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1566 蜜月
赤毛屋敷
しおりを挟むツィオは壁の大きな肖像画を見つめる。赤毛の無垢な少年。服装からして、使用人の子だろう。心なしか、自分に顔だちが似ている。ツィオは裸のまま、背を丸めて一番生傷の多い背中がシーツに擦れないようにする。背中だけでなく、手首や腹、身体のあちこちがじくじくと痛むが、その痛みにはもう慣れてしまった。
「今度はうちの積荷が海に放り込まれただと! またきっとメース商会の連中だな。奴らめ、私が自分の販路に参入してきたのがそんなに気に入らないのか……」
彼の隣では、エンリットがベッドに腰掛けている。彼はガウン姿のままだが、商売人の厳しい顔で赤毛でない部下からの報告を受けている。商売敵に嫌がらせを受けているらしいが、そんなことはツィオにはどうでも良い。経営が傾いて自分が贅沢暮らしをさせてもらえなくならない限り、エンリットの商会のことなど興味はない。
「ああ、私の愛しいマッツィオ」
部下とのやり取りが人通り終わると、エンリットは急に猫撫で声になる。ツィオは吐き気を覚えたが、無理にへらへらした笑みを浮かべる。
「三日ほど屋敷を空けることになった。メース商会のことで立て込んでいてね。かわいい君をしばらく抱けないと思うと、切なくてたまらないよ。お小遣いは置いていくから、許してくれるね?」
そう言い、エンリットがツィオの背中のみみず腫れを触る。彼の遠慮ない手のひらにみみず腫れは強く痛み、ツィオが悲鳴を上げた。エンリットはその声に恍惚として、欲情のままにツィオの頬にキスをする。
ここに来たばかりの時は、ツィオはキスの一つにも顔をしかめたくなったものだ。しかしそれ以上の陵辱を受ける日々に感覚は鈍り、今や当たり前のように受け入れられる。ツィオはエンリットに顔を向け、彼に深いキスを返した。そうすればエンリットの気が済んでことが早く終わると学んでいる。
長くキスを楽しむと、エンリットは小遣いを入れた巾着を置いて寝室を出ていく。彼の足音が聞こえなくなってから、ツィオは大きく、大きく息を吐いた。
ツィオは痛めつけられた体を少しでも回復させるために眠る。エンリットのストレスからか、悪夢をよく見る。腹ばかりが膨れたがりがりの自分。飢えて死んだ母の、落ち窪んだ眼窩。悪夢に見るのは幼い日のことばかりだ。
最悪の気分で目を覚ますと、自分の服を着て寝室を出た。キャミソールに皮のピチッとしたズボンと、エンリットの好みで用意された服だ。もう日はとっぷりと落ち、主人の不在では赤毛の使用人たちは明かりの用意もしないので、屋敷のあちこちが真っ暗だ。ツィオは巾着を握って、窓から入る月明かりを頼りに、自室へと向かう。
廊下を歩いていると、他の赤毛の使用人、ウェイドに出くわす。彼は室内にも関わらず、園芸用の手押し車を引いていた。その中には、何枚もの麻袋で包まれた大きな荷が乗っている。
「またかよ」
その荷を見て、ツィオは気分が悪くなる。エンリットといる時とは比べものにならない吐き気を覚え、自分の鼻と口を手で覆った。
「前に死人が出たのは、お前が来たばっかりの頃だったっけ。あん時はお前みたいなお気に入りがいなくて、皆、旦那さまの寝室に呼ばれてたからなあ。その鬱憤で、俺たちの中でのいじめが本当ひどかったよ。まあ、今でもいじめがあるからこうなってるんだけど」
ウェイドが悲しげに荷を見下ろす。
「あいつらもひどいもんだ。あれだけ『捌け口』にしておいて、そのせいでこいつが首を吊ったって知らん顔だ。俺がおろしてやんなきゃ、部屋の梁にぶらさがったまんまだぜ、こいつ」
ツィオは荷から目をそらし、何も言わない。口を開けば吐いてしまいそうだ。
「ここじゃ旦那さまに気に入られても地獄だが、こいつみたい飽きられたやつも地獄だな。興味の失せた赤毛が何されたって、旦那さまは知らん顔だ。そんなことばっかしてるから、街の連中に赤毛の死体が出る屋敷だとか気味悪がられるんだよ」
そう言い、ウェイドはツィオに視線を移す。彼の生傷やみみず腫れに、苦々しく顔を歪めた。
「お前はお前で、気をつけろよ。何も死体を出すのは赤毛たちだけじゃない」
エンリットに雇われて長いウェイドは、ツィオのような赤毛の末路を幾度も見てきた。
「旦那さまも『やり過ぎる』ことがあるからな」
彼の言葉に、ツィオはゾッとする。悪寒が背筋をかけのぼり、吐き気はより強くなった。「俺はうまくやる」と心の中で何度もつぶやく。
ウェイドは手押し車を引いてどこかに行ってしまった。ツィオはようやく吐き気がおさまると、この屋敷にいたくなくてしょうがなくなる。エンリットからの小遣いを片手に、屋敷を飛び出した。街の人々には気味悪がられ、エンリットは金と商人のネットワークを使ってどこまでも追いかけてきて、逃げることなどはできない。それでも、いっときでもいい、外に出たい。
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