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愛月撤灯
月と【酔蝶】
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愛月撤灯1
「お疲れ様です」
「おぉ、燈瑩君お疲れ!」
入り口をくぐって挨拶をすると、店主のよく通る声が返ってきた。
「あ、燈瑩だ!お疲れ様ぁ♡」
「ねーすぐ帰っちゃうの?」
「ゆっくりしていったらいいのにぃ」
それに反応した女性従業員が次々と部屋から顔を出し燈瑩の腕を掴む。
「ごめん、まだ回るところあるから…いつもお誘いありがと」
その誘いを丁重に断るも、納得がいかないスタッフ達は手を離そうとしない。
「そんなことばっか言って全然時間とってくれないじゃん」
「そうだよぉ、たまには遊んでよぉ」
「ほら皆!!燈瑩君困らせない!!」
店主が手をパンパン叩いて声を張る。女性達は文句を言いながらも各々部屋へと戻っていった。
「悪いな、毎回」
「なかなか顔出さない俺のせいでもあるんで…今度遊びに来ます」
「おう、頼むよ。無料でいいから」
「ちゃんとお金払いますよ」
店主の言葉に燈瑩は笑い、手渡された分厚い封筒を受け取った。
マフィアの知り合いに頼まれ風俗店の集金の仕事を手伝い始めて数ヶ月。前任は見ヶ〆料を使い込んでしまったようで九龍灣の藻屑と消えたとか。
顔のイイ若い男が1番ウケるんだ、優しくしてやればみんな頑張るからなと言われ後任に抜擢された。女にも金にも執着はなく、好きなものは煙草くらいの燈瑩としてはなんとも答えようがなかったけれど。
「あと1軒か…」
本日何本目かわからない煙草に火を点けながらメモを見る。見慣れない店舗名と住所。
【酔蝶】───初めて集金に行く店。今夜はオーナーが不在らしく、金はナンバーワンのスタッフに預けてあるとのこと。
燈瑩は煙を吐き出しつつ書きつけられた場所へと足を向ける。
辿り着いたその店舗はなかなか小綺麗で、佇まいも内装もしっかりしていた。
聞いたところによればナンバーワンの女性はかなりの売れっ子嬢、店の売り上げはほぼその女性で保っているらしい。
そんなに売れているならもっと大型の店舗に移れば稼ぎも上がるんじゃなかろうか?今でも充分な収入だからその必要も特にないのか?燈瑩は余計な事を考えながら入店し、指示された通り、階段を数階分登った先にあるひときわ豪奢な部屋の扉を叩く。
「どうぞ」
中から聞こえた耳触りの良い声。ドアを開くと窓際に腰掛ける女性と視線が合った。
月明かりに照らされ光る、長い濡羽色の髪。大きな涅色の双眸と紅い唇。暖色の電灯を淡く反射している白い肌──まさに‘妖艶’という表現がよく似合う。
あまりに美しい容貌に一瞬言葉を失った燈瑩の鼓膜を甘い声が揺らす。
「お客様かしら?」
「あ、えっと……燈瑩だけど、オーナーから聞いてない?」
「あなたが?」
女性はスッと床に足をつけ、おもむろに燈瑩の方へと近付いてきた。大胆なスリットの入ったチャイナドレス、抜群のスタイル。目の前まで来ると彼女は少し屈んで燈瑩を下から覗き込み、形のいい唇の端を上げる。
「ふぅん。イイ男ね、噂通り」
「そう?どうも」
燈瑩が笑って礼を返すと彼女は愉しそうに目を細め、サイドテーブルから封筒を出した。
「はい、これ今週の分よ」
「お預かりします。オーナーに宜しく」
「それだけ?」
帰ろうとした燈瑩の耳をまた甘い声がくすぐる。女性は口元に笑みをたたえ、チャイナドレスの胸元のボタンを外し艶めかしく誘う仕草をみせた。
「…遊んで行かないの?」
挑発的な態度。燈瑩はその肌を見詰め────外されたボタンを掛けなおした。
「今日はやめとくよ。改めて、ちゃんとお店に来るから」
言って、パタンと扉を閉め部屋を出て行く。その後ろ姿を女性は物珍しそうに見送った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「え、無い?」
