69 / 433
枯樹生華
嘘と切り札・前
しおりを挟む
枯樹生華7
「…すごい降ってる」
「紅花、お天気予報みてきたのに!」
「俺も」
とある午後、いつものお茶会の途中。
快晴だった空は一転して分厚い灰色の雲に覆われ、樹と紅花は突然の通り雨に見舞われていた。
近場の店の軒下に2人で逃げ込み、アスファルトにはじける大きな雨粒を見詰める。この様子だと暫くは止みそうにない。
九龍灣の波止場で海を眺めながら遊んでいたため屋根のついた場所まではかなり距離があり、スコールの様に降りしきる雨に2人の服は瞬く間にびしょ濡れになってしまった。
樹は水を吸って重くなった上着をパンパンと叩いてみるもそんな気休めでは水分は取れず、やれやれといった調子で呟く。
「ビチャビチャだ、搾れるかも。こんなことになるなら海入っちゃっても良かったね」
天気いいし砂浜でも行く?えー準備してないよ服濡れちゃう、けど行きたいね…なんて、ちょうど話していたところだった。
「ふふっ!そうね!今度は行っちゃおうよ」
笑って頷く紅花も、試しに搾ろうと上着を脱ぐ樹の真似をしてカーディガンを肩から落とした。
と、ノースリーブのワンピースからのぞく肌に樹の視線がとまる。
「紅花…それどうしたの?」
あらわになった二の腕にある、無数の痣。
変色したその打撲痕は痛々しく、白い肌とのコントラストがよりいっそう異質さを際立たせている。
樹の問いに紅花が慌てて腕を隠す素振りをみせた。うっかり出してしまった、という雰囲気。
「こ、転んじゃったの!」
明らかに取り繕った言葉と表情。転んじゃった?いや、どれだけ派手に転んでも、こうはならない。樹は紅花の顔を覗き込んだ。
「本当のこと教えて?」
紅花は答えを言いあぐねたが、少しして痣を小さな手でさすりながらポツポツと話す。
「……伯父さんに怒られちゃったの。紅花が悪い子だから」
どうやら、伯父は普段から躾と言っては紅花に暴力を振るうらしい。
しかし詳しく聞いていくと、紅花が何か悪さをしたということはなく単に伯父の機嫌次第なのではないかという話ばかり。
躾だとしても手を上げるのはどうかと思うが、ただの憂さ晴らしであればこの伯父、余計に救いようがない。
「ごめん…俺、知らなかった…」
「え?樹のせいじゃないわ!」
謝る樹に、内緒にしたくて長袖着てるんだものと紅花が否定する。
それでも気が付くべきだった。注意深く見ていればわかったことだ。憤懣が樹の胸中に渦を巻く。
「人に言うような事でもなかったし…」
紅花が地面に視線を落とす。
家庭内暴力は、本来であれば人に相談するような事のはずだが。───伯父を庇っているのだろうか。
「紅花、伯父さんのこと好きなんだね」
「え?嫌いよ」
「えっ?」
想像と違う答えに樹は目をしばたたかせる。嫌いなのか?ならどうして庇うんだ?
「嫌いよあの人。紅花、田舎のおばあちゃんと一緒に居たいのに会わせてくれないし」
「じゃあなんで転んだって…」
「だって紅花が悪い子だってわかったら樹に嫌われちゃうもん」
そういうことか。
伯父を庇った訳ではなく、自分が‘悪い子’なのを隠すための嘘。
「紅花は良い子だよ」
「そうかな…でも伯父さん怒るもん…」
「それは紅花のせいじゃないよ」
日頃の鬱憤、事業でのミス、計画の進捗状況。伯父が怒るのは完全なる外的要因だ。
唯一の近しい身内から‘お前が悪い’などと常日頃言われれば、そう思い込んでしまうのも無理はない。
大人でさえそういった類の洗脳はあるのだ、子供の紅花が抗う術はないに等しいだろう。
この状況、どうにか出来ないのだろうか。樹は少し考えて口を開く。
「紅花はおばあちゃんと住みたいの?」
「うん、おばあちゃん優しいから大好き。パパが死んじゃってからはあんまり会えてないんだけど…」
‘パパが死んじゃってから’。馮さんのことか。おばあちゃんとは母親方の祖母らしい。
祖母のもとへ預けてもらえないのは、伯父が紅花をダシに裏社会での地位を上げているせいである。
仕事を強奪するにあたり紅花の使い勝手が良いから手元に置いておきたいのだ。そうして秘密裏にブラックなパイプ役をやらせているくせに、気分次第で殴りつける。
このまま九龍での企みが進展しなければ伯父は機嫌を損ね、紅花はまた痣を増やすことになる。それは容認しかねるが、かといって伯父を追い込むことを果たして紅花はよしとするのだろうか?
