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1566 蜜月
両親の思い
しおりを挟むラスはずんずんと大股で廊下を歩く。早く自室に戻って頭を冷やしたい。アルバを軽んじる父への怒りと呆れ、それから大好きな父の望みを無視することへの後ろめたさで頭がぐちゃぐちゃだ。
「あら、ラス」
ラスが階段を上がっていると、風呂上がりのドナと鉢合わせる。彼女は息子の少し赤くなった目に、何かあったことをすぐに察した。しかしその場で尋ねることはせず、優しく笑いかけてラスの肩に触れる。
「キャンバスの前でずっと筆を握っていると体が凝るでしょう。久しぶりに揉んであげようか?」
ドナがそう言い、ラスはちょっとうつむいた。少しためらってから、小さく「うん」と返事をする。母はラスを甘えさせる時、いつもそんな理由をつけて使用人たちを下がらせる。それはラスもわかっている。
母の部屋に入ると、ラスはソファにごろんと横になった。ふかふかの生地に体を埋め、大きくため息をつく。ドナは、そんな息子の足元にちょこんと座った。
「何かあったの?」
彼の手を取って揉んでやりながら、なんでもないふうを装って尋ねる。夫とそれに倣った息子が、自分を心配させまいと多くを隠そうとしていることは知っている。言いたくないことを言わせるつもりはないが、全てを抱え込ませてしまいたくはない。
「……わかる?」
ラスは顔を上げて、申し訳なさそうに母を見る。ドナは微笑んだ。
「わかるよ。ラスのお母さんだもの」
母のせりふに、ラスは彼女に見透かされていると感じる。ドナから視線を外すと、ためらいがちに口を切った。
「……アルバとね、危ないことがあったんだ。それで、お父さんが彼とは遊ぶなって」
慎重に言葉を選ぶ。このまま全てを話してしまいたい気持ちは、母に否定されるかもしれないという恐怖で抑えられている。
ドナは驚き、すぐに息子がどれほど傷ついたかを察した。彼女は夫とは違い、ラスからよく話を聞いていて、アルバが息子にとって大切な存在だと理解している。
「ごめんね、お父さん、不安になっちゃったのね」
ラスの手を強く握り、ドナは申し訳なさそうに目を伏せる。
「あの方、私たちがただの人間だから、失うのが怖くてたまらないの。一人になるのが怖いのね。でも、ラスの大事なお友達を否定するのは間違ってるわ。お父さんったら、たまに人の気持ちがわからないのよね。お母さんも嫌になる時がある」
大事なお友達。母のそんな言葉に、ラスは首を横に振りたくなる。けれど母が受け入れてくれなかったらと思うと、怖くて体が動かない。
「そんな顔をしないで」
泣きたい気持ちになったラスに、ドナは優しい目を向けた。
「お父さんは不器用でも、ラスのことは心から愛しているわ。お母さんだってそう。お母さんはそれがどんなことだってラスの気持ちを大切にしたいし、お父さんだって本当はそう思ってるはずよ。アルバもラスも危ないことがないように、これからのことを考えましょう」
そう話し、首を傾げて見せる。
ああ、とラスは心の中で感嘆を漏らした。そうだ、両親は自分を愛しているんだ。自分が思っているよりずっと深く、心から。彼は体を起こし、母に向き合う。泣き出しそうな顔に微笑みを浮かべた。
「母さん、聞いてくれる?」
「……どうしたの?」
ドナは様子の変わったラスを少し不審に思いながらも、彼を安心させようと態度には出さない。ラスは一瞬ためらって、それから口を開いた。
「アルバは、私の恋人なんだ」
震える声で、それでも信頼を込めて告げる。ドナの目が丸く見開かれた。言葉に詰まる彼女に、ラスはゆっくりと首を縦に振って見せる。
「本気だよ。こんな冗談言わない。アルバは男の人だけど、私たちは恋人同士だ」
「……そうなのね……」
彼が母を信じて口にした言葉に、ドナの表情がだんだんと柔らかくなる。
「そうなの。話してくれてありがとう」
彼女は目を細め、ラスの頬に手で触れた。そのぬくもりに優しさを感じ、ラスも安心した顔になる。
「一緒にいてしあわせになれる人を選んでくれるだけで、お母さんは嬉しいよ。お父さんのことは大丈夫。話せばわかる方だから、アルバのことだってちゃんとわかる」
そう言い、ドナは息子を抱き寄せる。母に受け入れてもらえ、ラスの目に涙が滲んだ。
「……アルバは貴族の血筋だよ?」
「気にしなくていい。親のことは親のこと、ラスたちには関係ない」
ラスの言葉に驚くも、ドナは決して否定しない。息子の背中をとんとんと軽く叩き、彼を自分から剥がすとその顔をしっかりと見据える。
「あなたの思うようにしたらいい」
そう伝え、にっこりと笑った。ラスは目をきらきらと輝かせて、「うん!」と大きく返事をすると母に抱きつく。
と、部屋のドアがノックされた。ドナが入室を許可すると、しょんぼりした様子の雷神が入ってくる。
「もう、お父さん! ラスに無茶を言ったでしょ! お父さんはすぐ気持ちが先走って、相手のことを考えないんだから」
「すまなかった……」
ドナに叱られ、雷神は更に萎縮する。彼がラスに頭を下げても、ドナはぷりぷりと怒ったままだ。ラスはそんな母を「まあまあ」となだめ、それから父に頭を上げるように言う。
「私はアルバのこと、本気だよ」
彼は父をしっかりと見つめ、穏やかに言う。その目には、もう不安はない。
「そうか……」
雷神は全く思いもよらなかったと目を丸くし、自分が息子に言ったことの重さを自覚するとまた頭を下げた。
「ラス、本当にすまなかった」
「ううん。孫、抱かせてあげられなくてごめんね」
謝る父に、ラスは苦笑いをする。ドナは息子の背を撫でた。
「気にしなくていいのよ」
彼女はそう言い、雷神に目配せをする。
「まだ生まれてもない孫より、ラスのしあわせのほうが大切に決まってる。ねえ、お父さん」
妻の言葉に、雷神は首をぶんぶんと縦に振った。
両親の思いに、ラスは胸に喜びが満ちるのを感じる。アルバを受け入れられないことを心配していた自分が恥ずかしく思えてくる。ああ、この二人の子に生まれてよかったと、しあわせを噛み締めた。
もう心配はない。アルバは両親に会って二人がラスを愛して納得しているのを知ったら、親元を離れて彼について行くことをきっと受け入れられる。両親だってアルバと選ぶ人生を祝福してくれるに違いない。ラスは不安が晴れ、にっこりと満面に笑った。彼には、アルバとのしあわせが見えている。
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