかっぱらってきた酒瓶を開けつつ低い声を出した。
「断ったんだろ」
「そうだけどね」
頷く父親。じゃあいいじゃねぇかと猫は吐き捨てるが、父親は眉を下げて微笑むだけだった。
月が翳る。剣呑とした空気が、夜に沈む村を温く包んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
いくらかが経ち、跡取り問題は落ち着き、【黃刀】は本家の手中に収まるも…表立って養護することはないにしろ、村人からは父親の派閥に傾く者が出てきた。
猫達からしたら迷惑極まりない。今さら手のひらを返されたところでどうしようもないし、要らない軋轢も生まれる。放っておいて欲しかった。けれど水面下では確実に何かが変わってきている。
そしてそれは、本家の人間にとっては、本当に忌々しいことだった。
「親父、村出ねぇのか」
酒瓶を振りつつ猫は父親に問う。その日も猫は商人の一団を追いかけ森をひとっ走りしてきていた。
こんなふうに物パクっててもしょうがねぇんだけどな───猫は思う。いつまでもこうしてたって仕方がない。父親を連れて村を出てもいいのだが、いかんせんこのジジィ頑固だ、なかなか首を縦に振らず。
だがそろそろここに居続けるのも限界ではなかろうか?先日の世継ぎ問題でますます居心地が悪くなっていた。
「出てもいいけど」
「えっ?」
予想だにしない父親の返答に、猫は年相応の反応を見せ酒瓶を手から滑らせた。
「あら、貴重な姿」
「うるせぇなクソジジィ。つうか、どういう心境の変化だ」
「んー…俺がずっとここに居たら、お前もここに居ちゃうからね」
「そんな理由かよ」
俺の為ならやめとけと言う猫に、父さんも母さんの故郷にまた行ってみたいんだよと笑う父親。
「父さん‘も’?」
「お前もでしょ」
「俺行きたいって言ったことあったか?」
「無いけど、広東語勉強してるよね。しかもけっこう上手いんだって?」
「ぁんだよ、誰から聞いたんだジジィ」
「えー?町の噂。さすが母さんの子だ」
「テメェの子だよ」
父親がちょろちょろと近隣の町をウロついているのは猫も知っていた。そして、猫のお気に入りの──広東語圏の人間がマスターの──飲み屋に足を運んでる事も。
息子がどう過ごしているか気になるのだ。しかし直接声を掛けてきたり口を出したりしてはこず、好きにやらせてくれている。なので猫も何かを言ったりする訳でもなかった。
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「母さんが俺達の言葉話せたから。賢いんだぞ、母さんは。お前はやっぱり母さんの子だな」
「あっそ…」
フフンと自慢気な顔をする父親に猫はため息をつくが、心は少しだけ浮き立っていた。
あの父親がやっと決心をしたのだ。まだ今一歩決め手に欠けるかもわからない、それでもかなりの前進。
こんな陰気臭い村とはおさらばして、知らない土地でのんびり暮らす。考えただけで気分が良かった。
「猫」
「ん?」
「…何でもない。忘れちゃった」
「はぁ?ボケるには早えつってんだろ」
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