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青松落色
屋上とすれ違い
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青松落色8
やってきた樹に大地を預け、上は日が暮れはじめた九龍を駆ける。
目指すのは貧困街、よく藤と待ち合わせをしている屋上だ。
あとは上が自分で聞いてこいよ。そう言って、猫に送り出された。
九龍外のグループ。富裕層地域での揉めごと。最近香港にきた。成金。失踪事件。血まみれの男。情報屋。白昼堂々の誘拐未遂。
散らばったパーツが集まり、少しずつ少しずつ嫌な形を成そうとしている。
しているだけだ。まだ何も成してはいない。
いない、はずだ。
走りながら何度も藤の電話を鳴らす。出ない。上は息を切らして路地を抜け、階段を上がり、屋上へと辿り着いた。いつものベンチに座り呼吸を整える。
もう一度電話を鳴らそうと携帯を開くと。
「上ぁ」
「!」
間延びした声に振り返れば、隣の屋上へと続く足場の向こうに藤が立っていた。
「藤…」
「随分電話かけてきたねぇ。どしたのぉ」
普段となにひとつ変わらない調子。上は藤を見詰めた。
やっぱり…違うんじゃないか?猫の見間違いなだけで、あの夜富裕層地域で見かけたという男は藤じゃないのでは?
ふと、絆創膏だらけの腕が目に入る。以前転んだと言っていた傷。
「藤…その腕の傷…コケた言うとったよな」
「そうだよぉ」
「…ほんまは、それ、ガラスで切ったんとちゃうか?」
いきなりおかしな質問をしてしまった。
おかしいはずなのだ、この質問は───本当にただ転んだだけの人間からしたら。
だが、藤は答えない。湿度の高いベタつく風が間を流れた。
「あん時…猫と会うたとき、すぐ帰ったんは…猫んこと覚えてたからなん?」
富裕層地域での喧嘩を猫が思い出せば、仲間がいることがバレてしまう。そうすると、全てがどこかで繋がる蓋然性がある。
だから、あまり顔を見られないうちに姿を消した。いやになるほど有り得る話だ。
上は猫という名前を口にしたが藤は無反応だった。誰?と聞き返しもしない。既に知っているからか。
訊けば訊くほど何もかも芳しくない方向へと進んでいく。上は心が軋むのを感じた。
違うと言ってほしい。全部勘違いだと。あの夜の事も、失踪事件の事も、今日の事も、何も自分には関係がないと言ってほしい。
「さぁ?どうだろうねぇ」
そう願う上を、藤は笑ってはぐらかした。
「藤…九龍の事探る為に俺と居ったん?」
「さぁねぇ」
「あいつらの仲間なん?お前らが、ここ最近の誘拐事件の犯人なん?」
「さぁねぇ」
気のない返事。
「藤、教えてぇや」
猫の話からすると、他のメンバーはそこそこ年齢が高そうで、見た限りでは藤が最年少で一番下っ端。富裕層地域でしていた喧嘩は一方的に藤がやられていただけで、要はただのイジメだ。
誘拐事件についても、上には藤が進んで人身売買に加担するようなタイプにはどうしても見えなかった。
わからない。藤が、あのグループの中にいる理由が。
「聞いてどうするのぉ?情報売るのぉ?」
藤から乾いた笑いがこぼれる。
確かに、情報屋として九龍の出来事を探るのは上の仕事だ。でも今ここに来た目的は────そんなんじゃない。
上は、藤を正面から見据えて答えた。
「力になりたいねん。友達やから」
その台詞に藤が少し目を見開く。けれどすぐに表情を戻し、諦めの色を浮かべた笑顔。
「友達だと思ってるのは上だけだよ」
「嘘やろ。お前も思っとる」
「思ってないよ」
藤はゆっくりとした動作で煙草を取り出し、口元に運び火をつける。深く吸い込み、しばらく溜めて、煙と共に吐き捨てるように言った。
「わかんないでしょ、上には」
暗く沈んだ瞳。空気がガラリと変わり、見たことのない藤の視線に気圧され上は口をつぐんだ。
わからないから聞いてるんだろ、いや、その行為自体がもはやわかってないということか?そういう意味でのわからない、ではなくて、もっと根本的な何かなんだろうか。上の頭で考えがグルグル回る。
回るのに、言葉が出てこない。今はなにを言っても白々しくなってしまうように思えた。
ふいに、藤が屋上を繋ぐ足場を蹴りつけた。トタンとパイプでできていた簡素な足場はあっという間に崩れ、大きな音を立てながら建物と建物の間に落ち消えていく。
しまった、と上は思った。向こう側に渡っておくべきだった。樹ならまだしも、自分にはとても飛べるような距離じゃない。
「上、もう俺に関わんないほうがいいよぉ。弟くんと一緒に居なぁ?」
そう言って藤は踵を返し、そのまま向かいのビルの階段を降りていく。
「っ待てや藤、まだー…」
名前を呼ぶが藤の足が止まることはない。
去っていく背中に為す術もなく、上は拳を握りしめただ立ち尽くしていた。
やってきた樹に大地を預け、上は日が暮れはじめた九龍を駆ける。
目指すのは貧困街、よく藤と待ち合わせをしている屋上だ。
あとは上が自分で聞いてこいよ。そう言って、猫に送り出された。
九龍外のグループ。富裕層地域での揉めごと。最近香港にきた。成金。失踪事件。血まみれの男。情報屋。白昼堂々の誘拐未遂。
散らばったパーツが集まり、少しずつ少しずつ嫌な形を成そうとしている。
しているだけだ。まだ何も成してはいない。
いない、はずだ。
走りながら何度も藤の電話を鳴らす。出ない。上は息を切らして路地を抜け、階段を上がり、屋上へと辿り着いた。いつものベンチに座り呼吸を整える。
もう一度電話を鳴らそうと携帯を開くと。
「上ぁ」
「!」
間延びした声に振り返れば、隣の屋上へと続く足場の向こうに藤が立っていた。
「藤…」
「随分電話かけてきたねぇ。どしたのぉ」
普段となにひとつ変わらない調子。上は藤を見詰めた。
やっぱり…違うんじゃないか?猫の見間違いなだけで、あの夜富裕層地域で見かけたという男は藤じゃないのでは?
ふと、絆創膏だらけの腕が目に入る。以前転んだと言っていた傷。
「藤…その腕の傷…コケた言うとったよな」
「そうだよぉ」
「…ほんまは、それ、ガラスで切ったんとちゃうか?」
いきなりおかしな質問をしてしまった。
おかしいはずなのだ、この質問は───本当にただ転んだだけの人間からしたら。
だが、藤は答えない。湿度の高いベタつく風が間を流れた。
「あん時…猫と会うたとき、すぐ帰ったんは…猫んこと覚えてたからなん?」
富裕層地域での喧嘩を猫が思い出せば、仲間がいることがバレてしまう。そうすると、全てがどこかで繋がる蓋然性がある。
だから、あまり顔を見られないうちに姿を消した。いやになるほど有り得る話だ。
上は猫という名前を口にしたが藤は無反応だった。誰?と聞き返しもしない。既に知っているからか。
訊けば訊くほど何もかも芳しくない方向へと進んでいく。上は心が軋むのを感じた。
違うと言ってほしい。全部勘違いだと。あの夜の事も、失踪事件の事も、今日の事も、何も自分には関係がないと言ってほしい。
「さぁ?どうだろうねぇ」
そう願う上を、藤は笑ってはぐらかした。
「藤…九龍の事探る為に俺と居ったん?」
「さぁねぇ」
「あいつらの仲間なん?お前らが、ここ最近の誘拐事件の犯人なん?」
「さぁねぇ」
気のない返事。
「藤、教えてぇや」
猫の話からすると、他のメンバーはそこそこ年齢が高そうで、見た限りでは藤が最年少で一番下っ端。富裕層地域でしていた喧嘩は一方的に藤がやられていただけで、要はただのイジメだ。
誘拐事件についても、上には藤が進んで人身売買に加担するようなタイプにはどうしても見えなかった。
わからない。藤が、あのグループの中にいる理由が。
「聞いてどうするのぉ?情報売るのぉ?」
藤から乾いた笑いがこぼれる。
確かに、情報屋として九龍の出来事を探るのは上の仕事だ。でも今ここに来た目的は────そんなんじゃない。
上は、藤を正面から見据えて答えた。
「力になりたいねん。友達やから」
その台詞に藤が少し目を見開く。けれどすぐに表情を戻し、諦めの色を浮かべた笑顔。
「友達だと思ってるのは上だけだよ」
「嘘やろ。お前も思っとる」
「思ってないよ」
藤はゆっくりとした動作で煙草を取り出し、口元に運び火をつける。深く吸い込み、しばらく溜めて、煙と共に吐き捨てるように言った。
「わかんないでしょ、上には」
暗く沈んだ瞳。空気がガラリと変わり、見たことのない藤の視線に気圧され上は口をつぐんだ。
わからないから聞いてるんだろ、いや、その行為自体がもはやわかってないということか?そういう意味でのわからない、ではなくて、もっと根本的な何かなんだろうか。上の頭で考えがグルグル回る。
回るのに、言葉が出てこない。今はなにを言っても白々しくなってしまうように思えた。
ふいに、藤が屋上を繋ぐ足場を蹴りつけた。トタンとパイプでできていた簡素な足場はあっという間に崩れ、大きな音を立てながら建物と建物の間に落ち消えていく。
しまった、と上は思った。向こう側に渡っておくべきだった。樹ならまだしも、自分にはとても飛べるような距離じゃない。
「上、もう俺に関わんないほうがいいよぉ。弟くんと一緒に居なぁ?」
そう言って藤は踵を返し、そのまま向かいのビルの階段を降りていく。
「っ待てや藤、まだー…」
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