‘伯父は嫌いで祖母と暮らしたい’と、その言葉だけを受け取れば問題は無いようにみえるけれど…。
だがこちらとしても、【黑龍】とアンバーの問題がある以上このまま見過ごす訳にはいかないのだ。
樹は跪き、紅花の手をとって語りかけた。
「紅花…1個いいこと教えてあげる」
切り札をきろう。
「…すごい降ってる」
「紅花、お天気予報みてきたのに!」
「俺も」
とある午後、いつものお茶会の途中。
快晴だった空は一転して分厚い灰色の雲に覆われ、樹と紅花は突然の通り雨に見舞われていた。
近場の店の軒下に2人で逃げ込み、アスファルトにはじける大きな雨粒を見詰める。この様子だと暫くは止みそうにない。
九龍灣の波止場で海を眺めながら遊んでいたため屋根のついた場所まではかなり距離があり、スコールの様に降りしきる雨に2人の服は瞬く間にびしょ濡れになってしまった。
樹は水を吸って重くなった上着をパンパンと叩いてみるもそんな気休めでは水分は取れず、やれやれといった調子で呟く。
「ビチャビチャだ、搾れるかも。こんなことになるなら海入っちゃっても良かったね」
天気いいし砂浜でも行く?えー準備してないよ服濡れちゃう、けど行きたいね…なんて、ちょうど話していたところだった。
「ふふっ!そうね!今度は行っちゃおうよ」
笑って頷く紅花も、試しに搾ろうと上着を脱ぐ樹の真似をしてカーディガンを肩から落とした。
と、ノースリーブのワンピースからのぞく肌に樹の視線がとまる。
「紅花…それどうしたの?」
あらわになった二の腕にある、無数の痣。
変色したその打撲痕は痛々しく、白い肌とのコントラストがよりいっそう異質さを際立たせている。
樹の問いに紅花が慌てて腕を隠す素振りをみせた。うっかり出してしまった、という雰囲気。
「こ、転んじゃったの!」
明らかに取り繕った言葉と表情。転んじゃった?いや、どれだけ派手に転んでも、こうはならない。樹は紅花の顔を覗き込んだ。
「本当のこと教えて?」
紅花は答えを言いあぐねたが、少しして痣を小さな手でさすりながらポツポツと話す。
「……伯父さんに怒られちゃったの。紅花が悪い子だから」
どうやら、伯父は普段から躾と言っては紅花に暴力を振るうらしい。
しかし詳しく聞いていくと、紅花が何か悪さをしたということはなく単に伯父の機嫌次第なのではないかという話ばかり。
躾だとしても手を上げるのはどうかと思うが、ただの憂さ晴らしであればこの伯父、余計に救いようがない。
「ごめん…俺、知らなかった…」
「え?樹のせいじゃないわ!」
謝る樹に、内緒にしたくて長袖着てるんだものと紅花が否定する。
それでも気が付くべきだった。注意深く見ていればわかったことだ。憤懣が樹の胸中に渦を巻く。
「人に言うような事でもなかったし…」
紅花が地面に視線を落とす。
家庭内暴力は、本来であれば人に相談するような事のはずだが。───伯父を庇っているのだろうか。
「紅花、伯父さんのこと好きなんだね」
「え?嫌いよ」
「えっ?」
想像と違う答えに樹は目をしばたたかせる。嫌いなのか?ならどうして庇うんだ?
「嫌いよあの人。紅花、田舎のおばあちゃんと一緒に居たいのに会わせてくれないし」
「じゃあなんで転んだって…」
「だって紅花が悪い子だってわかったら樹に嫌われちゃうもん」
そういうことか。
伯父を庇った訳ではなく、自分が‘悪い子’なのを隠すための嘘。
「紅花は良い子だよ」
「そうかな…でも伯父さん怒るもん…」
「それは紅花のせいじゃないよ」
日頃の鬱憤、事業でのミス、計画の進捗状況。伯父が怒るのは完全なる外的要因だ。
唯一の近しい身内から‘お前が悪い’などと常日頃言われれば、そう思い込んでしまうのも無理はない。
大人でさえそういった類の洗脳はあるのだ、子供の紅花が抗う術はないに等しいだろう。
この状況、どうにか出来ないのだろうか。樹は少し考えて口を開く。
「紅花はおばあちゃんと住みたいの?」
「うん、おばあちゃん優しいから大好き。パパが死んじゃってからはあんまり会えてないんだけど…」
‘パパが死んじゃってから’。馮さんのことか。おばあちゃんとは母親方の祖母らしい。
祖母のもとへ預けてもらえないのは、伯父が紅花をダシに裏社会での地位を上げているせいである。
仕事を強奪するにあたり紅花の使い勝手が良いから手元に置いておきたいのだ。そうして秘密裏にブラックなパイプ役をやらせているくせに、気分次第で殴りつける。
このまま九龍での企みが進展しなければ伯父は機嫌を損ね、紅花はまた痣を増やすことになる。それは容認しかねるが、かといって伯父を追い込むことを果たして紅花はよしとするのだろうか?
‘伯父は嫌いで祖母と暮らしたい’と、その言葉だけを受け取れば問題は無いようにみえるけれど…。
だがこちらとしても、【黑龍】とアンバーの問題がある以上このまま見過ごす訳にはいかないのだ。
樹は跪き、紅花の手をとって語りかけた。
「紅花…1個いいこと教えてあげる」
切り札をきろう。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

下っ端妃は逃げ出したい
都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー
庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。
そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。
しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる