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1566 蜜月
ラスの怒り
しおりを挟む後にしたばかりの屋敷から、男の絶叫が聞こえてくる。ラスは馬車の中で顔をしかめ、耳を塞いだ。気分は最悪だ。エンリットのことは、絵の師匠が彼からの仕事を受けたことで詳しく知っていたが、その話以上に恐ろしい男だ。ツィオへの嫌悪を我慢してわざわざ「せっかんをするな」と言いつけたのに、もう反故にしている。ツィオの安否が気にかかることは人として当然と思えるが、その一方で、大切な人に手を出した彼を心配するなんて嫌でたまらない気持ちもラスにはあった。そんな相反する気持ちが心を二つに引き裂くように感じる。アルバに会いたい、苦しい胸を癒してほしい。そう願ってしまってもすぐ、不貞を働いた彼への怒りが覆い被さってくる。頭がぐちゃぐちゃだ。
ホテルの、アルバの部屋を訪ねると、彼はベッドに突っ伏して泣いていた。静かにドアを開けた先、枕に顔を埋めて嗚咽するアルバを見た途端、ラスは怒りでいっぱいになる。ひどいことをしておいて、私より先に泣くなんてずるい。そんな思いで歪んだ表情を、ラスはアルバに向ける。
「ごめんなさい!」
アルバはラスが来たことに気がつくと、ベッドから飛び降りた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい‼︎」
「触らないで!」
泣きじゃくって足元にしがみつこうとしてくるアルバに、ラスは大きな声を出す。彼の拒絶に、アルバはより激しくしゃくりあげた。
「ごめんなさい……」
彼はそれ以外何を言っていいのかもわからない。ラスに許され、愛されたい。ラスを傷つける自分が嫌で嫌で仕方がない。
「どうしてあんなことしたの」
声を抑え、ラスはそう訪ねる。唇をぎゅっと噛んで、怒りに肩を震わせてアルバを見下ろした。彼の足元にへたりこんだアルバは、びっしょりと濡れた目元を手で拭ってラスを見上げる。
「ごめんなさい、ぼく、お酒飲んで、ばかだった」
嗚咽を堪えて一生懸命言葉を絞り出した。ラスは胸がむかむかするのを感じる。
「私はアルバを信じてたから、あの人に会っていいって言ったんだ。私を裏切ったね。酒にも性欲にも呑まれて、君は本当にばかだよ。君の私への想いなんてそんなものだったんだね。それとも、君が性欲で抱いていたのは私の方で、今でも好きなのはあの人なの?」
込み上げる嫌悪を吐き出していくラスに、アルバは顔を真っ青にしてぶんぶんと首を横に振る。
「違う! ぼくはあの人を好きなんかじゃない!」
「じゃあどうして会ったの。こうなることなんてわかってたでしょ」
必死に否定する彼に、ラスが冷たく言う。アルバはその質問に押し黙り、しばらくしてから口を開いた。
「……ラスの気を引きたかった」
アルバが小さく答えたその言葉に、ラスはカッとなった。
「気を引きたい? 私はとっくにアルバが好きだよ! どうしてそんなに不安になるの!」
声を荒らげ、アルバを責める。ラスが責めるのは、彼のような人間には理解できないアルバの根本的な弱さだ。アルバはまた嗚咽を漏らす。
「わ、わかんないよ。優しくされても、もっともっとって思って、ラスが付き合ってた女に勝てる気がしないし、ぼくはずっとラスがいなくなっちゃう気がしてる」
「どうして私にいなくならないでほしいのに、私を傷つけるんだ!」
ぐずぐずと泣きながら話すアルバに、ラスの怒りが爆発した。
「前に私に努力してって言ったのを忘れた? 言葉もなしに君を全て理解しろと? 努力しない君のために犠牲になれと?」
感情のまま、アルバに怒鳴りつける。
「私が過去に女性と付き合ってたのが嫌だったなら、私が今どれほど君を軽蔑しているかわかるはずだ!」
「ごめんなさい……!」
彼に捨てられる恐怖が込み上げ、アルバはラスを掴むためバッと手を伸ばす。ラスは露骨に身を引き、それを避けた。
「触らないで。君はそれだけのことをしたんだ」
そう言い放ち、涙を溢れさせて絶望しているアルバを一瞥する。アルバが「あ、あ」と言葉にならない言葉を漏らす。これ以上は顔も見たくないと、ラスは部屋を出た。拒絶が怖くて追いかけることもできず、アルバはただその場で泣いた。彼はばかな自分を呪っていた。
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