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1566 蜜月
勅令
しおりを挟む翌日の朝早く、国祖神からの使者が雷神の屋敷を訪れた。父に呼ばれ、ラスは寝ぼけまなこでベッドを出る。国祖神からの勅書を父に差し出され、これでようやくことが落ち着いたかと安心して封を開いた。すると、その内容に眠気はたちまちに飛んでいく。
アルバを自分の子として認めるにあたり、彼の所属はスキャルソンに一任する。勅書にはそんな内容が書かれていた。アルバが貴族なのか王族なのか特例の平民なのか、また、彼が旅芸人の一座に留まるのか貴族の家に入るのか、そういったことは全て一座の責任者であるダイモンに一任される。つまりは、ダイモンに金を積んだり脅かしたりすることで、誰もがアルバを手にするチャンスがあると言うことだ。
ラスは父と顔を見合わせる。雷神はため息をつき、国祖神に文句を言いに部屋を出た。ラスはその後を着いていく。雷神は手洗い場に行くと、蛇口をひねって洗面台に水を溜めた。
「おい。聞こえているだろう」
水がなみなみに溜まると、そこに向かって声をかける。すると水はさざなみを立て、男の低い声を返してくる。
「やあ、兄上。息子も一緒か。調子はどうだい?」
その声はしゃがれて、おどろおどろしく洗面所に響く。雷神は顔をしかめた。
「息災だ。まったく、神殿に電話くらいつけさせろ。お前のやり方は古くてかなわん」
彼は顎を撫でさすり、その表情には嫌悪があらわになっている。水面から響く声──国祖神の声は、雷神をばかにしたようにクックっと笑う。
「私の眷属……水があればどこでもやり取りができるのだよう、わざわざ線を引くより便利じゃないか」
国祖神が喋るのに合わせ、水面は何度も細かく波を立てる。ラスはもじもじと、父と国祖神のやり取りを見ていた。何度か話したことはあるが、国祖神は掴みどころがなく不気味で、言葉の端々に底知れない悪意を感じるので苦手だ。
「それで、何の用かい? 兄上の息子のために一肌脱いだんだ、ねぎらいでもかけてくれるのかよう」
「ねぎらいだと?」
国祖神のへらへらした態度に、雷神がいらだって声を荒らげる。
「貴様、アルバをわざと座長に任せたな。アルバがうちのラスとどういう関係かは知っているはずだ。どうして大人しく、本人かラスに決めさせないんだ」
「どういう関係か、ねえ……ハハッ」
何もわかっていない雷神に、告訴審は笑いを堪えきれなくなる。アルバとラスの関係だと? 今この場で教えてやろうか? アルバの正体を知る国祖神は無知蒙昧な雷神がおかしくてしょうがなく、ゲラゲラと声を上げて笑い出した。ラスがビクッと体を震わせる。
「何がおかしい」
雷神が目元を引きつらせる。彼の怒りなど瑣末なことだと、国祖神の調子は変わらない。
「兄上はもっと自分の子を信用しろよう。なあ、自分の男を守るくらいの甲斐性はあるだろう?」
彼は不意に、ラスに声をかけてくる。ラスは緊張してうわずった声で、「はい」と答えた。国祖神はまるで話しかけたことがなかったようにその返事を無視し、続ける。
「座長の方がアルバとは付き合いが長い。私の息子の扱いは、兄上たちよりずっとよくわかるだろう。ふさわしい場所を選ぶよう伝えてくれよう」
「そうか。もういい」
彼の態度に、これ以上は無駄だと、雷神は水栓を抜く。水がゴボゴボと音を立てて排水口に吸い込まれ、国祖神との通信は切れた。
「ラス、私の力が必要ならいつでも言ってくれ」
濡れた手を拭き、雷神は息子の肩を抱く。ラスは彼を敬愛を込めて見上げ、父がいれば大丈夫かと心を落ち着けた。
一方、国祖神の神殿にて。
「雷のお兄さまとは、もうお話が終わったのですか」
神殿の奥深く、大きなプールのある広間に巨躯の女が顔を出す。国祖神の妹であり眷属の、水神だ。雷神や国祖神よりは一回り背が低いものの、彼女の引き連れる人間の情婦たちに比べると、その上背は一目で人でないことがわかるほどだ。
プールにいた国祖神は振り返り、妹にニヤッと笑って見せる。プールの淵に預けたその体には、頭の先から大きな亀裂のような傷跡がある。プールに張られているのはその傷のための薬湯で、広間には薬の独特な匂いが充満している。情婦たちの一人、新入りの若い娘がその匂いに思わず鼻を手で覆う。
「あら、お兄さまの前で失礼よ。いいわ、下がりなさい」
水神はその娘を下がらせ、国祖神に向き直る。腕組みをし、右手だけ上げて口元に指を当てた。
「お兄さまもお優しいのですね。ご自分の落とし子が絡んだこととは言え、雷のお兄さまのために動かれるなんて」
妹の言葉に、国祖神がハハッと声をあげる。
「ちょっとした嫌がらせだよう」
そう言い、ニンマリと笑う。白目が全て真っ黒に染まった彼が目を細めると、黒く太い線が顔に浮かんでいるように見えて不気味だ。
「小さな川より大きな川が決壊した方が、多くを押し流せるだろう?」
兄の口にした比喩に、水神は「ああ」と得心して声を漏らす。国祖神はラスがアルバと盛り上がるようにわざと障害を用意したのだ。彼らが破局する時、より傷が深くなるように。
「あの時に産ませた子がこんなところで役に立って、私は嬉しいよう」
国祖神は機嫌よく鼻歌を歌い、薬湯を手ですくう。
「やはり、我が子というものはいいものだ。かわいい私のアルバ、せいぜい兄上を苦しめておくれよう」
そうつぶやく彼の目の色は、ひどく冷え切った青だ。
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