「あぁ。月の部屋にある」
次の週。再び【酔蝶】へ集金にきた燈瑩にオーナーが肩をすくめる。金の入った封筒は、月…先週オーナー不在の間を取り持ってくれたあの女性が抱えていると。
「自分が渡すといってきかないんだよ。悪いけど部屋まで行ってもらえないかな?」
口をへの字に曲げるオーナーに燈瑩は頷き、階段を数階登り例の豪奢な扉を叩く。
「どうぞ」
相変わらずの甘い声。
「お疲れ様。集金です」
「ビジネスライクね」
ペコリと頭を下げて入室する燈瑩に月が笑う。その胸元に色っぽく挟まれた封筒を受け取ろうとした燈瑩の腕を月が掴んだ。
「今日はどうなの?」
「どうって?」
「アタシ、今夜はもう仕事終わりなの。だから今からの時間は全部自由」
言いながら華奢な手で燈瑩の首筋をなぞり、唇にも細い指を這わせる。
燈瑩はその胸元からスッと封筒を抜き去り柔らかく微笑んだ。
「終わりなら、ゆっくり休んだ方がいいよ。今日もありがと。…おやすみ」
そして前回と同じく踵を返し部屋を出る。
「…嘘でしょ…」
またしても1人残された月の口から、微かな呟きが漏れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【酔蝶】をあとにし路地を征く燈瑩は、煙草に火を点け思案する。
正直、焦った。花街への出入りも長く沢山の女性を見てきたが、あれだけ綺麗な人は初めてだ。月っていったっけ?最初に見たときも思ったけれど、まさにナンバーワンの風格だった。容姿も雰囲気も他の従業員とは一線を画している。
何で俺に構うのかな…特に得することもないのに。集金の手伝いやなにやらをしてはいるが経営等に関して進言をするような立場ではない、メリットを期待しての事だったら申し訳無いな。
親はなく物心がつく頃には既に悪行で生計を立てていた燈瑩は、この裏社会では人は基本的に損得勘定で動くのだと疾うの昔から知っていた。
また来週も集金にいかねばならない。次はちゃんとオーナーから渡してもらえるように頼んでおこう。そんなことを考えつつ煙を夜更けの空へと流し、燈瑩は喧騒に塗れた九龍の街をのんびりと歩いた。
「お疲れ様です」
「おぉ、燈瑩君お疲れ!」
入り口をくぐって挨拶をすると、店主のよく通る声が返ってきた。
「あ、燈瑩だ!お疲れ様ぁ♡」
「ねーすぐ帰っちゃうの?」
「ゆっくりしていったらいいのにぃ」
それに反応した女性従業員が次々と部屋から顔を出し燈瑩の腕を掴む。
「ごめん、まだ回るところあるから…いつもお誘いありがと」
その誘いを丁重に断るも、納得がいかないスタッフ達は手を離そうとしない。
「そんなことばっか言って全然時間とってくれないじゃん」
「そうだよぉ、たまには遊んでよぉ」
「ほら皆!!燈瑩君困らせない!!」
店主が手をパンパン叩いて声を張る。女性達は文句を言いながらも各々部屋へと戻っていった。
「悪いな、毎回」
「なかなか顔出さない俺のせいでもあるんで…今度遊びに来ます」
「おう、頼むよ。無料でいいから」
「ちゃんとお金払いますよ」
店主の言葉に燈瑩は笑い、手渡された分厚い封筒を受け取った。
マフィアの知り合いに頼まれ風俗店の集金の仕事を手伝い始めて数ヶ月。前任は見ヶ〆料を使い込んでしまったようで九龍灣の藻屑と消えたとか。
顔のイイ若い男が1番ウケるんだ、優しくしてやればみんな頑張るからなと言われ後任に抜擢された。女にも金にも執着はなく、好きなものは煙草くらいの燈瑩としてはなんとも答えようがなかったけれど。
「あと1軒か…」
本日何本目かわからない煙草に火を点けながらメモを見る。見慣れない店舗名と住所。
【酔蝶】───初めて集金に行く店。今夜はオーナーが不在らしく、金はナンバーワンのスタッフに預けてあるとのこと。
燈瑩は煙を吐き出しつつ書きつけられた場所へと足を向ける。
辿り着いたその店舗はなかなか小綺麗で、佇まいも内装もしっかりしていた。
聞いたところによればナンバーワンの女性はかなりの売れっ子嬢、店の売り上げはほぼその女性で保っているらしい。
そんなに売れているならもっと大型の店舗に移れば稼ぎも上がるんじゃなかろうか?今でも充分な収入だからその必要も特にないのか?燈瑩は余計な事を考えながら入店し、指示された通り、階段を数階分登った先にあるひときわ豪奢な部屋の扉を叩く。
「どうぞ」
中から聞こえた耳触りの良い声。ドアを開くと窓際に腰掛ける女性と視線が合った。
月明かりに照らされ光る、長い濡羽色の髪。大きな涅色の双眸と紅い唇。暖色の電灯を淡く反射している白い肌──まさに‘妖艶’という表現がよく似合う。
あまりに美しい容貌に一瞬言葉を失った燈瑩の鼓膜を甘い声が揺らす。
「お客様かしら?」
「あ、えっと……燈瑩だけど、オーナーから聞いてない?」
「あなたが?」
女性はスッと床に足をつけ、おもむろに燈瑩の方へと近付いてきた。大胆なスリットの入ったチャイナドレス、抜群のスタイル。目の前まで来ると彼女は少し屈んで燈瑩を下から覗き込み、形のいい唇の端を上げる。
「ふぅん。イイ男ね、噂通り」
「そう?どうも」
燈瑩が笑って礼を返すと彼女は愉しそうに目を細め、サイドテーブルから封筒を出した。
「はい、これ今週の分よ」
「お預かりします。オーナーに宜しく」
「それだけ?」
帰ろうとした燈瑩の耳をまた甘い声がくすぐる。女性は口元に笑みをたたえ、チャイナドレスの胸元のボタンを外し艶めかしく誘う仕草をみせた。
「…遊んで行かないの?」
挑発的な態度。燈瑩はその肌を見詰め────外されたボタンを掛けなおした。
「今日はやめとくよ。改めて、ちゃんとお店に来るから」
言って、パタンと扉を閉め部屋を出て行く。その後ろ姿を女性は物珍しそうに見送った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「え、無い?」
「あぁ。月の部屋にある」
次の週。再び【酔蝶】へ集金にきた燈瑩にオーナーが肩をすくめる。金の入った封筒は、月…先週オーナー不在の間を取り持ってくれたあの女性が抱えていると。
「自分が渡すといってきかないんだよ。悪いけど部屋まで行ってもらえないかな?」
口をへの字に曲げるオーナーに燈瑩は頷き、階段を数階登り例の豪奢な扉を叩く。
「どうぞ」
相変わらずの甘い声。
「お疲れ様。集金です」
「ビジネスライクね」
ペコリと頭を下げて入室する燈瑩に月が笑う。その胸元に色っぽく挟まれた封筒を受け取ろうとした燈瑩の腕を月が掴んだ。
「今日はどうなの?」
「どうって?」
「アタシ、今夜はもう仕事終わりなの。だから今からの時間は全部自由」
言いながら華奢な手で燈瑩の首筋をなぞり、唇にも細い指を這わせる。
燈瑩はその胸元からスッと封筒を抜き去り柔らかく微笑んだ。
「終わりなら、ゆっくり休んだ方がいいよ。今日もありがと。…おやすみ」
そして前回と同じく踵を返し部屋を出る。
「…嘘でしょ…」
またしても1人残された月の口から、微かな呟きが漏れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【酔蝶】をあとにし路地を征く燈瑩は、煙草に火を点け思案する。
正直、焦った。花街への出入りも長く沢山の女性を見てきたが、あれだけ綺麗な人は初めてだ。月っていったっけ?最初に見たときも思ったけれど、まさにナンバーワンの風格だった。容姿も雰囲気も他の従業員とは一線を画している。
何で俺に構うのかな…特に得することもないのに。集金の手伝いやなにやらをしてはいるが経営等に関して進言をするような立場ではない、メリットを期待しての事だったら申し訳無いな。
親はなく物心がつく頃には既に悪行で生計を立てていた燈瑩は、この裏社会では人は基本的に損得勘定で動くのだと疾うの昔から知っていた。
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