2 / 427
東洋魔窟
猫と【宵城】
しおりを挟む
東洋魔窟2
屋根から屋根、通路から通路へと飛び移り、大小様々な建物の屋上を風を切って翔ける樹。
九龍の街は信じられないほど入り組んでいて、内部はさながら気の向くままに線を引いた迷路のようになっている。
十数階という高さの建造物が所狭しと立ち並んで、四方を壁に囲まれ陽の光が届かない家や道もある。
階段を上っていたかと思えばいつの間にやら下っていたり、真っ直ぐ進んだはずなのに同じ広場に出てしまったり。
慣れてしまえばそんな迷宮もどうってことないが、目的地によっては下道を行くより階上を突っ走って進んだ方が早い事が多々ある。
【東風】から【宵城】へもそうだ。スラムの側から花街の端まで普通に向かえば30分はかかるところ、建物の上を通って行けば10分足らずで到着できる。
立ち並ぶ違法建築の屋上を駆け抜けるのはもはや樹にとってはお決まりのコースだった。
花街が近付き、だんだんとネオンが見えはじめる。あちらこちらから縦横無尽に伸びる、漢字やロゴを各々思い思いに配したキラキラ光る看板。
その中でもひときわ目立つ大きなサインを掲げる店が【宵城】だ。
他の建物から完全に独立しており、半ば城のような外見をしている。輝くその姿はまさに‘不夜城’。
樹は裏側のマンションから【宵城】の外壁へと飛び移り、手摺や小さな取っ掛かり、配管や室外機等を足がかりにしてテッペン近くまでトントンと素早く天守を登った。
そして辿り着いた朱塗りの露台。
軽く足を振って靴についた水を払いながら、目の前の小窓をノックする。
「樹…お前またここからかよ」
声と共に窓が開き、着物を着崩した銜え煙草の男───猫が顔を出した。金髪と丸眼鏡に少し雨の雫が落ちる。
「正面玄関、入りづらいんだもん」
樹は肩をすくめて答えた。
【宵城】1階にある入口はこれでもかというくらいネオンで装飾されていて、女の子達のセクシーなパネルが立ち並び、ロビーは常に客で満杯だ。
猫はだいたい最上階の自室に居るので、直接そこに来たほうが楽だし早い。────正規ルートでは全く無いうえ、身軽な樹ならではの方法だが。
「まーいいけど。菓子食う?」
「うん。あ、ちなみに東の分ってある?」
中に入れよと顎で示しつつ言う猫に樹が問うと、猫は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「は?ある訳ねぇだろ」
ある訳なかった。
樹は靴を脱いで部屋に上がりフカフカの絨毯に腰をおろす。ラメ入りで虎の形…金運がアップしそうな感じがする。
虎の毛並みを撫でて楽しみながら出されたお菓子をモグモグ頬張っていると、猫が写真を3枚テーブルの上に置いた。
2枚は幅広の首輪をつけた太った猫の写真。東が言っていた迷子の猫だろう。残る1枚は女性。
「誰?」
お菓子でいっぱいの口のままの樹が疑問を投げかければ、猫は眉間にシワを寄せ煙草の煙を吐き出しながら答えた。
「猫と、飼い主。東から聞いた?」
「猫の事は聞いた」
「行方不明なんだよ、飼い主も」
猫の話によれば、一昨日この飼い主、つまり猫の店の従業員の女性から、猫が居なくなったと相談を受けた。
その女性は相当焦った様子だったという。なので、一緒に探してやる事にした。
「だけど昨日から連絡つかねぇんだわ。今日出勤日なのに店にも来ねぇし」
指で写真をトントンと叩く猫の声から怒りは感じ取れなかった。無断欠勤したとて叱責はまず理由を聞いてから…何かやむを得ない事情によるのかも知れない。
表情には出さないが‘心配’が先に来ているのだろう。猫が従業員に慕われる訳合いはここにある。
樹も写真を見返す。特に黒い問題を抱えたりはしていなさそうな、至って普通の女性。
だがここは九龍、全てが狂っているような街。表面だけ目にした所で本質的には何もわからないのだ。
菓子を食べる手を止めて、樹は写真を手に取り口を開く。
「家とかは?」
「他のヤツに見に行かせたけど、誰も居なかったんだってよ」
「家の場所どこなの」
「新興楼あたり。これ、住所」
そう言って猫は樹に走り書きのメモを寄越した。
新興楼なら遠くはない。路地を通るとややこしいが、屋上を走れば5分といった所か。
「別に行かなくたっていいぜ樹。こうなったらもう猫探しじゃねぇし」
「んー…」
樹は少し思案した。
でも、いつもお菓子の恩がある。
「でも、いつもお菓子の恩があるから」
思ったらそのまま口に出た。猫がケラケラと笑って頷く。
「あっそ。じゃあ頼むわ」
「うん」
外を見ると雨が上がっていた。東の傘はここに置いていこう、どうせまだ【東風】に山程あるし。
猫に手を振り樹は貰った菓子をかじりながらメモに記された住所へと向かう。
更けていく夜の九龍をやんわりと照らす月明かりが、屋上の水溜りに反射していた。
屋根から屋根、通路から通路へと飛び移り、大小様々な建物の屋上を風を切って翔ける樹。
九龍の街は信じられないほど入り組んでいて、内部はさながら気の向くままに線を引いた迷路のようになっている。
十数階という高さの建造物が所狭しと立ち並んで、四方を壁に囲まれ陽の光が届かない家や道もある。
階段を上っていたかと思えばいつの間にやら下っていたり、真っ直ぐ進んだはずなのに同じ広場に出てしまったり。
慣れてしまえばそんな迷宮もどうってことないが、目的地によっては下道を行くより階上を突っ走って進んだ方が早い事が多々ある。
【東風】から【宵城】へもそうだ。スラムの側から花街の端まで普通に向かえば30分はかかるところ、建物の上を通って行けば10分足らずで到着できる。
立ち並ぶ違法建築の屋上を駆け抜けるのはもはや樹にとってはお決まりのコースだった。
花街が近付き、だんだんとネオンが見えはじめる。あちらこちらから縦横無尽に伸びる、漢字やロゴを各々思い思いに配したキラキラ光る看板。
その中でもひときわ目立つ大きなサインを掲げる店が【宵城】だ。
他の建物から完全に独立しており、半ば城のような外見をしている。輝くその姿はまさに‘不夜城’。
樹は裏側のマンションから【宵城】の外壁へと飛び移り、手摺や小さな取っ掛かり、配管や室外機等を足がかりにしてテッペン近くまでトントンと素早く天守を登った。
そして辿り着いた朱塗りの露台。
軽く足を振って靴についた水を払いながら、目の前の小窓をノックする。
「樹…お前またここからかよ」
声と共に窓が開き、着物を着崩した銜え煙草の男───猫が顔を出した。金髪と丸眼鏡に少し雨の雫が落ちる。
「正面玄関、入りづらいんだもん」
樹は肩をすくめて答えた。
【宵城】1階にある入口はこれでもかというくらいネオンで装飾されていて、女の子達のセクシーなパネルが立ち並び、ロビーは常に客で満杯だ。
猫はだいたい最上階の自室に居るので、直接そこに来たほうが楽だし早い。────正規ルートでは全く無いうえ、身軽な樹ならではの方法だが。
「まーいいけど。菓子食う?」
「うん。あ、ちなみに東の分ってある?」
中に入れよと顎で示しつつ言う猫に樹が問うと、猫は苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
「は?ある訳ねぇだろ」
ある訳なかった。
樹は靴を脱いで部屋に上がりフカフカの絨毯に腰をおろす。ラメ入りで虎の形…金運がアップしそうな感じがする。
虎の毛並みを撫でて楽しみながら出されたお菓子をモグモグ頬張っていると、猫が写真を3枚テーブルの上に置いた。
2枚は幅広の首輪をつけた太った猫の写真。東が言っていた迷子の猫だろう。残る1枚は女性。
「誰?」
お菓子でいっぱいの口のままの樹が疑問を投げかければ、猫は眉間にシワを寄せ煙草の煙を吐き出しながら答えた。
「猫と、飼い主。東から聞いた?」
「猫の事は聞いた」
「行方不明なんだよ、飼い主も」
猫の話によれば、一昨日この飼い主、つまり猫の店の従業員の女性から、猫が居なくなったと相談を受けた。
その女性は相当焦った様子だったという。なので、一緒に探してやる事にした。
「だけど昨日から連絡つかねぇんだわ。今日出勤日なのに店にも来ねぇし」
指で写真をトントンと叩く猫の声から怒りは感じ取れなかった。無断欠勤したとて叱責はまず理由を聞いてから…何かやむを得ない事情によるのかも知れない。
表情には出さないが‘心配’が先に来ているのだろう。猫が従業員に慕われる訳合いはここにある。
樹も写真を見返す。特に黒い問題を抱えたりはしていなさそうな、至って普通の女性。
だがここは九龍、全てが狂っているような街。表面だけ目にした所で本質的には何もわからないのだ。
菓子を食べる手を止めて、樹は写真を手に取り口を開く。
「家とかは?」
「他のヤツに見に行かせたけど、誰も居なかったんだってよ」
「家の場所どこなの」
「新興楼あたり。これ、住所」
そう言って猫は樹に走り書きのメモを寄越した。
新興楼なら遠くはない。路地を通るとややこしいが、屋上を走れば5分といった所か。
「別に行かなくたっていいぜ樹。こうなったらもう猫探しじゃねぇし」
「んー…」
樹は少し思案した。
でも、いつもお菓子の恩がある。
「でも、いつもお菓子の恩があるから」
思ったらそのまま口に出た。猫がケラケラと笑って頷く。
「あっそ。じゃあ頼むわ」
「うん」
外を見ると雨が上がっていた。東の傘はここに置いていこう、どうせまだ【東風】に山程あるし。
猫に手を振り樹は貰った菓子をかじりながらメモに記された住所へと向かう。
更けていく夜の九龍をやんわりと照らす月明かりが、屋上の水溜りに反射していた。
10
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

晴明さんちの不憫な大家
烏丸紫明@『晴明さんちの不憫な大家』発売
キャラ文芸
最愛の祖父を亡くした、主人公――吉祥(きちじょう)真備(まきび)。
天蓋孤独の身となってしまった彼は『一坪の土地』という奇妙な遺産を託される。
祖父の真意を知るため、『一坪の土地』がある岡山県へと足を運んだ彼を待っていた『モノ』とは。
神さま・あやかしたちと、不憫な青年が織りなす、心温まるあやかし譚――。


夜に駆ける乙女は今日も明日も明後日も仕事です
ぺきぺき
キャラ文芸
東京のとある会社でOLとして働く常盤卯の(ときわ・うの)は仕事も早くて有能で、おまけに美人なできる女である。しかし、定時と共に退社し、会社の飲み会にも決して参加しない。そのプライベートは謎に包まれている。
相思相愛の恋人と同棲中?門限に厳しい実家住まい?実は古くから日本を支えてきた名家のお嬢様?
同僚たちが毎日のように噂をするが、その実は…。
彼氏なし28歳独身で二匹の猫を飼い、親友とルームシェアをしながら、夜は不思議の術を駆使して人々を襲う怪異と戦う国家公務員であった。
ーーーー
章をかき上げれたら追加していくつもりですが、とりあえず第一章大東京で爆走編をお届けします。
全6話。
第一章終了後、一度完結表記にします。
第二章の内容は決まっていますが、まだ書いていないのでいつになることやら…。

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる